七章・10
「今日は、本当にありがとうございました。ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
わたしは玄関まで見送りに来てくださったお母様とお父様に頭を下げてあいさつをしました。
「たくさん食べてくれて、私も嬉しかったわ。また来てね、幡宮ちゃん」
「はい。ぜひまた」
「じゃあ僕、途中まで送っていくから」
吉野くんは上着を羽織りながらそう言いました。
「いいよいいよ、寒いし」
「いや、足場も悪いし、送っていくよ」
「そう? じゃあお願いしようかな」
なるべく長い時間一緒にいたいですしね。
「それでは、おじゃましました」
「気をつけてね」
「またいらっしゃい」
お母様とお父様に見送られて、わたしは吉野くんと一緒に家を出ました。
外は、この時間なので日は落ちていますが、積もった雪に街灯の明かりが反射して、不思議な明るさがありました。
わたしたちはそんな中を、手をつないで歩きました。……いや、寒いからですよ。寒いからです。
「今日は楽しかったよお」
「僕はなんだか疲れたよ」
「また来てもいい?」
「まあ、お母さんが来てほしそうだから」
「吉野くんは?」
「……僕も、まあ、また来てほしいかも」
「じゃあ、また行くねえ」
あと何回行けるかはわかりませんが、わたしはまた吉野くんの家に行って、お母様のご飯を食べながら、吉野家の家族とお話をしたいなあと思いました。
さく、さく、と積もった雪を踏みしめながら、わたしたちは歩きます。
「来週はどこに行こうか?」
「次こそ海に行きたいなあ。雪の積もった砂浜って見たことないんじゃない?」
「そう言えばそうかもしれない」
「きっと素敵だよお。もしかしたら波の花とか見られるかもしれないしさあ」
「じゃあ決まりだね」
わたしたちの来週の予定がまた決まりました。これだけでわたしは、また明日から頑張ろうと思えます。
しばらく話しながら歩いていて、わたしの家までもう少しのところまで来ました。
わたしはつないでいた吉野くんの手を離しました。
「この辺でいいよお」
「そう?」
「うん。送ってくれてありがとう」
「わかった。それじゃあ」
「ま、待って」
わたしは帰ろうとした吉野くんの裾をつまんで引きました。
「ん、何?」
「あ、あの、えっと、ね……」
わたしの心臓の鼓動は、今までにないほどに早く打っていました。今からやろうとしていることを想像すると、緊張でそうなってしまうのです。
吉野くんはわたしの変な行動に、不思議そうな顔をしています。今までは別れる時、軽くあいさつを交わしてすんなりと別れていました。ですがこうして引き留めたのは初めてです。
わたしはしばらく吉野くんの裾をつまんだまま下を向いていたのですが、意を決して、わたしは顔を上げました。そこには吉野くんの顔があります。大好きな人の顔があります。
わたしは吉野くんの顔をしばらく見つめると、静かに目を閉じてあごを少し上げました。
これだけで、吉野くんはわたしの意図を分かってくれるでしょうか。
「え、は、幡宮さん? あ、う……」
吉野くんの戸惑う声や息を呑む音が聞こえてきます。どうやらわたしのしたいことを、吉野くんは理解してくれたようです。
わたしの体は緊張とか、言いようのない感情で少し震えていました。
「な、でも、急に、そんな……」
そうですね。吉野くんの言う通り、急です。ですが、そういうこともあるでしょう。
こういうことをしたくなることに、あまり理由なんてありません。
強いて言えば、恋人らしいことがしてみたくなった。それだけ。
わたしは吉野くんには何も答えず、じっと待ち続けました。
すると、わたしの両肩に吉野くんの手が添えられました。わたしの体の震えが止まりました。
そして、わたしの唇に、吉野くんの唇が重ねられました。それは、唇と唇がほんのちょっと触れる程度のキスでした。
それでもわたしは、なんだかむず痒くって、とても恥ずかしくなりました。けれど同時に、とても幸せな気持ちに包まれました。
唇を離したわたしたちは、しばらくお互いの顔を見ることができませんでした。
顔を上げずにちょっと上目で吉野くんのことを見てみると、吉野くんは見たことのないくらい赤い顔をしていました。きっとわたしの顔も、同じようなことになっているでしょう。
何分くらい経ったのか、わたしたちはおそるおそる顔を上げました。
顔を見合わせたわたしと吉野くんは、なんとなく照れくさそうに笑い合いました。
「それじゃあ、あの、僕は帰るから。また明日」
「う、うん。気をつけてね。……また、明日」
わたしは吉野くんに小さく手を振りました。
吉野くんも小さく手を振りました。
わたしたちはそのあとそれぞれの道を歩きながら、離れていく相手に向かって小さく手を振り続けました。
お互いの姿が、見えなくなるまで。




