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八章・3

 「あ、ああ!? だ、誰だお前ら!? く、来るなああ殺すぞおおお!!」


 怒鳴りながらドアを破ろうとしていた外の男が、突然そんなことを言いました。誰か、来たのでしょうか? もしかして警察でしょうか? 音を聞きつけた近所の方が、通報してくれたのでしょうか?


 外からは、壁や床に体がぶつかっているような音が聞こえてきます。掴みあって争っているような音です。怒号も聞こえてきます。


 それらの怖い音がしばらく続いて、そして突然ぴたりと止みました。


 しばらくぶりに、世界に静寂が訪れました。


 そして、トントンと、こちらの様子をうかがうように、ドアが叩かれました。さっきまでの怖い叩き方とは違います。こちらのことを気遣うような叩き方でした。


 「……幡宮さん? そこにいるのは、幡宮さんなの?」


 ドアの向こうから聞こえたのは、こちらのことを心から案じるような、そんな優しい声でした。


 まさか。


 「吉野、くん?」


 わたしはドアに駆け寄って、バリケードをどかしてドアを開けました。


 ドアを開けた先にいたのは、わたしの、大好きな人でした。


 「は、幡宮さん!」


 「吉野くん!!」


 わたしは吉野くんの胸に飛び込みました。吉野くんは優しく受け止めてくれました。


 「よかった、幡宮さん……」


 「……う、うわああああああん!! よ、よし、の、くん……わああああああああん!! あああああああああっっっ!!」


 わたしは吉野くんの胸の中で、泣きました。泣きじゃくりました。わんわんと、泣きました。


 小さな子供みたいに、大声を上げて泣きました。


 どうしてここにいるのかとか、あの男はどうしたのかとか、いろいろ聞くべきことはあったのですが、わたしはただただ泣いていました。


 怖かったのと、安心したのと、他にもいろいろな感情が渦を巻いて、わたしの心はぐちゃぐちゃになっていて、わたしは泣くことしかできませんでした。


 そんなわたしを、吉野くんは両腕で優しく、力強く、抱きしめてくれました。



                   ○



 わたしは吉野くんに連れられて、吉野くんの家に行きました。


 本来ならば事情を話すために、警察署に連れて行かれるところでしたが、吉野くんのお父様が、駆け付けた警察の方に話をつけてくれました。実は吉野くんは、お父様と一緒にわたしの家に来てくれたのです。


 「僕のお父さん、警察官なんだ」


 わたしのことで警察の方と話しているお父様を見ながら、吉野くんがこっそり教えてくれました。あのような温厚そうな方が警察官とは、人は見かけによりません。


 わたしも、こんな状況の中一人で警察署に行くのはあまりに辛かったので、そのように気遣ってくれたお父様にはとても助けられました。


 わたしは今、吉野くんの家のリビングで座っています。隣には吉野くんがいて、ずっと手を握ってくれています。


 お母様が温かいお茶を出してくれたのですが、正直今は何も喉を通りません。


 落ち着いて話ができるようになったのは、吉野くんの家に来てから、一時間ほど経った頃でした。


 わたしは、主に吉野くんのお父様に事情を聞きました。


 「まず、残念なことだけど、君のお母さんは亡くなった」


 わたしはリビングで最後に見た母親の姿を思い浮かべようとしました。けれど、できませんでした。


 「交際相手の男は、殺人等の現行犯でその場で逮捕された」


 あの時、部屋の外であの男を取り押さえたのはお父様だったそうです。


 「でも、どうして?」


 どうして、あの場に吉野くんとお父様が?


 「君、携帯を僕の家に忘れて行ったんだよ。それで、届けに行こうと思って。……あと」


 吉野くんは内緒話するみたいにわたしの耳に顔を近づけました。


 「……あの、君、えっと。下着も忘れてない?」


 わたしははっとして自分の胸を触りました。……ノーでした。そう言えば洗濯して頂いたものを受け取った覚えがありません。

 どうやら胸が小さすぎてブラがなくても違和感がないため、ノーブラでも気がつかなかったのでしょう。


 「それで、それらを届けに行こうと思って、君の歩いて行った道をたどって行って。でも家がわからなくって」


 吉野くんはきっと、方向ぐらいしかわたしの家はわからなかったでしょう。わたしは住所を教えていませんしね。


 「そしたらものすごい音が近くのアパートから聞こえてきて。……君がネグレクトを受けていることを知っていたから、嫌な予感がして」


 吉野くんの明かした事実に、お母様とお父様は少し顔色を変えました。


 「それで見に行ったら、表札には幡宮って書かれてて、その中から怒鳴り声と大きい声が聞こえたから、家に入ったんだ。そしたら……」


 そしたら、あの男がわたしの部屋を破ろうとしていたのでしょう。


 「僕がいたのは、外がけっこう暗かったから、翔太郎一人歩かせるのはどうかと思ってついて行ったんだ。結果としてそれはよかったんだけど」


 わたしが助かったのは、偶然の積み重ねがあったからなんだということが、二人の話を聞いていてわかりました。


 「とりあえず、今日は家に泊まっていって」


 お母様がわたしの頭をそっと撫でながら言いました。


 「翔ちゃんの部屋に布団敷いておくからね」


 「な、なんで僕の部屋に!? 空いてる部屋あるだろ」


 「一人ぼっちにするのは、だって、だめでしょう?」


 お母様の言う通り、わたしは今一人になりたくありません。今一人になったら、また、さっきのことが頭の中を埋め尽くしてしまいそうです。


 「それに私やお父さんと一緒の部屋よりも、翔太郎の部屋に一緒の方がきっといいでしょう」


 「わたしも、できればその方がいいです」


 わたしの心は今、生きてきた中で一番弱っています。そんなとき、一緒にいてほしい人は決まっています。


 「え、えええ……」


 吉野くんは断ることもできず、ただただ困惑していました。


 そういうわけで、今夜わたしは吉野くんの部屋に泊まることになりました。

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