裏(;´д`)
顔を赤くした親父たちが歓声をあげ、麦酒がなみなみと注がれたジョッキを打ち付け乾杯する。その奥では、さらに山盛りにパスタを満面の笑みで頬張る若い青年たち。
ここ〈 愚者の夢 〉亭は、今日もたくさんの客で賑わっていた。安くて美味しくてボリュームある定食が食べられると、イスパーンの街でも知る人ぞ知る飲食店だ。
だが、満杯の客で溢れるこの店の一番奥に、誰も座ろうとしない席があった。
そこは、ずっと以前からある人物の特等席だった。その人物がこの街から旅立ってからも、いつでもこの場所に座れるように、店側が、そして常連客たちもが配慮してずっと空けていたのだ。
以降、誰もその席に座ろうとしなかった。
──ある女性を除いて。
ガランガランと音を立てて、〈 愚者の夢 〉亭の入り口の扉が来客を知らせる。
姿を現したのは、黒いとんがり帽子に黒いワンピースに身を包んだ大人の女性だった。
彼女は疲れた顔でとんがり帽子を脱ぐと、金色の髪がふわりと広がる。うっとうしそうに左手でかき上げると、そのまま──誰も座っていない最奥の席に腰を下ろした。
「お疲れですね、チェリッシュさん。はい、おしぼりです」
「あー、ネーブルちゃん。ありがとぉ、癒されるわぁ」
エプロンを付けた10歳くらいの赤髪の可愛らしい少女──ネーブルが、営業スマイルを浮かべながら金髪の女性──チェリッシュに冷たいおしぼりを渡す。
チェリッシュは嬉しそうに顔におしぼりを押し当てると、「定食とエールお願いね」とくぐもった声を出す。
ネーブルが「注文、承りましたー!」と元気いっぱいに返事するのを横耳に聞きながら、チェリッシュはおしぼりを顔にかけたまま天井を見上げて「あー」と大きく息を吐く。
「……ったく、あんたはもうちょっとシャキッとしなさいよ!」
ドンッというテーブルにジョッキを置く大きな音と、聞き慣れた──でもここにいるはずのない人物の声に、チェリッシュは慌てておしぼりを手で払いのける。彼女の目の前に、燃えるような赤い髪の女性が立っていた。
「ちょ、バレンシア! あんたなんでこんなところにいるのよ!」
「別にあたしがここにいても何の問題もないでしょ? ここはあたしの実家なんだから」
「でも、確か花嫁修行してたはずでしょ? あ、もしかして未来の旦那様に捨てられちゃった?」
「あんたじゃないんだからそんなヘマするわけないでしょ! 今日はシリウスが遠征で居ないから、たまたま実家に帰ってきただけよ」
そう言いながら、バレンシアと呼ばれた赤髪の女性がチェリッシュの反対側の席に座る。彼女の手にも大きなエールのジョッキが握られていた。
不貞腐れた顔をしたチェリッシュは、それでもジョッキを前に出す。苦笑いを浮かべたバレンシアが、杯を合わせた。カンッと鈍い音が鳴る。
「なんだか疲れてるわね、チェリッシュ。またあの仕事をしたの? えーっと、『恋愛魔術師』だっけ?」
「そーよ、悪い? 魔法屋アンティークの前店長としては、こんな仕事受け入れ難いっての?」
「今の店長はあなたなわけだし、別に悪くはないけど……なんだか毎回疲れ果ててるみたいだからさ」
「疲れるわよ! あんな惚気に毎回当てられる身にもなってみてよね!」
そう言うとチェリッシュはガンッと勢いよく杯をテーブルに叩きつける。
「で、今回はどんな恋愛問題を解決したの?」
「……大したことないわ。女心が全くわかってない朴念仁の彼氏のプロポーズを手伝っただけよ」
「へぇ、どうやったの?」
「公園に彼女を呼び出させて、『好き』って言わせただけよ。オプションでイルミネーションと魔法花火を打ち上げたけどね」
「たったそれだけ?」
「たったそれだけのことができないから、彼はわざわざ私のところに来たのよ」
アルコールが入ったこともあって、チェリッシュの語り口もどんどん滑らかになっていく。
「だいたいさ、いくら相手が幼なじみだからって、一回も好きって言ってないのはさすがにダメだと思わない?」
「一回も? うちのシリウスなんて毎日言ってくるよ?」
「バレンシアのとこの惚気なんて聞きたくもないわ! んで彼はね、そのことに相手が不満を持ってることに気づいてなかったのよ」
「ははぁ、そりゃ良くないわね」
「だから私は彼にこう指示したの、『自分の言葉で、彼女に愛する気持ちを伝えなさい』ってね」
まぁ自分の言葉で気持ちを伝えることは大事だよね。そうしみじみと呟きながらバレンシアが頷く。
「それで、緊張したら台無しだから、桃色清涼水を『恋が叶う魔法薬』って言って直前に飲ませて」
「それってあれでしょ、ただの清涼飲料水に桃の味をつけたやつでしょ?」
「そ、『これを飲めば、運命の相手に繋がる糸が見えるようになる』って言って飲ませたのよ」
「ほうほう、それで?」
「そこからは私の魔法の出番。光魔法《 魔法の紐 》で″運命の糸″もどきを具現化させて、遠隔操作で操りながら二人の薬指をつなげて」
「おおー、遠隔操作! あんたがんばったわね」
「そうよ! そんな小細工で彼が運命の相手であることを彼女に印象付けたうえで、彼の口から愛の告白をさせたわけ」
「うわぁー、ロマンチックぅ!」
そう言いながらもゲラゲラ笑うバレンシア。チェリッシュは彼女の睨みつけながら、ぐいっとジョッキをあおる。
「笑い事じゃないっちゅうの。ここまで持っていくだけでも大変だったんだからね?」
「あははっ。で、チェリッシュ。プロポーズの結果は?」
「もちろんオッケーよ。そこで私の必殺魔法《 七色の光の糸 》で周りの木々を素敵華麗に彩って」
「あぁ、あの七色に光る光の紐ね」
「光の紐言うな! んで、とどめに超必殺魔法《 恋愛魔法花火 》をドカン」
「ドカン」
「ええ。それで二人は抱き合ってキスをしてハッピーエンドよ」
げふっ。チェリッシュは言い終わると同時にげっぷを吐く。苦笑いしながらバレンシアが質問する。
「うわーやるわねぇ。それでいくら取ったの?」
「10万エルよ」
「10万! たっかいわねぇ」
「高いもんですか! 私の人件費だけでどれだけかかると思うの? だってね、前の日から丸一日かけて公園の木に一生懸命《 七色の光の糸 》を仕込んだのよ!」
「あー大変だねえそれは」
「そうよもう、蚊に刺されたり木から落ちそうになったりして大変だったんだから。しかもあの男、私への依頼料で有り金全部使っちゃったから指輪も買ってなくてさ」
「ええ、ホントに?」
「うん、信じられないでしょ? だから仕方なくうちの商品の指輪をプレゼントしたわよ。そこそこのやつをね。まぁ3万エルくらいだけどさ」
本当に手がかかるお客様だったわ。そう口にしながらチェリッシュはエールのおかわりを頼む。
「あらあら、出費もあったんだね」
「それはいいわ……そういうお仕事だしね。でもね、一番きついのはそれじゃないの」
「ん? なんなの?」
「それはねぇ──自分の目の前で愛が成熟する瞬間を見せつけられることよっ!」
チェリッシュはドンっと強くテーブルに手を打ちつける。
「なーにが『君は運命の相手だ』よ! 惜しげも無く恋の言葉を囁きやがって! 毎回そんな話を聞かされるこっちの身にもなれってんだ! こちとら何年カレシがいないと思ってんのよ!」
「あんた、まだ彼氏いないの?」
「うるさいわね! いないわよ! ふんだ、どうせ私は行き遅れよ! 25にもなってまだ独身なんだからさ! ほんっと、リア充くたばれーって感じよね!」
「チェリッシュさん、おかわりおまたせしましたー」
徐々にやさぐれ始めたチェリッシュに、ネーブルがエールのおかわりを手渡す。受け取ったチェリッシュが素早い動きで彼女を捕まえると、嬉しそうにその頭を撫で回し始めた。
「ネーブルちゃん、あんたは良い子だねぇ。ここにいるあんたの姉さんに爪の垢を煎じて飲ませたいわ」
「あ、あはは……」
「こらチェリッシュ、妹に絡むな! それにあたしのなにが問題だってのさ!」
「問題だらけに決まってるでしょ! なにさ、ちゃっかり【 剣聖 】様と婚約なんかしちゃってさ!」
「ち、違うわよ。シリウスは幼なじみからの延長線でこうなっちゃったわけで……」
「んなわけないでしょ! あんた、【 剣聖 】シリウス・シャンボリーが巷でどれだけ女の子に人気だったかわかってる? おかげで魔法屋アンティークは一時期女の子たちに恨まれて大変だったのよ」
「それは……ゴメン」
「まぁ、おかげで『玉の輿が叶う魔法屋』っていう口コミが広がって、今の《 恋愛魔術師 》ってビジネスモデルができあがったんだけどね」
ネーブルを捕まえたまま、新たに手渡されたジョッキを口にしながら、チェリッシュが盛大にため息を吐く。
「あ"〜もう、どっかにいい男いないかなー!」
「チェリッシュさん、酒臭いですー。 離してくださーい」
「いやん、もう少し温もりを感じさせてぇ」
「ちょっとチェリッシュ、あんたいい加減にしなさいよ?」
「ひぃぃ、お姉ちゃん助けてくれてありがとー」
「あぁーん、ネーブルちゃん行かないでぇ」
ブリガディア王国の王都イスパーンに、《 恋愛魔術師 》と呼ばれる魔法使いが居た。
彼女の名はチェリッシュ。金髪で抜群のスタイルを持つ美女魔法使いであるという。
しかしその実態は──彼氏いない歴●●年の非モテ魔法使いであった。
そうして今日も《 愚者の夢 》亭に、一人の非モテ魔法使いの嘆きが響き渡る。
「あー、私も素敵な恋をしたいよー! イケメン、カモーン!」
不定期連載を予定してます!
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