二章・6
楽しい時間はあっという間です。光の速度で過ぎていきます。こんなの、わたしはアインシュタインに文句を言いたくなります。
会場に、イベントの終了を知らせるアナウンスが流れました。楽しい時間の終わりです。アナウンスが流れると、会場にいた人はみんな拍手をしていました。きっとイベントの慣習なのでしょう。その光景はとてもいいものだと思いました。
わたしは更衣室で衣装から自分の服に着替えました。このまま帰りたい気分ではありましたが、これは借りているものなので返さなければなりません。
「ありがとうございました。とっても楽しかったです。本当に」
「いや、こっちこそありがとう、これを着てくれて。あたしも、楽しかったよ」
仮澤さんに衣装を返すと、彼女はとても嬉しそうに笑って言ってくれました。
「今日のことは一生の思い出さ。これを誰かが来ているのを見れたから。……そうだ」
仮澤さんはそう言うと、紙袋にその衣装を畳んで入れて、「はい」とこちらにその袋を出してきました。
「え?」
「これ、あんたにあげるよ。これはあんたが持っていてほしい。これを着れるのはあんただけだ」
「で、でも」
「受け取ってくれよ。この子もあんたの傍にいたいだろうし」
仮澤さんはその衣装のことを「この子」と言いました。
仮澤さんの目は真剣です。その場のノリやさっきまでの興奮に流されてというわけではなさそうです。
「……わかりました。一生大切にします」
わたしは仮澤さんから、その子を受け取りました。そして一度、ぎゅっと胸に抱きしめました。
わたしは背中にリュックを背負い、右手には宝物の入った紙袋を持って更衣室を出ました。
「ありがとう。それじゃあ、また、会えたら」
更衣室を出たところで、仮澤さんはそう言って手を振りました。彼女とはここでお別れです。
「はい。こちらこそ、ありがとうございました」
仮澤さんは最後に頷いて、キャリーバックを引っ張って会場を出て行きました。
さて、わたしも吉野くんを見つけて帰るとしましょう。
どこにいるのかな? 男性の更衣室はどこかな? そう思いながら歩いていると、もうお一方、今日お世話になった方を見つけました。
「あ、シシキさん」
「あ! お疲れ様ですー! 着替え終わったんですね。もう帰るんですか?」
「はい。あ、今日はありがとうございました。コスに誘ってくれて」
「いえいえー、こちらこそ良いものを見せていただきましたから!」
「帰ってから、本、読みますね」
わたしはリュックの中にある本のことを思い浮かべました。イベントが終わってからも、楽しみがあるということは、嬉しいことです。いえ、むしろ今からが、ここで買った作品を読むことさえもが、同人イベントなのかもしれません。なんつって。
「ええ、ぜひお願いします!」
「はい。それでは、またお会いできたら」
「ええ。あれ? お連れの方は?」
「ああ、今から見つけてから帰ろうかなって思っています」
わたしは一度、周囲を見回してみました。だけれど吉野くんの姿は見えません。まったく、どこに行ったのでしょうか。
シシキさんは「へー」と言ってから、ニヤリと笑いました。
「なんですか?」
「い~え~別にーです。それじゃあ、さようならー!」
シシキさんは意味ありげな笑顔を浮かべたまま自分のサークルのスペースに帰っていきました。今から片づけをするのでしょう。
それにしても、最後のあの笑顔はいったいなんだったのでしょうか。
……まあ、いいでしょう。それよりも吉野くんを見つけないと。
わたしは吉野くんの姿を探してうろうろと歩きました。周りではサークル参加の方々が自分たちのスペースの片づけをしています。嬉しそうな顔の人、反対に少し残念そうな顔の人、いろいろです。
ほどなくして、わたしは吉野くんの姿を見つけました。
「あ、幡宮さん」
吉野くんもわたしを探していたようで、わたしを見つけると少し小走りでこちらの方にやってきました。飼い主を見つけた犬みたいです。忠犬ヨシ公。
「飼い主を見つけた犬みたいだねえ」
「どういうこと?」
思ったことを正直に言うと、吉野くんは首を傾げました。それもまた犬みたいです。
「さほど意味なんかないよお。それじゃあ、帰ろうかあ」
「うん」
そうしてわたしたちは、イベント会場を後にしました。
また、新しい思い出ができました。
それに、お友達もできた、と思います。
わたしにも、吉野くんにも。
わたしはあらためて、リュックと右手の重みを感じました。