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そわそわの一日

「おーい圭吾帰ってこーい」

そんな声が遠くから聞こえるような感覚。

目の前でちらちらと動く手にはっとした。


「やっと戻ってきた。でれっとした顔して何を想像していたんだか」

失笑と共にそんな言葉が降ってきた。

「してねーよ」

そうは言って口元を引き締めてみるものの今しがたの頬の緩みはバレバレだったようで。

目の前の悪友は肩を揺らしながらそっぽを向きはじめた。

郁と付き合い始めてから幾度こんなやりとりをしたか解らない。


だってしょうがねえだろ。

郁が来るんだぞ……俺の部屋に……。


「今度はなんだ? もしかしてとうとう?」

その声は冷やかし以外のなにものでもなくて、下世話な奴だと冷めた目しか出来なかった。

いや、聞いてくれるなと言ったところか。俺の冷め視線を感じたのか真治は探るような視線こそすれど何も聞いてはこなかった。いつもの俺だったらつい喋ってしまうところだが、今日だけは話したくないと思った。本当に話す程の事でもないしな。真治を無視して目の前の教科書に目を落とすふりをした。考える事は放課後の事だけ。

一番の問題は母さんだ。

あの母さんが普通にしてくれるかどうかが気がかりでならなかった。

中学の時も……思い出すだけで身震いしそうだった。初めて涼子が家に着た時だって、その晩の夕飯の居心地が悪かったのって。きっと今日もそうなるだろう。

せめて、兄貴が家に居ない事を願うばかりだ。

刻々と時間が過ぎて行く。当然の事ながら授業はまったく耳に入らず。

机の中から代わる代わる教科書を出すだけ、気がつけば窓の外を眺めている俺がいた。

今日ほど、空を眺めた日は未だかつてないくらいに。


ホームルームが終了すると、真治捕まらないうちに教室を出た。あいつを構っている時間なんてないからな。廊下を早足で通り抜けながら途中すれ違う友人に手を上げて学校を飛び出した。


「ただいま」

そう声は出しているみるものの、鍵の掛った家は誰も居ない事は承知している。

きっと母さんは買い物ついでにクリーニング屋に寄っているに違いない。

部屋のドアを開けると、いつもよりもほんのちょっとだけすっきりした空間。

普段から、ちらかしてはいないので、そんなには気にもならなかったが、机やベットの周りの読みかけの小説を本棚に戻したり昨日の晩部屋の中をうろうろとした事を思い出してしまった。

いつもだったら放りだす鞄もきちんと机の隣に立てかけて、ポケットから携帯を取り出すと見慣れたアドレスをクリックした。


――今日は大丈夫? 駅に着いたら迎えにいくから――


送信済みの文字を目で追う。送ったばかりだというのに返信が待ち遠しくて。

こういうのを「そわそわ」した気持ちっていうのだろうな。じっとしているのももどかしくて、何度も本棚をいじってみたり。そのうち、自然と足が玄関に向かっていた。

どうせなら、駅で待っていればいいんだと。

自転車にまだがると、駅への道を走りだした。

ともすれば、空回りしそうな足。頭と心だけじゃなくて、足までもかよ。と自分に突っ込みを入れながら。駅まで100メートルというところで、ポケットから振動を感じた。

待っていた郁からの返信がやってきたのだ。


――実はもう駅に着いてしまったんだよ。今、丁度花火の時に寄ってくれた学校の近くにいます。迎えに来てくれるのだったら学校の門のところでいいかな?――


もういるのか? 慌ててきた道を引き返す。学校への道のりはここから反対方向だっていうの。さっきよりも勢いをつけてペダルを踏み出した。夕方の住宅街を人を除けながら前に進む。顔を上げると少しだけ校舎の屋上にある給水塔が目に入った。そして最後の角を曲がると校門のわきにそびえ立つ銀杏の木が視線の先に見えてきた。ここからはちょっとスピードを緩めて、少しだけ息切れした息を整えながらペダルを漕いだ。人気のないこの路地裏は良く見渡せて、校門の壁に寄りかかる郁が目に入った。段々とはっきりしてくるシルエットにまた自然とペダルを漕ぐ足が速まる。あと10メートルというところで、俯いていた郁が顔を上げこちらを向いた。その顔がゆっくりと笑顔になっていくのを目の当たりにして、思わず名前を呼んでいた。

本当は、落ち着いて「お待たせ」とか何とか言おうと思っていたのに


「迎えに来てくれてありがとう、早かったね」

と先に言わせてしまった。

「郁こそ、早かったね」

いつもの道を2人で並んで歩くのは何だか不思議な気分だった。

「荷物乗せて」

郁の手にある荷物を自転車の籠に促すと、郁は

「ありがとう」

と鞄を籠に置いた。そしてもう片方の手に持ったままの包み。

「そうそう、これね。ケーキを買ってみたんだ。前を通ったらとっても美味しそうだったから」

そう言ってケーキ屋の包みを高く掲げた。俺も良く知っているこの辺でも美味しいと評判のケーキ屋だった。

「美味しそうじゃなくて、美味しいよ」

俺の言葉に、満面の笑みを浮かべる郁。

「そうなんだってね、お店で一緒になった人にそう言われたよ。何でもここのタルトは絶品だとか。ショートケーキは甘さ控えめだけど、すっごく美味しいとか。迷わず購入してしまった」

その時の事を想い浮かべているのだろう、郁はすっごく楽しそうな顔をしている。それはそうと、タルトにショートケーキかぁ。俺と同じ好みだったり。甘いもの好きの郁だったらきっと喜ぶに違いないそれらのケーキ。俺が買った訳でもないのに妙に嬉しくなる俺がいた。

他愛も無い会話をしているうちに、気がつくと家の前。

「ここだから」

そう言うと、突然郁の足が止まった。

「大丈夫かな? 突然おじゃまして」

さっきまでの顔は何処へやら、急に引き締まった顔になった郁。

本当は、俺だって緊張しているっていうの。

「大丈夫に決まってるだろ、ちょっと……その何だろ。外野は煩いかもしれないけれど」

俺の言い方が悪かったのか、ますます顔をこわばらせる郁。

「あの……えーっと。歓迎され過ぎるかもって事だよ」

俺も何て言ったらいいのか解らずにちょっと声が窄んでしまったり。自分の家の前で2人立ち止まっていた時だった。


「何やってるの、こんなところで。あら、貴方さっきの」

妙に明るい母さんの声だった。

「あっ。初めまして……じゃないっと、やっぱり初めまして。佐伯郁です。今日は突然すみません」

挨拶を終え顔を上げた郁と母さんの目があって、初めに笑いだしたのは母さんだった。母さんの手には郁と同じケーキ屋の包み。それにつられて笑う郁。俺の事なんて目に入ってないようだ。

「いらっしゃい、さぁさ上がって。待ってたのよ」

郁にそう言うと俺に向かってなんだその目は。その目はやめろって。それに待ってたって家にいなかったじゃないか。

少しだけ、柔らかくなった表情の郁の背中に手を当て玄関に入った。するとどうだ、俺の事を無視して何でリビングに連れていくんだ? テンションの上がりまくった母さんに何を言っても無駄で。あげくの果てには

「圭吾、あんたもケーキ食べる?」

なんて。俺の客なんだってば。勘弁してくれよ母さん。そしてまた信じられない一言が。


「あっ、そうそう母さんクリーニング取りに行ったはずなのに、買い物したら忘れちゃったのよ。圭吾取りに行ってくれる?」

と。間髪入れずに郁も立ち上がって

「私も一緒に」

そう言ってくれたのだが

「いいのよ、郁ちゃんは。ケーキ食べて待ってましょ」

なんて。頼むよ本当に。学ランがないと話にならないじゃないか。郁は少し困ったような顔をしたが、母さんはそんな事ちっとも気にならないようで。こそっと郁に耳打ちすると、郁は母さんの顔をじっと見つめて、にっこり頷くと

「じゃあ、私待っているね。気をつけて」と言うじゃないか。

俺はしぶしぶとクリーニング屋へ急いだのだった。一分でも一秒でも早く家に戻ろうとまるで競輪選手になったかのように自転車をかっ飛ばしたのだった。













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