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四章

 十一月も終わりに近づきまして、わたしの手元には一枚の紙がありました。それはこの時期の高校生は全員が持っていると言ってもいいような紙です。


 わたしたち以外誰もいない図書室で、わたしはその紙を前に頭を抱えます。


 「ねえねえ、吉野くん。これもう書いたあ?」


 「いや、まだ。なかなか、決められなくって」


 「そっかあ」


 「……やっぱり難しいよね、進路って」


 わたしはため息をついて、進路希望調査票と書かれた紙を机の上に置きました。


 わたしたちはもう高校三年生です。高校生でいられる時間は、もうわずかです。ですから、この先の進路を決めなければいけません。

 時間に居場所を追われたわたしたちは、次の居場所を見つけなければいけないのです。さながら渡り鳥のように。


 「吉野くんは進学?」


 「うん、一応大学は行っておこうかなって」


 「やっぱそうだよねえ」


 「君は、大学……行けるの?」


 「ああ? わたしの頭が悪いってかあ? おうこら」


 「いや、そうじゃないよ。だいいち君は僕より成績いいじゃないか」


 そうなのです。吉野くんもけっこう勉強できる方なのですが、わたしはさらにその上を行くのです。ま、放課後は勉強くらいしかすることがないっていうだけなのですが。


 「そうじゃ、そうじゃないだろ。そうじゃなくって、だって、君は……」


 「うん、そこは大丈夫。わたしも進学、するよ。きっと、なんとかなると思うから」


 吉野くんの言いかけたことを遮って、わたしは言いました。


 「わたしはわたしのしたいようにする。だから、大丈夫だよお」


 「……そう。僕に何かできることがあったらなんでも言ってね?」


 「うん。ありがとう」


 「絶対だよ? 君は一人で我慢したり耐えたりするところがあるから」


 「はいはいはあい」


 「真面目に聞いてよ」


 吉野くんはわたしに心配でいっぱいの目を向けていました。そこでわたしの心の中に、最近顔を見せていなかった、吉野くんに意地悪したいという欲求がむくむくと現れました。


 ああ、わたしってやっぱりSなのかもしれないなあ。


 「吉野くんは本当にわたしのことが心配なんだねえ。まったく、本当にわたしのことが大好きなんだねえ」


 ほら、赤面してあわあわしろっ! いつものようにな!


 わたしは吉野くんの反応に期待しました。今日はどんな面白い反応を見せてくれるのかな? まるで物質の性質を調べる科学者みたいですね。


 そして、吉野くんはわたしに反応を返してくれました。


 だけれどそれは、わたしが期待したものでも予想したものでもありませんでした。


 ……いえ、期待していなかったわけでは、ないのかもしれませんが。


 「うん、そうだよ。好きだから、心配なんだよ」 


 「…………へっ!?」


 わたしの口から変な声が出ました。体全体がびっくりして、そのびっくりが口から飛び出てきたみたいでした。


 「幡宮さん」


 「は、はいっ!?」


 吉野くんはわたしの目をまっすぐに見つめてきます。な、なんだというのでしょう? わたしの目なんて見たって面白いことなんて書いていないはずなのですが。


 「もう、はっきり言っておく」


 「う、うん」


 「僕は君のことが好きだ」


 「は、はい!?」


 「だから、僕は君のことが心配だ。君の強さを知っているから、心配だ。だから、ずっと君のそばにいさせてほしい。そばで支えさせてほしい。見守らせてほしい。頼ってほしい。……だから、幡宮さん、僕と付き合ってほしい」


 「は、はいっ!! お願いします!」


 あれ? 勝手に喉と口が動いて返事をしてしまいました。もう、一瞬の間さえなしに。即答してしまいました。


 それが、本心だったからでしょうか。


 こうしてわたしと吉野くんの関係には、友達というものに、もう一つ、俗っぽくて素敵なものが加わりました。


 わたしと吉野くんしか、知らないことです。二人の秘密です。


 ちなみに進路希望調査票には、適当に、なんとなく興味のある大学の名前をいくつか書いておきました。


 『お嫁さん』という小学生みたいな進路は、この時は書きたくなりましたけれど、ぐっとこらえて我慢しました。


 誰のお嫁さんかというのは、内緒です。


 「…………」


 「…………」


 「……あ、そうだ。それじゃあ二千円返してよお」


 「は? このタイミングで?」


 たしかに告白されてから急に金の話に移るのは、ちょっとわけがわからないでしょうが、これにはちゃんとした理由があります。


 吉野くんには言いませんが、わたしが吉野くんからお金を受け取らなかったのは、吉野くんがわたしから離れていかないように、です。吉野くんはなんだかんだで真面目だから、お金を借りっぱなしでわたしから離れていくことはないと思い、わたしは吉野くんからお金を受け取らなかったのです。取引関係だけでは、ちょっと不安だったのです。


 友達になった後も不安で、それから後も不安で、お金でつなぎとめていないと不安だったのです。


 ですが、それももうこれまで。


 そんなふうに吉野くんに対して疑いの心を抱えたままでは、いけないと思います。吉野くんが、わたしを好きだと言ってくれるのに、それではいけません。


 わたしは全幅の信頼を、吉野くんに寄せることにします。寄せたいと思います。


 「まあ、僕としては受け取ってくれることは素直に助かるんだけど」


 言いながら吉野くんは財布をカバンから取り出しました。そしてわたしは千円札を二枚、受け取りました。


 「これで君も綺麗な体だねえ」


 「まるで僕が借金まみれだったみたいな言い方はよしてよ」


 「あっはっは!」


 まあ、これで、わたしは晴れて無条件に吉野くんを信頼できるようになりました。

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