迷宮にて
見たことのある頑強で見事な装飾を施された大扉が、そそり立つ蔦の絡まる壁一面に貼り付いていた。
腰のポケットにズシリと重い物が落ちた感触があった。
ポケットを弄ると中から古びた金の鍵が出てきた。これもまた見たことのある鍵だった。
「『迷宮の鍵』!」
ラーラがすぐに飛び付いた。
扉と鍵が揃えば、やることは一つだ。
皆、固唾を飲んで僕の手先を注視する。
緊張する。心臓が早鐘のように鳴っている。隣にいるラーラに聞かれてしまいそうなぐらい激しく響いている。
「行くぞ……」
鍵穴に鍵を差し込もうとしたら、カチッと音がした……
「あ」
ギイイイッ……
「……」
重々しく重厚な音を奏でながら扉が開いた。
「そうだった。鍵を近付けるだけで開くんだった」
皆、大きな溜め息をついた。
「ちょっと、師匠さん!」
「師匠!」
「今の何?」
「勝手に開いたよ!」
「鍵掛かってなかったんじゃないの?」
「しっかりする!」
「ナナーナ!」
お前らは知ってたろ!
わずかに開いた隙間を子供たちが押し広げていく。
「やあ、久しぶり。思ったより遅かったね」
黒髪黒目のヤマダタロウ氏が眩しい光源を背に、いつもと変わらぬアカデミックな服装で待ち構えていた。
「ヤマダさん!」
「約束だからね。色々レクチャーしに来て上げたよ」
「誰?」
子供たちが怪しそうにヤマダタロウ氏を見上げた。
「お初にお目に掛かる方々、お初にお目に掛かります。そうでない方、お久しぶりです。ヤマダタロウこと、ゲートキーパーにございます」
「ゲートキーパー?」
「迷宮の管理者でございます。細かい話は後でリオネッロ様に聞いて頂くとして…… 何やら近づいてきていますね」
ヤマダタロウ氏が宙を見上げた。
「やはり来たか」
「第二形態ですか?」
「ええ、魔力の反応に敏感なようで。どういう嗅覚してるんだか」
「彼らにとっては餌ですからね。好物に寄ってくるなと言うのがどだい無理な話です」
「倒してく――」
「大丈夫!」
僕を引き止めた。
「次元移動に干渉して、明後日の方に跳ばしてやりましたから。こちらの用件を先に済ませて仕舞いましょう」
全員がきょとんとした。
「相変わらず凄いですね」
「天敵ですからね。容赦しません」
「では、こちらへどうぞ」と腰を折りながら僕たちを招き入れた。
僕たちは彼の後に続いて光源の先に進んだ。
広大な景色が悠然とどこまでも続いていた。
久しく見ていない緑の草原だ!
肌を刺すような日差しも、焼けるような照り返しもない。程よく湿った微風が草の匂いを運んでくる。
懐かしい故郷の景色……
子供たちもソルダーノ夫妻もイザベルもモナさんも目を見開いたまま立ち尽くしている。
彼らには初めて見る景色だろう。
イザベルはビフレストの迷宮を攻略してるから、似たような景色を見ているだろうが、それでも雄大な景色に圧倒されていた。
「色々考えたのですが、第一層は何もない方がよいかと思いまして」
「魔物は?」
「それなりにおりますが、魔物というより獣に近いものを配置しました。肉も採れますし、皮も剥げますよ。一応緊急用のシェルターも兼ねていますから、サービスフロアと言ったところでしょうか。ただしエルーダ同様、中上級者向けですから、多少の危険は伴いますが」
「ありがとうございます。助かります」
「前にも言いましたが、これは恩返しにございます。礼は不要です。それとエルネスト様のご希望で、既に教会の手を借りて五十層までのゲート建設も終わらせてありますので、いつからでも攻略可能です。ご安心を」
「ほんとに!」
ラーラが驚いた。
「突貫工事でしたがなんとか間に合いました。あちらの世界に帰ることがあったら、聖女様にお礼を言っておいてください」
「ロザリア様が?」
「ええ、前例がない程、速やかに攻略なさいましたよ。びっくりです」
そうなのだ。ゲートを造るためにはまず攻略しなければならないのだ。
管理者との盟約に従い、ロザリア様たち聖騎士団が各階にゲートを設置、稼働できる状況まで持っていってくれたのだ。特殊な管理者権限を一時的にゲートキーパーから付与されている教会にしかできない専権事項だとはいえ、感謝に堪えない。
「それで、どちらに脱出ゲートを設けましょうか? 先程の地下になさいますか、それとも地上に?」
「湖面に近い場所にゴーレムが二体並んでいる整地が見えますか?」
「ええ」
「中央に」
「なるほど…… よい場所ですね。あそこでよろしいですか?」
「はい。お願いします」
僕は頷いた。
「まあ、後で位置を変えたくなったら、教会へご依頼ください。やってくれますので」
法外な手数料を取られてね。
ヤマダタロウ氏が片手を上げると作業は一瞬で完了した。
「では…… おおっと! 大事なことを忘れるところでした。こちらを」
懐から出すには大き過ぎる板のような物を取り出した。
「石盤? これ…… まさか双子石!」
「はい。冒険者ギルドからです。既にメインガーデンのギルドと繋がれていますよ。アールヴヘイムと連絡される折に利用なされるといいでしょう。勿論メインガーデンにも。メインガーデンのギルドマスターが迷宮が完成したら連絡を寄越すようにと言っていましたよ」
「わかりました。返事をしておきます」
信じられないサプライズだ!
「ああそうだ! また言い忘れるところでした。迷宮内ではガーディアンでの戦闘は禁止ですよ。迷宮とは冒険者自身を鍛錬する場所なんですからね」
「えー。そうなんですか?」
「だってガーディアンを使ったら、最下層も楽勝でしょ?」
「言われてみれば……」
「他の魔導具はいいのにどうなんだという話はあるのですが、持つ者と持たざる者のバランスを考えると如何ともし難く。ガーディアンを基準にして、いきなり最初のフロアに上級の魔物を配するわけにもいかないものですからね」
爺ちゃんと一緒のときも、迷宮ではガーディアンは使ったことがなかった。飛空艇には乗っていたけど。あれはさすがに普通の冒険者じゃ迷宮に入れられないから論外だ。でも術者の技量が重要なファクターになるゴーレム召喚は可能だった。
「運搬用も駄目ですか?」
冒険者志望のヴィート少年が真剣な顔で尋ねた。
「武装を解除している物なら荷馬車と同じですから可能です。でも皆さんには必要ないでしょう。自分たちの倉庫を近場に設ければ済むだけの話なのですから。この距離なら物資搬送用の転移ゲートを用意しさえすれば直接倉庫に放り込めるんじゃないですか?」
「ああッ! その手があった!」
自分たち用の倉庫にゲートを置けば転送可能だったんだ! エルーダは家から遠かったからできなかったけど、ここならそれができるんだ! 物資搬送用のゲートなら頼めばすぐ手に入る!
「エルーダより便利になった」
オリエッタが二足二尾で身体を支えながら手をぽんと叩いた。
こうなったら即刻ゲートを手に入れなきゃ。
「ああ、そうそう。最下層の方はエルーダより強力ですよ。何せこの世界はタロスが闊歩していますからね。玄関口の警備は入念にしておかなければ。他に…… 何か伝え残したことはありましたかね…… ああ、例の『ミズガルズ解放自由戦線』 あれも解決しましたよ。詳しい話は追い追い誰かに聞いて下さい。他には…… まあいいでしょう。何かありましたら、どの迷宮の最下層でも構いませんから使いを寄越してください」
ギルドの規範に則り、死は自己責任だと言いながら、ヤマダタロウ氏は足早に迷宮の奥へと消え去った。
そしてまた「言い残したことが」と声だけ戻ってきて、ミントの仲間が一階フロアのどこかに居を構えているはずから殺さないようにと釘を刺して、今度こそ消えた。
みんなは彼が消えた後もまだ固まっていた。
氏の流暢な話しぶりもさることながら、弾けた状況が今一飲み込めていなかった。
僕もラーラもゲートの件や双子石の件に当てられ、しばらくその場で呆けていた。
ミントは大粒の涙を流していて、ヘモジとオリエッタに介抱されていた。
迷宮を出ると港湾地区の真ん中にできた転移ゲートを探した。
「あった!」
「うわぁあ」
見付けたゲートはエルーダのような紋章を掘ってあるだけの平らな敷石ではなかった。
港にふさわしからぬ巨大な白亜の東屋の中央の床にあった。
「短い命だったわね」
ニコレッタは闇に紛れて見えなくなったゴーレムの足元に目を遣りながら、あれ程頑張って造った地下道が早くもお役御免になったことを哀れんだ。
折角全員揃っているのだから、全員の登録を済ませてしまおうということになった。
ゲートの管理者権限は僕とラーラが持ち、サブ権限を残りの大人たちに与えた。十四歳以下はギルドの規定で冒険者見習いということで、子供の入場に関しては必ず大人が同伴することとした。
例外はミントである。仲間の居場所が見付かったら出入りを自由にする約束をした。どんな魔物がいるかまだわからないので、つらいだろうがもう少し我慢して貰うことにした。
「お腹空いたよ」
「僕も」
「マリーも!」
「ナーナ……」
もう闇が支配する時刻になっていた。




