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もくもくと採取を続けること3時間ほど。ようやく二人が持ってきた薬草袋がいっぱいになった。
気がつくと太陽は西に傾き、日が暮れ始めている。
「うわ、もうこんな時間か」
「本来ならこのまま帰りたいところだけど、今回は卒業試験の一環だから野営するわね」
カインは頷いたものの、さてどう野営したものか分からない。一人だったらさっさとマントを敷いて地面に寝転がったことだろう。
「普通の野営ならそれでもいいわ。でもここは妖魔の森、下手に魔獣なんかを刺激しないようにね」
そう言うとチェリッシュは、薬草採取した場所の近くにある、木のウロになった場所に案内してくれた。
「うわぁ、ここなら雨露しのげますね! よくこんな場所があるって知ってましたね」
「そりゃそうよ、そうでもないと生き残れないからね」
「ま、まさかチェリッシュさんは……この森で野営しやすい場所をたくさん知ってるんですか?」
「ある程度の数はね。そんなの冒険者として当然のことよ」
これまで教わったことのない常識を前に、カインは軽く打ちのめされる。自分はこんなにも無知だったのかと自己嫌悪に陥る。
「落ち込んでる暇なんてないわよ。さっさと夜食の準備をして」
「は、はい」
チェリッシュは魔法で火を起こすと、持ってきた干し肉を軽く焚き火で炙り、乾燥パンを水に浸して食べる。カインにとっては疲弊しきった身体に染みる味だった。
「……おいしくないわね」
自分は疲れ果てているというのに、チェリッシュはそんなそぶりも見せず保存食に文句を言う。黄金の髪にとんがり帽子、黒いミニのワンピースの彼女は、野営中とは思えないほど身綺麗で優雅だった。
場違いなほどに圧倒的な美を放っているチェリッシュに思わず見惚れていると、ふいに彼女から問いかけられる。
「ねぇカインくん。きみはどうして冒険者になろうと思ったの?」
「それは──もちろんお金を稼ぐためです。たくさん稼いで、生まれ育った村を豊かにしたいから」
「さっきも言ったとおり、冒険者なんて危険が多くて得るものが少ない仕事よ。それでもきみは、冒険者になりたい?」
「そ、それは……」
カインは即答できなかった。
実際、彼の心に迷いが生じ始めていた。冒険者の現実が、彼の歩みを止めていたのだ。
「で、でも大金を稼ぐには冒険者が一番手っ取り早いって聞きました。だから」
「私を見てご覧なさい? たとえB級冒険者の資格があっても、私は魔法屋をやってるわ。その意味がきみにはわかる?」
「命が──惜しいから?」
「そうよ。だからきみも、心に迷いがあるならやめときなさい。お金を稼い方法なら他にもたくさんあるわ。あなたには──大切な人はいないの?」
「大切な人……」
そう言われて最初に思い浮かんだのは、リサの顔だった。
「あなたが死んだら、その人が悲しむんじゃない?」
「そ、それは……」
「もしそう思うなら、あなたは村に帰るべきね。あなたのいるべき場所は、こんな薄暗い森じゃないわ。その決断をすることも、一つの勇気の形よ?」
チェリッシュの言葉が、カインの心に深く突き刺さる。手に持った干し肉をじっと眺めたまま、カインは言葉を発することが出来なくなっていた。
そんな彼の姿に、ふっと微笑みを漏らすチェリッシュ。
──ずうぅぅぅぅん……。
地を揺らす地響きのような音が聞こえてきたのは、そのときだった。
「っ!」
「い、今の音はなに……ってチェリッシュさん?」
素早く焚き火を消すチェリッシュに戸惑い問いかけるカイン。だが彼女は何も答えない。
「──【 灯火 】」
チェリッシュの指先に、ほんのりと明かりが灯る。どうやら光魔法を使ったようだ。
「い、いったいどうしたん……」
「しっ! 静かにして!」
──ずうぅぅぅぅん。
また、先ほどと同じような音が聞こえる。しかも距離は近づいて来ているようだ。まるで巨大な生物が歩く足音のよう。
いや、あるいは本当に巨大な生物の足音かもしれない。カインはチェリッシュが急に臨戦態勢になったことの理由に思い至る。
巨大魔獣の出現。その事実に気づいた瞬間、カインの全身は震え始める。
「チェリッシュさん、も、も、もしかして巨大な魔獣が」
「落ち着いて、カインくん。まだそうと決まったわけじゃないわ。大きな音は立てないでね」
「は、はい」
──ずうぅぅぅぅん!
かなり場所が近づいて来た。カインは全身の震えを抑えられなくなる。
続けてバキバキッという木が折れる音が耳に飛び込んで来る。恐る恐る木のうろからこっそりと外を覗き見ると、森を引き裂いた犯人──巨大な生物の姿が目に飛び込んできた。
全身が月明かりを鈍く反射する鱗に身を包まれたその生物は、ちょっとした家くらいの大きさがある巨大な竜だった。
カインなど簡単に屠ってしまいそうな巨大な竜が、ズシンズシンと足音を立てながらカインたちが潜んでいる場所に向かって歩み寄ってくる。
「チェリッシュさん、やばいです! あの竜こっちに向かってきます!」
「……仕方ないわね。カインくん、これから私が囮になって飛び出すから、きみは猛ダッシュしてイスパーンの街に戻りなさい」
「えっ?」
思いがけないチェリッシュの提案に、カインは恐怖も忘れ変な声を漏らす。
「そ、そんなことしたらチェリッシュさんが……」
「私一人ならあれから逃げることは出来るわ。でもきみがいると無理なの」
「それって……」
「きみが足手まといってことよ」
キッパリとそう言われて、カインは酷く落ち込む。しかし今はウジウジ悩んでいる暇はない。もう竜が目前に迫っている。
「いい、カインくん。合図とともに飛び出して、猛ダッシュで街に逃げて」
「は、はい」
「いくわよ? 3……2……1……」
0と言う声は発されなかった。
チェリッシュが飛び出し、竜の前に立ちふさがる。
「放て! 【 光の紐 】!」
チェリッシュの手から飛び出した光り輝くロープが、竜の全身にまるで蛇のように巻きついていく。
「いまよ! 早く逃げてっ!」
「はいっ!」
しぎゃぁぁあぁあ、と竜が苦しげな声を上げているのを尻目に、カインは全力で駆け出した。
生きるために、チェリッシュのフォローを無駄にしないために、夜半の妖魔の森を必死に駆け抜けてゆく。
「はぁ……はぁ……」
片道5時間かかった道だ。さすがに全部を走ることはできない。
それでもカインはチェリッシュの言いつけを守って一生懸命走った。全身から汗が吹き出し、息が上がる。
月明かりを頼りにどれだけ走っただろうか。
視界の先にイスパーンの街灯りが見え始めたとき、カインはどれだけ安堵したことだろう。崩れ落ちそうになる身体に最後の鞭を打って、なんとかイスパーンの街の門まで辿り着いた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「……もしかしてカイン?」
完全に力尽きて、門の近くで横たわったカインに声をかけるものがいた。その人物の姿を見て、カインは息が止まりそうになる。
月夜に輝く綿毛のような金髪の少女は、間違いなく──彼の幼なじみのリサだったのだ。
「リサ……はぁ、はぁ。どうして……はぁ、ここに?」
「何かあったの? あ、それよりもまずこれを飲んで、魔法薬よ」
手渡された桃色の魔法薬をカインは口に含む。爽やかな喉越しに、気がつくと一気飲みしてしまう。
ようやく人心地ついたカインは、すぐ横で心配そうな顔をしているリサを見て、思わず抱きついてしまった。
「カ、カイン?」
「リサ、俺は……俺は、間違ってた。お前の言う通りだった。冒険者になろうなんて、浅はかな考えだった」
「どうしたの? 何があったの?」
「俺のせいで、俺のせいでチェリッシュさんが……」
──私がどうしたって?
ふいに背後から聞き覚えのある声をかけられ、カインは驚きのあまり飛び上がりそうになる。
慌てて振り返ると、そこにはなんと──彼を逃がすために囮になって残ったはずのチェリッシュが、とんがり帽子で顔を仰ぎながら立っているではないか。
カインは一瞬幽霊ではないかと思ったものの、彼女は泥で汚れてはいるが無傷で、正真正銘本物のチェリッシュであるようだった。
「チェリッシュさん! 無事だったんですね!」
「だから言ったでしょう? 私一人ならなんとでもなるってね。まぁでも色々酷い目には遭ったけどね」
「でも……無事で良かったぁ」
安堵のあまり、カインの全身から力が抜ける。そんな彼の身体を優しく支えるリサ。
「カインくん、これで冒険者がどんなものか分かったでしょう?」
「は、はい……よくわかりました。俺は冒険者になるのはやめて、村に帰ろうと思います」
「えっ?」
思いがけないカインの発言に、リサが思わず声を上げる。
「カイン、それって……」
「ああ、俺は村に帰って俺にできることをやる。だからリサ、お前も俺について来てくれないか?」
「あ、あたし? 本当に? その……あたしでいいの?」
「ああ。今回死ぬかと思う目にあって思い出したのは、リサのことだった。俺には──お前が必要なんだ」
「……カイン!!」
感極まって抱きしめ合う二人。そんな二人に、チェリッシュは優しく声をかける。
「命をかけて冒険する人だけが英雄じゃないわ。自分に出来ることを弁えて愛する人と慎ましく生きる人こそ──本物の英雄なんじゃないかしらね?」
だが彼女の言葉は、号泣しながら抱き合う二人の耳には届いていないようであった。




