第一層『ペルトラ・デル・ソーレ』
「双子石じゃないの!」
台所に無造作に置かれた石盤を見て姉さんは驚いた。
「ギルド長も無茶するわね」と言いながら、手配がし易くなったと喜んだ。
早速、知り合いの商人にドラゴンの早期回収を依頼した。
そのやり取りのなかで、ソルダーノさんの店を『ビアンコ商会』の系列店に加え、居住区画を丸々任せて貰えることになった。
『ビアンコ商会』が扱う商品は商業ギルドとあまりかぶらないので、これで商品の競合問題も解消する。
港湾区の一等地に商館が置かれることも決まったので、物資の買い付けはそこを通すことになる。交易に頭を悩ますことがなくなるので、ソルダーノさん的にも大助かりだ。さすがに中海を越えるような交易を個人でやろうとすると費用も掛かるし、失敗したときのリスクも甚大だ。これは御用商人になるより、ありがたい申し出かもしれない。一回の失敗で店を畳むことも、最悪、婦人が未亡人になることもなくなったのだ。
結果、僕たちの発注も気兼ねなく行えるようになった。
『ビアンコ商会』は飛空艇の建造もやってのける巨大な複合企業だ。『ロメオ工房』の商品も扱っている。
「商業ギルドもすっ飛んでくるわよ」
そりゃそうだ。
「一気に人が増えるから覚悟しときなさい」
「駐屯部隊の指揮を執るロマーノ・ジュゼッペだ。資材が届くまで何もできんが、よろしく頼む」
背の低い白髭を蓄えた老人だった。とても冒険者には見えないがそれもそのはず、工房職人である。ヘモジのミョルニルよりでかい、使い込まれた金槌を腰からぶら下げていた。
「ナーァー」
羨望の眼差しで見上げるヘモジだが、神槌ミョルニルの方が凄いから。
「今後、前線で修理できないガラクタはすべてこちらに回されてくるだろう。わしらはそれらを分別し、戻せる物は戻し、できない物は処分するのが仕事じゃ。船の修理が終わり次第、船は前線に戻すが、ドック船はこのままこの場に待機することになっておる」
「港の整備が整うまでは?」
「そうなるの。ところで、前線を離れた我らにも稼ぎの場が与えられると聞いたんじゃが」
「暇を持て余しているなら迷宮探索はどうですか? マップの作成もして頂けると後で冒険者ギルドから褒賞も頂けるはずなんですけど」
「噂は本当じゃったか!」
「難易度は中上級者向け。一階にいる妖精にだけは注意してください。あれは味方ですから」
「あの飛んでる小っこい嬢ちゃんの仲間か?」
「ええ、まあ」
「気を付けよう。それにしてもお主たちだけでよくもまあ、ここまでやったもんじゃ。とても二週間の仕事とは思えんぞ」
「表面をならしただけですよ。細かい所は何も」
「わしも若い頃はスプレコーンに住んでおったからの。ヴィオネッティーの無茶振りはよーくわかっておる。わしの部下も大半がそうじゃ。やれることがあったらいつでも遠慮なく言ってくれ」
「見張りを代わって頂けるだけも充分助かります」
「船はあの様じゃが、ガーディアンは健在じゃ。使ってやってくれ」
「はい。お力拝借します」
「それにしてもよい場所があってよかったの。海水ではなく淡水じゃろ?」
「この湖もリオネッロが造った」
通りすがりのオリエッタがしゃべった。
「猫がしゃべった!」と付き添っていた男が飛び退いた。
「猫違う! スーパーネコ!」
わざわざ二足で立って肉球を突き上げた。
「なんじゃ、オクタヴィアか? 宗旨替えか?」
「違う、オリエッタ!」
「子供か?」
「違うけど、親戚」
大雑把だな。確かに里の猫又は遡ればみんな親戚だろうけど。
「それより造ったと言ったか?」
「オリエッタたち頑張った」
「なんと…… こりゃ驚いたわい。ガハハハハッ。それでこそヴィオネッティーじゃ!」
「は、はあ…… 恐縮です……」
「取り敢えず、警戒は任せておけ。お主たちはしばらく休むとええじゃろ」
「では御言葉に甘えて」
ミントのためにようやく迷宮に潜るチャンスが訪れた。
人選はソルダーノ夫妻以外全員。
出現する魔物のチェックや、マップを作りながらの移動になるので、忙しい夫妻は万事状況が整ってからということに。
「なんで全員なんだよ」
「いいだろ、別に。嫌ならトーニオだけ帰れよ」
「嫌だなんて言ってないだろ!」
「ちょっと喧嘩しないでよ」
「してないよ。ガーディアンの操縦がしたいだけ」
東屋の前で子供たちが騒いでいるのを尻目に、僕はゲートが正常に機能しているか確認している。
「師匠、回収する物なんてあるの?」
「獣の類いがいると言ってたからな。大人しい獣ならいいけど、曲がりなりにも中上級者向けの迷宮だからな」
「狼は面倒臭いわね」と、ラーラが言った。
「狼!」
「狼って何?」
「ヴィート、知らないの?」
「見たことないもん」
「まあ、砂漠にはいないからな」
「タロスの番犬を小さくした奴よ」
「どれくらい?」
ニコレッタも聞いてきた。
「いろいろだな。犬っころのサイズからそれこそ番犬並の奴までいる」
「そんなでかいのどうやって倒すの?」
「それを学ぶ場が迷宮なんだよ」
「じゃあ、行くわよ。行き先間違えたら死ぬからね。間違ったときは速やかに戻ってくること。行き先は一階よ。地下じゃないからね。脱出用の転移結晶みんな持った?」
「いいから早く行ってよ」
「お姉ちゃんの後付いてけばいいんだろ?」
「ゲートが開いてる時間は長くないからね。師匠じゃないんだから待ってくれないわよ」
「りょうかーい」
「大丈夫よ。ここにいる全員、初めてなんだから。他のフロアに入りたくても入れないわよ」
心配しきりのラーラをイザベルがなだめた。
そうだった。迷宮の転移ゲートにはいきなり深部に入れないように安全策が講じられていたんだった。
ラーラはオリエッタを肩に載せトーニオの、イザベルはヴィートの手を引いた。フィオリーナはヘモジとマリーの手を引き、ニコレッタはモナさんの手を取った。
僕とジョバンニ、それとミントは荷運び用のガーディアンに乗ったまま東屋の手前で立ち止まった。
「設定いじるから待ってろ」
物資転送用の手続きだ。ガーディアンも荷物の内と考えればわかり易いだろう。
当然、手荷物以外の物資の転送には余分な魔力が必要になる。
手数料はその土地の領主が決めることだが、エルーダではフリーだった。この世界では魔力は貴重だ。でも一々ここで立ち止まられても困る。渋滞の元だ。やはり徴収係など置かずにフリーパスにすべきだろうか?
管理者権限を利用して初期設定をフリーパスに設定し直した。
これで勝手にシステムが判断してくれるはずだ。
「ガーディアンを迷宮に入れたいときは、必ず乗ってなきゃ駄目だぞ。そして乗ってる奴が転移を実行するんだ」
東屋のなかまでは当然、ガーディアンは入れない。だから魔法陣の影響範囲を広げなければならないのだが、それを今自動化したところだ。
「俺がやっていいの?」
「魔方陣が一瞬光ったろ?」
「うん、光った」
「その範囲内に自分が入ればいいんだ」
後で有効範囲をマーキングしておくか。
ジョバンニはガーディアンに乗ったまま魔方陣の影響範囲のなかに入った。
僕もガーディアンに飛び乗った。
「『一階』だぞ」
「『地上』の下だよね?」
「そうだ。『地上』はここだからな。選んでいいぞ」
「うわぁああ!」
一瞬だった。
外光が差し込む洞窟の入口が目に飛び込んできた。振り返れば閉まったままの大扉。
僕たちは安全地帯である地下坑のなかにいた。
ジョバンニは叫んでしまった自分に赤くなりながら目をこらしていた。
ミントは荷台に身を潜め、そっと頭を縁から覗かせ暗がりを警戒している。
僕の転移魔法に慣れていた子どもたちはさぞ驚いたことだろう。
二つの空間に連続性を持たせるため、普段僕はあえて曖昧な境界を設けているが、転移ゲートによる転移はいつだって紋切り型だ。突然世界が切り変わる。
ジョバンニの驚く姿を見て、先に着いた連中が笑う。
「お前らだって驚いただろ!」
「いいから子供たちはガーディアンに乗って。結界張るから勝手に降りるんじゃないわよ」
ラーラが子供たちの尻を叩いて荷台に押し込んだ。
「ミント、仲間がいそうだと思ったら教えろよ」
代わりに押し出されたミントは僕の肩に下りた。
「うん。そうする」
緊張しているのか、いつものような覇気が感じられない。
「地図は誰が?」
「モナに頼むわ。戦闘に参加する連中は動き回るから」
「清書は後でするから、我流でいいわよ。わかればいいんだからね」
僕が仕切らなくても大丈夫なようだ。
穴蔵を抜けるといつぞやの草原が見えてくる。
青々とした丘陵地帯のなかに深い緑の森が点在する。
獣ならば一目瞭然。足の速い敵だけ要注意だ。
でも何が生息しているかわからないというのは…… こなれたエルーダより、スリリングだ。
「兎!」
オリエッタがラーラの肩の上で首をもたげた。
「あっちは鹿だな」
森のなかに鹿の群れだ。
「兎? 鹿? どこ?」
子どもたちは望遠鏡片手にキョロキョロしているが、僕とオリエッタの索敵範囲は視界の外にある。
「見えないよ」
「見えるようになったら教える。肉眼だけに頼らずに『魔力探知』も働かせろよ」
「ナナ?」
「狩らなくていい。今日の目的は狩りじゃないからな。襲ってくる奴だけでいい」
「ナーナ」
僕たちはひたすら北に進んだ。
「なるほど」
目の前に突然、峡谷が現われた。
さすがは序盤、二十分程歩いたところで行き詰まった。思ったほど広くない。
なんとなく広さがわかったところで、転進、最寄りの森を目指すことにした。渓谷に沿って左に進んだすぐ先に森がある。
「兎だ!」
子供たちが騒いだせいで茂みのなかに消えてしまった。
モナさんが生息域を記録する。
「『魔獣図鑑』開いて、該当する兎を教えてくれる?」
「いっぱいあり過ぎてわかんない!」
「一瞬じゃ見分け付かないよ」
軽めに雷を落とすと、ヘモジが茂みに突撃した。
そしてガサゴソとすぐに戻ってきた。
「ナーナ……」
ヘモジの両手には気絶した角兎とヘモジより小さな小人がぶら下がっていた。
「ナナ……」
「変なの捕まえた?」
ミントが僕の肩を蹴り飛ばした!
「こ、これ! ミントの仲間!」
ミントのお仲間『ペルトラ・デル・ソーレ』であった。
「死んだ?」
子供たち全員、荷台の手摺りから身を乗り出して覗き込んだ。
ヘモジはぐったりのびているそれを乱暴に扱いながら、胸に耳を押し当てた。
「ナーナ」
「『生きてる』って」
オリエッタが通訳した。
皆、胸を撫で下ろした。
「ナーナーナ」
ヘモジはそれを握り締めたまま茂みの方を指差した。
「『他にも転がってる』って」
オリエッタの言葉に僕たちは慌てて駆け出した。
「なんで探知に引っ掛からないかな」
「たぶん向こうも兎狩りの最中だったのよ、きっと」
「索敵の精度変えないと」
「このフロアは要注意ということね」
あまり精度を上げ過ぎると虫の類いまで拾ってしまって、却って見づらくなってしまうのだが、致し方ない。
全部で四人ぐったりしたのが見付かった。
雷弱めにしておいてよかった……
マップはもう少し待って下され。
小っちゃなタブレットで描いてるので出来は期待しないように。
ただの禿げ山を描くのは意外に難しい。




