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その日、冒険者見習いのカインは緊張していた。
なにせこれから、冒険者になるための最終試験──″お試し冒険″に旅立つことになっていたのだから。
カインは田舎の村の村長の息子として生を受けた。
生まれた時から村のリーダーとしての役割を期待され、実際にそういう気持ちで過ごしてきた。
だが、彼の村は貧しかった。
めぼしい産物もない村で生きていくのは厳しく、彼と同年代の子供たちは15歳になって成人すると、ほとんどが街へと出稼ぎに出かけてしまった。
その中に、彼が一番仲の良かったリサが含まれていたことに、カインは強いショックを受けた。
だから彼は、村を豊かにしたいと考えた。
そうすれば、村を出て行った人たちが──リサが帰ってくると考えたのだ。
そのためには金がいる。
そしてカインが手っ取り早く稼ぐ方法は一つしかなかった。
冒険者になるためにイスパーンの街に向かったのは、偶然ではなかった。もしかしたらリサに会えるかもしれないというわずかな望みがあったことを否定できない。
しかし、実際に会ってしまうと上手くいかなかった。挨拶もそこそこに「カイン! あなたその格好どうしたの!」と強い口調で言われたことも良くなかった。意地っ張りで口下手なカインは、うまくリサに説明できなかったのだ。
結局喧嘩別れのようになってしまい、その後は彼女とも会えていない。
そのことは彼の心に暗い影を落としていたものの、今更冒険者になることを辞めるわけにもいかない。
なにせ自分は、一攫千金を得て村を豊かにするために冒険者になろうとしているのだから。
カインは頭を一つ振ると、リサのことを頭の隅に押しやる。
「それにしても、どんな人が俺の″導き手″になるのかなあ?」
″導き手″とは、冒険者講習の卒業試験である″お試し冒険″に同行してくれる先輩冒険者だ。通常はDランク以上の冒険者が同行して、一泊程度の冒険をするのが通例だ。
(やっぱり俺に剣を教えてくれたジャスパーさんかな? それともサバイバル術を教えてくれたハンターのジールさんかも)
″導き手″は、当日になるまで分からないルールになっていた。だからカインはこれまでお世話になった諸先輩たちの姿を思い浮かべながら、胸を躍らせて待ち合わせ場所であるイスパーンの街の南の入り口であるゲート横に向かう。
「……えっ?」
だが所定の場所に立っていたのは、彼の事前の予想に反して″女性″だった。
しかも黒いとんがり帽子に黒のワンピース──間違いなく『魔法使い』である。
「あ、あんたはもしかして──」
「こらこら、先輩冒険者に対して口の利き方がなってないわね。初心者講習で何を習ってきたの?」
厳しい口調でそう言われ、慌てて頭を下げるカイン。
「す、すいません! 魔法使いの人とまともに会うのは初めてで……俺、カインっていいます!」
「よろしくね、カインくん。私の名前はチェリッシュ。あなたの今回の卒業試験の″導き手″よ」
──黒の帽子に黒のワンピースの女魔法使い。
──高ランクの冒険者。
この二つの要素を満たす人は、多くの人がいるイスパーンの街でもまず他にいない。
つまり彼女は──。
「も、もしかしてあなたは《 光の魔女 》チェリッシュさんですか?」
「その呼び名はあんまり好きじゃないんだけど、私は確かにチェリッシュよ」
《 光の魔女 》チェリッシュ。その名を、その英雄譚を、カインはよく知っていた。
今から6年ほど前、世界を揺るがす大きな戦争があった。人はその戦争を《 第二次魔戦争 》と呼んだ。
第二次魔戦争において、世界中で大量の悪魔や魔獣が蜂起した。力を持たない平凡な人たちはなすすべもなく蹂躙され、多くの人たちが傷つき倒れた。
カインの生まれ育った村も例外ではなかった。魔獣の群れに襲われ、極めて危険な状態に陥っていた。
その時、彼の村を救ってくれたのが、偶然近くにいた《 剣聖 》シリウス率いる冒険者チームである。
剣聖シリウスを筆頭に、今では彼の婚約者となった赤髪の女戦士バレンシアと、黒い魔女服に身を包んだ光魔法の使い手であるチェリッシュの三人パーティの彼らは、別の目的地に向かう途中にたまたまカインたちの村に立ち寄ったところであった。
剣聖シリウスたちの力は絶大で、カインたちの村を襲っていた魔物たちは、すぐに一匹残らず滅ぼされた。その結果、カインたちの村は救われたのである。
自分たちの村を救った英雄が目の前にいる。
その事実にカインは身震いを抑えることができなかった。
「さぁ、さっさと狩りに行くわよ」
「は、はいっ!」
だからチェリッシュに促されたとき、カインは素早く直立不動の姿勢をとると、ビシッと敬礼をした。その様子にチェリッシュは苦々しい笑みを浮かべたのだった。
◇
カインとチェリッシュが目指したのは、イスパーンの街の近くにある《 妖魔の森 》と呼ばれる大森林帯だ。
妖魔の森は王都イスパーンの側にありながら、多くの薬草が取れる豊かな森として有名だった。同時に有名なのが、この森に魔獣が潜んでいるという噂である。
「チェリッシュさん、この森で大丈夫なんですか?」
「ん? 何が?」
「いや、この森にはかなり大型の魔獣がいるという噂を聞いたんですけど……。それに以前は悪魔も潜んでたって」
「悪魔はいないけど、大型魔獣はいるわよ」
「へ?」
あまりにあっさりと肯定され、カインは聞き間違いかと思いもう一度尋ねる。
「ま、マジで大型魔獣がいるんですか?」
「ええ。竜型だっているわ」
「なっ! り、竜型ですかっ、」
竜型と言えば、ワイバーンを筆頭とした魔獣の中でもかなり強敵の部類である。そんな魔獣にもし襲われたら、カインなどひとたまりもないであろう。
「そ、そんなやつがいる森に入って大丈夫なんですか?」
「そんなこと言ってたら冒険者になんてなれないわよ? それに、私たちの今回の依頼は『薬草採取』でしょ」
「あ、チェリッシュさんが取ってきた依頼ですね。確か、『エンゲージ』というハーブの採取でしたっけ?」
「そうよ。エンゲージを採るためには妖魔の森の、ある程度奥まで行かないと採取できないしね」
まぁ仮に大型魔獣が出たとしても、一緒にいるのは伝説の冒険者チェリッシュだ。きっとなんとかなるだろう。
そう考え直すと、カインは改めて森の奥へと足を踏み入れて行く。
幸いにも野生の獣程度にしか遭遇することなく辿り着いた採取場所は、森を5時間ほど歩いたところにあった。森にポッカリと穴が空いたような場所に、薄いピンク色の花が咲き乱れている。
(リサに見せてあげたいな……)
ふと心に浮かんだのは、半年ぶりに会った幼なじみの姿。きっとあいつなら満面の笑みを浮かべるに違いない。
「さあ、ここにあるエンゲージ草を採るわよ。葉っぱがギザギザでほんのり香るのが目当ての薬草だからね?」
「あ、はい」
「採るときは優しく根元から、指先に魔力を込めて。そうしないと鮮度が劇的に落ちるから」
「ま、魔力ですか?」
「あら、カインくんは魔力コントロール出来ないの?」
魔力コントロールどころか、魔力について教わったことすらない。そう言うとチェリッシュは残念そうな表情を浮かべる。
「まぁ、それじゃあ仕方ないわね。買取価格が落ちちゃうけど、背に腹は変えれないか」
「す、すいません……」
「冒険者を志すなら、最低限の魔力コントロールを身に付けないと食べていけないわよ」
「はい……」
出鼻をくじかれてしまったものの、気を取り直してカインは採取をはじめる。二人で行われる、無言の作業。
沈黙を破ったのはチェリッシュのほうだった。
「カインくん、あなたはどうして冒険者になろうと思ったの?」
「それはもちろん、お金を稼ぐためです」
「冒険者で? あなたはこの仕事が稼げると思うの?」
「ええ、違うんですか?」
「違うわね、全く稼げないわよ。たとえばこの薬草採取の報酬は幾らだと思う?」
「えっ? 1万エルくらいですかね?」
「それは魔力コントロールで採取した場合はね。あなたが採取したそれは、三級品になるからせいぜい3000エルね」
「たった3000!」
予想外の安値に、カインは思わず絶句してしまう。
「そんなの……街で働いてたほうがマシじゃないですか!」
「そのとおりよ。だから冒険者でお金を稼ぐなんて夢物語もいいところ。それでもあなたは──冒険者になりたいの?」
そう尋ねられたときカインは、何も答えることが出来なかった。
丸一日かけて魔獣の住む森に入り薬草を取っても、街でのアルバイト以下。その事実が彼の心をひどく打ち付けた。
カインは黙って、ただ手元で萎れてしまった薬草をじっと見つめるのだった。