二章・1
嵐のように夏休みが過ぎ去り、文化祭や体育祭と言ったイベントも終わり、ようやく学校全体が落ち着いてきました。ああ言ったイベントごとは、おとなしくじっとしていれば意外と簡単にやり過ごせます。
そんなある日のことです。
十一月も終わりに近づき、だんだんと寒くなってきた頃。
下駄箱の中にはこの前買った上履きがちゃんと入っていました。今日は何もされていないようです。それなりの出費なので、上履きがずたずたに切られたりするのはもう勘弁です。
ところがいざ靴を取り出してみると、靴の中からアマガエルが一匹飛び出してきました。驚きはしません。生き物は好きなので。
誰かが入れたのか、それとも迷い込んだのかは知りません。
カエルはそのままどこかへ行ってしまいました。
もうそろそろ冬眠するのでしょうか。
わたしはカエルに小さくおやすみなさいを言い、自分の教室に向かいました。
教室に入ると、一瞬冷たい氷の針みたいなのがクラスの中から飛んでくるのですけれど、わたしは気にしません。そんなことを気にするよりも、わたしには他に気にするべき人がいます。
わたしは自分の席に向かいます。
その席の隣ではわたしの友達が座って本を読んでいました。
「おはよお、吉野くん」
「あ、おはよう、幡宮さん」
あいさつをすると、吉野くんは嬉しそうに笑ってあいさつを返してくれます。なかなか素敵な、良い笑顔だと思います。
「何を読んでたのお?」
「これを」
吉野くんは読んでいた本の表紙をわたしに見せてくれました。
吉野くんが読んでいたのは、いわゆるライトノベルと呼ばれるものです。表紙にはかわいい女の子のイラストが描かれています。
吉野くんは前まではこういう本を学校で読まなかったんですけれど、今となっては周りを気にすることなく自由に読んでいます。とても良いことです。
「それは読んだことないなあ。面白い?」
「うん。今度貸してあげようか?」
「いいのお? ありがとお」
ここでひとつ。
わたしは話すとき語尾が伸びてしまうことがあります。
「そうなのお」とか「そうだねえ」とか。
聞いていて少々イライラする話し方かもしれませんね。すいません。
でもこれには理由があるのです。
それはわたしが緊張せずに話せているからなのです。わたしが緊張して話しているときは、語尾は伸びません。つまりわたしの語尾が伸びているときは、リラックスして話せている証拠なのです。
喉が弛緩しているって言うんですかね。ゆるゆるになっちゃうのです。だから語尾まで伸びちゃうのです。
特に最近は吉野くんと話すときは伸び伸びです。のびのびして話せています。
吉野くんとの会話を、わたしは楽しんでいます。
他人との会話を楽しめるようになるなんて、前までは思いもしなかったことです。
先生が教室に来るまで、わたしたちは本のこととか、マンガのこととかを話していました。その間、わたしたちの周りに人が近づいてくることはありませんでした。意識的に避けているのがわかります。でも、それは別にどうでもいいことです。わたしは、吉野くんと話せるのならそれだけで十分です。
吉野くんは、わたしが他の人とも仲良くなれたらいいのにと思っているそうですが、わたしは人づきあいが上手ではないので、別にいいと思っています。交友関係が広いことが正しいこととは、思っていませんから。
でもそう言うたびに吉野くんは、君は話せば面白いし楽しい人なんだから、とか言ってきます。正直面と向かって言われると恥ずかしいのでやめてほしいです。
そう言う吉野くんだって面白くて優しい子なのに、今では話せる相手はわたししかいません。
この世はいつだって、優しい人や善良な人が損をします。
吉野くんが今こうなっていることについて、いくら吉野くんが選んだ道だからとはいえ、わたしにだって申し訳ない気持ちが無いわけではないのです。
吉野くんまでいじめられるようになったことに心苦しさを感じないほど、わたしは人間離れしていません。
まあわたしの気持ちはともかくとして、わたしたちはいわば二人ぼっち状態です。
わたしはそれでもいいんですけれど、吉野くんはどうなのかわかりません。
何か、吉野くんにできることはないのかなあ。
最近、わたしと一緒になってくれた吉野くんに、わたしは何か返したいなと、思い始めていました。
○
何かいい案はないかと考え始めて、わたしはあるものを見つけました。
今までは、存在は知っていたんですけれど、行く機会がなかったところ。
「ねえねえ、吉野くん」
昼休み、ご飯を食べながらわたしは言いました。あ、食べながらって言っても口に物を入れながらではありません。ちゃんと飲みこんでからしゃべっています。そういうところはちゃんとします。
「同人イベントってえ、興味あるう?」
「同人? ああ、行ったことはないな。そうだね、行ってみたいかも」
同人イベントというのは、個人やサークルなんかで漫画やイラストなんかの創作物を創って頒布するイベントです。
「そっかあ。それじゃあ今度の日曜日はそれだねえ。ちょうど近くでやってるんだあ」
わたしは携帯の画面にそのイベントのホームページを出して吉野くんに見せました。
「へえ。本当だ、結構近いね。こんな近くでやっているなんて知らなかったよ」
「規模は小さめなんだけどねえ。でもそう言うのって結構多いみたいだよお」
わたしも調べていて初めて知ったのですけれど、同人イベントっていうのは大都会で行われるものばかりじゃなくて、地方でも小規模なものならたくさんやっているのです。
「でもどうしてイベントに行こうと思ったの?」
「前から興味はあったし、行ってみたいなあって思ってたんだあ。それでちょうど近くであるって知ったからさあ、行こうかなあって」
「へえ」
吉野くんにはそう言ったけれど、本当の目的は別にありました。
吉野くんに、お話の出来る友達を作る機会を上げること。
それが本当の目的です。
イベントについて調べていてわかったことなんですけれど、特に地方の小さいイベントでは、参加者とお客さんの交流が盛んであるそうなのです。
そして何より、そこには同じような趣味を持っている人がいっぱいです。
つまり、吉野くんに趣味つながりの友達を作ってもらえるのです。
我ながら、なかなかのアイデアだと思います。
さすがわたしです。腕と胸に行かないぶんの栄養が脳に行っているのです。ですからわたしはおそらく、人よりも腕一本分、そして胸のワンカップ分、かしこいのではないかと思います。
「楽しみだねえ」
わたしが言うと、吉野くんは笑って「僕も」と言ってくれました。
というわけで今週末は、同人イベントに初参加です。




