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少女の言葉に場内はより一層のざわつきを見せる。マスターは余計なことをするなと言わんばかりに周りをひと睨みし、(けれどその程度の眼光を浴びるのは日常茶飯事であると言わんばかりに全く効果はなく)改めて少女へと向き直った。やや強面の顔には気遣いから薄っすらと笑みをたたえている。
「お嬢さん。依頼をしに来たんじゃあないのか?」
「違う。冒険者登録しに来たって言ったでしょ」
場慣れしていないであろう彼女への気遣いは、しかしこちらも全く届いていないようで悪びれもせずにはねのけられた。
とはいえ、こんな年頃の少女が一人で、というパターンこそはなかったが、貴族のような身分の者が冒険者を夢見てここを訪れることも、ないことはないのだ。
しかしその場合は大体にして面倒なことになるもので、今回もそのパターンかとマスターは内心ため息をつき、常連連中は同情半分好奇心半分といった様子を隠さない。
「えー……なんだってまた冒険者に? 確かに魔物が頻繁に出現するようになってから、また注目されるようになってきたところだが」
「魔物? は知らないけど。情報を集めるなら冒険者になるのがいいって聞いたから」
「そりゃあ情報は入ってくるがなあ」
冒険者として依頼をこなすとなれば、この街に限らず様々な国やら街やらを行き来することとなる。そもそもあちこちを訪ねる冒険者の集まる酒場自体、情報の宝庫のようなところだ。その認識は間違いない。
「だが自分の足で稼ぐならの話だ。わざわざ危険を犯さずとも、情報を取り扱うギルドだってあるだろうに。それに、その情報収集を依頼として出すのもありだろう?」
「でも、そういうのってお金がいるんでしょ?」
「そうだな、大体」
「私、お金ないし」
相場を告げようとするのを遮ったその言葉に、一瞬マスターは思考を止めた。
金。金がないと言ったのか。この身なりの少女が。情報代すら払えないと。
流石に見かねたのか、今まで見守るに徹していた常連連中の一人が口を挟む。
「おいおいおい嬢ちゃん、まさかその格好でたかだか情報収集に払う金がないってこたないだろ。その靴についてる石の一個でだって釣りがくるんじゃねぇの?」
口こそ悪いが、その客の言うことは事実だ。少女の足を納める靴には、小ぶりながらも品質の良いことが見て取れる宝石がいくつか、宿の照明を受けて存在を主張している。
その通りだ、と周りも大っぴらに声にこそ出さないが頷いて見せる中、少女は露骨に眉をひそめた。
「なんであいつの情報を買うのに私の所持品を売らなきゃならないわけ」
「……、はあ?」
「ていうか、許可もなく私に話しかけないでくれない」
少女の言葉に、空気が一変する。
「小娘、随分な口をきくじゃぁねぇか」
「……あんたにも話しかけていいって言った覚えないんだけど」
「テメエ!!」
「ライジル! 乱闘騒ぎでも起こす気か!?」
ライジルと呼ばれた、特に大柄な男が耐えかねたように椅子を蹴飛ばして立ち上がる。周囲の囃し立てるような声も相まってかマスターの制止は聞こえている様子もなく、大股で少女に距離を詰める、その最中。
「何の騒ぎだ」
静かに、青年が割って入った。
「邪魔だ、マース。このガキに舐められっぱなしでたまるかよ」
「だからと言って酒場で暴れるようとする奴があるか。従業員として忠告させてもらうがな、皿の一枚でも割り次第、弁償かつ即刻出禁だぞ」
マース、と呼ばれた青年の冷ややかな声色に、場内の雰囲気も緩やかに落ち着き始める、が。
「邪魔なんだけど」
「……は?」
「だから、邪魔だって。その人、私に喧嘩売りに来てるんでしょ? ひ弱ロン毛に庇われる筋合いもないし、どいて」
「私も参加して良いかマスター」
「クビにするぞ」
低い位置で結われた髪を見上げながら興味なさげに言われた言葉に、マースの表情も歪む。そのはけ口は、後ろで呆れた表情を見せるマスターへと向けられた。
「そもそも、事の発端はこいつが冒険者になりたいだのなんだのと抜かしたことだろう? 勝手にさせれば良いじゃないか」
「倉庫整理をしていたくせによく聞こえてるじゃないか。……安全とはいえない仕事だ、簡単にはいどうぞと言うわけにもいかんだろう。うちの看板にも掛かってくる話だ」
「いやだから邪魔なんだけど」
「ふん。なら尚更、この俺が実力を見てやるのがちょうど良いじゃねぇか」
「ライジル、お前さんは自分の不器用さをよくよく自覚してくれ。少女に大怪我でもさせる気か?」
「ねえってば」
「こんな筋力以外特筆すべき点が無いウスノロ相手に立ち回れないようでは冒険者業なんか務まらんだろうよ」
「テメエも相手にしてやろうか貧弱魔導師さまよぉ」
「お前らなぁ」
「だから話聞けって!!」
荒げた声に、漸く三人の視線が少女へと向かう。それにため息をひとつついた後、三人をひと睨みしながら少女は改めて口を開いた。
「人をクソ雑魚呼ばわりしてくれて、本当なら全員潰すところだけど……。つまり、私がボウケンシャギョウに釣り合う実力を示せば納得してくれるわけ?」
「……まあ、そうなるのか?」
「私に聞くな。勝手にさせれば良いだろうと言ってる」
「おう、なんだ小娘が。この俺にかかってくるって?」
「……やってやろうじゃん」
少女の目が、真っ直ぐにマスターを見据える。
結局少女について分かっていることなど「何かしらの情報を求めて冒険者になりたがっている」ということだけだが——
「……ああもう、好きにしろ。室内乱闘は禁止だからな。決闘用の広場でやれ」
折れさせてしまうだけの意志の強さがそこにはあった。
大きな溜息をつきながら吐き捨てられた言葉に、いよいよ周囲の雰囲気も盛り上がり、歓声の声が沸き立つ。
「筋肉ダルマとはいえ、あんな細っこいガキがライジルに挑むとはなぁ」
「一方的な試合もたまにはまあいいんじゃね」
「意外と頭がきれるのかもしれないぜ? ライジルはアホだし頭脳戦なら可能性は捨てきれないな…….」
ぞろぞろと、訪れていた客が次々と出て行く。その中に混ざる少女の後ろ姿があまりにも場違いで、マスターは看板をcloseにひっくり返しながら、再び大きな溜息をついた。
「幸せが逃げるぞ、マスター。迷信だがな」
「……マース、ちゃんと回復魔法の準備を頼むぞ」
「依頼か?」
「葡萄酒一杯だ」