迷宮の扉開設
生憎、井戸も水道も引いてないからな。
「いくら退屈だからって、こんな所に作るお前が悪い」
魔法の水より天然の水がいいとこだわるから、なおさら面倒なことになる。
いずれ上流から水を引いて砦と村の広場に噴水でも造ろうかと思っているが、さすがにてっぺんまで引く気はない。うちの台所も魔法で事足りる。
水は足元にもあるのだから、北の滝口の遙か先から引いて来なくても、水車で汲み上げた方が早いだろうか。
オリエッタが湖で汲んだ水を空のワイン樽に入れて、ガーディアンで見張り場まで運んできた。
「お待たせー」
「ナーナンナー」
ジョウロを早速樽に沈めて水を汲むと草の生えた土に撒いていく。
鼻歌交じりで腰をフリフリ、ヘモジの動きも軽やかだ。
それにしても見晴らしのいい所だ。
唯々砂漠が広がっているだけだが……
北側は一瞬見ただけではわからない上り勾配。水流は地下にあり、地表にはない。
壁を築くと言っていた部隊がウロウロしているのがかすかに見える。海側から来る敵を東側に誘導するための防壁建設だが、作業は遅々として進んでいないようだ。
元々戦闘用のガーディアンでは土木作業は無理なのだ。俊敏さを要求され、なおかつ飛行するガーディアンの骨組みは軽いことが絶対条件。余計な加重には対応していない。そもそも自重より重い物を運べるはずがない。
ゴーレムと違って運べるブロックの重量も大きさもそもそも違うのだ。
こちらの作業が終わったらタイタンを貸した方がよさそうだ。
緑がかろうじて地平線ギリギリの位置と、ちょうどその半分の位置に見える。霞んだ先に山の影が薄ら浮かんでいる。
あそこから水を引くのは無理だ。水を引くなら滝口からの方がよさそうだ。足りない高さ分だけ水車で補うというのはどうだろう。
「ナーナ」
豆植えた?
ヘモジは根の長い植物を水辺に植えると緑化が進むと嬉しそうに僕に講釈を垂れる。
オリエッタはオリエッタで樽よりもう少し大きい水槽が欲しいという。
「ナナナナ。ナーナナ」
「そうか。この湖の周りを緑に変えるか」
「ナーナ」
そのためにも土の魔石がもっと欲しい?
ヘモジ兄も迷宮に出掛ける度に屑石をよく拾ってきていたな。
「おや?」
村の中央広場を作る予定の平坦で子供たちが何やら騒いでいる。
「どう? 凄いでしょう」
「すげー。床が御影石でぴかぴかだ」
「『無刃剣』 物にしたわよ」
ニコレッタが自慢げに滑らかな床を靴で叩いた。
僕はあまりのことに呆れて言葉を失った。
誰よりも辛抱強い彼女だったが、まさかこうも早く魔法の制御力を身に付けるとは……
「炊事洗濯で。以前から少しは使えたので」
言葉少なく、僕に理解を求めた。
「凄いな、ニコレッタ。『無刃剣』は制御が難しい魔法だから、まだまだ先だと思っていたよ」
ニコレッタが柄にもなく頬を赤らめた。
彼女は置き場に困って山積みになっている石ブロックを輪切りにして作ったスレートを床に敷き詰めて、きれいな模様を作っていた。
「ニコレッタ、ここはまだ設計以前の段階だから、やるなら僕たちの占有スペースの方がいいぞ」
「じゃあ、ブロック運んでください。師匠」
藪蛇だった。
僕たちの家に色の違う石ブロックをいくつか運び込んだ。
それから子供たちは『無刃剣』習得のため、ニコレッタを講師に据え、競い始めた。
魔力が枯渇して、すっかりだれていたはずなのに……
四階で作業していたラーラも婦人もイザベルもその勢いに感心しつつ呆れていた。
「子供って……」
かつての僕たちを見るようだと、ラーラは優しげな視線を彼らに向けた。
爺ちゃんたちに遅れを取るまいと子供心に必死だったあの頃を僕も思い浮かべていた。
「こっちが追い抜かれないようにしないとな」
ラーラとイザベルも気合いが入ったようで、補給物資の移動作業にも拍車が掛かった。
とは言え、魔力が都合よく回復することもなく、すぐに限界を迎えた。
「師匠『万能薬』使っていい?」
「舐めるだけにしておけよ」
「やった!」
子供は容赦ない。
「舐めていい」とは言ったが「一瓶、全部舐めていい」とは言ってない。もうすぐ夜の帳が降りてくるときに魔力ギンギンに回復してどうすんだ。
「迷宮の入口を設置しに行くぞ」
僕は全員に声を掛けて回った。
こうなったら残った魔力を少しでも放出させてやる!
記念すべき瞬間だというのに、皆の関心は薄かった。
この砦が存続できるか否かの瀬戸際だというのに。僕たちの苦労が報われるか、この瞬間に掛かっているというのに。
子供たちは迷宮のなんたるかを噂以上には知らなかった。
魔物もいっぱいいるけど、緑もいっぱいあるんだぞ。
全員がノソノソと集まってきてタイタンの一体の前に集う。
夕日はまだかろうじて空に浮かんでいる。
「行くぞ」
タイタンに足をずらすように命令する。
タイタンはその命令だけで、足を横にずらして踏みつけていた床を持ち上げるまでの一連の動作を済ませた。
すると床にガーディアンが通れるほどの穴が現われた。
「おーっ!」
穴を掘った本人たちがなぜか一番驚いていた。
「指を掛けるところをどうやって設けようかと苦労したんだよな」
指を掛ける側の反対側の縁を踏むことで、手前の縁を浮き上がらせるように仕組んだのである。床板を穴の倍の長さにして、その真ん中に支点が来るように踵側に傾斜を設けたのだ。わかり易く言うとシーソーの原理を応用したのである。
結構なアイデアだと思うのだが、誰にも気付いて貰えなかった。
全員が穴に入るとタイタンに穴を閉じさせた。
「見張りいなくて平気?」
オリエッタが心配する。
「タイタンがいるからな。接近されることはあるだろうが、問題はないよ。兵隊は渡ってこられないだろうし、ドラゴンクラスになれば穴蔵にいようと『魔力探知』ですぐわかる。第二形態もな」
タイタンには迎撃用に投擲用の投げ槍を傍らに置いてある。バリスタ並に大きな鏃には魔法を仕込んであるから投げれば当たる。当たったら最後、大爆発だ。
もっともゴーレムはドラゴンが落下したときの地上に与える影響までは考慮してくれない。
でも今は畑も建物も何もないからやりたい放題だ。
十体のタイタンを相手にやれるものならやって見るがいいと逆に言いたい。
第二形態が来たら、ちょっと心配になるかも知れないが…… それも一時、持ちこたえてくれさえすればいいのだ。
「またなんてものを……」
天井の渦巻く螺旋を見上げながら、ソルダーノさんが呆れ返る。
「これ、どれくらい下りるのかしら?」
「そんなに深くないよ。四周ぐらい」
マリーが答える。
勾配が緩やかな分、外周半径はそれなりにある。家の螺旋階段を思い浮かべると痛い目に合うだろう。ガーディアンや馬車がすれ違える程の幅を持たせていることからもわかるように半径は相応に大きく、深度も決して浅くない。
「人間用の螺旋階段も付けなきゃ駄目ね」
ラーラがそのことにいち早く気付いて言った。
「迷宮に入るときはどうせ荷物を運搬するためにガーディアンを使うんだから、なくていいんじゃないか?」
「ガーディアンが壊れたときはどうするのよ。あんたは転移してサッサと地上に出られるけど、他の人はできないんだから。ゲートがすぐ設置できるとは限んないのよ」
「だったら魔導エレベーターにしよう!」
「あれは『魔法の塔』の専売でしょ!」
「仕組みは知ってる。爺ちゃんと造ったことあるし」
「あんたたち専売の意味知ってるの?」
「元々、ラーラのひい爺ちゃんが、別荘の上り下りが面倒だとか言い出して、レジーナ大叔母様に情報を横流しするように命令したんだろ。王家公認みたいなもんじゃないか」
「そういえば、まだ生きてるのかしらね? ダンディーお爺ちゃん」
リオナ婆ちゃんとヴァレンティーナ様の父親のことだ。
「どうせどこかで、また愛人でも作ってるんじゃないか」
「あの人が王様だったなんて未だに信じられないわ」
「同感」
周りに理解が及ばない話をしていても仕方ないので、試しに造ることにして話を打ち切った。
うまく行くようなら家にも設置するか。否、むしろまず家で試さないと。
「とうちゃーく」
「暗いわね」
ミントの羽の輝きだけでも結構見えるけどな。
「まだ光の魔石埋め込んでなかったな」
「なんでここだけ丸いのよ?」
「まだ工事途中だった」
「ちょっとリオネッロ!」
「すぐ終わるから!」
子供たちも一斉に散らばった。
そして方角を定めると、丸いカーブを四角く造形し始めた。
「へー、やるわね」
「まあまあ。みんな凄いわね」
「魔法では追い抜かれたかな」
「あんたも頑張ればいいのよ」
イザベルにモナさんが肘鉄を食らわした。
平らになった壁に最後の光の魔石をはめ込んで作業終了である。
「ようし、終わった。今度こそ完了だ」
拍手が沸き起こった。
「では、迷宮創造の瞬間を御覧じろ!」
僕は持ってきた杭を部屋の中央に突き刺した。材質的にどうかと思ったが、固いはずの岩盤に、まるで土に打ち込むように容易く杭の先が飲み込まれた。
刹那、打ち込んだ杭の先から眩しい閃光が放たれた。
「こりゃ、まずい!」
僕は結界で周囲を覆った。膨大な魔力が溢れてきて、地下の空間をあっという間に満たした。
「タロスに気付かれるかも!」
濃厚過ぎる魔力の圧力に押し潰されそうだった。
「何これ!」
「何も見えないよ!」
子供たちが叫ぶ。
「師匠! 怖いよ!」
「大丈夫! もうすぐ収まるから」
「むしろ外が心配よ」
忽然と光が消えた。と共に荒れ狂っていた魔力も何ごともなかったように収まった。
全員、茫然自失。
立ち尽くして肩で息をするばかりだった。あまりに魔力が強過ぎて、設置したばかりの光の魔石が割れていた。
「魔石が割れるって…… 初めて見たわ」
ラーラが呟いた。
僕は光の魔法で周囲を照らした。
「うわぁあ!」
「何だ、これッ!」
トーニオとジョバンニが叫んだ。
岩をくり抜いただけだったはずの小部屋がまるで古代遺跡か何かのように石のレンガで覆われた神殿様式の広い空間に様変わりしていた。足元は継ぎ目のない石畳。そこに埋もれた四角いブロックには我が家の紋章が刻まれていて、天井にはあるはずのない星空が浮かんでいた。
現実の星空が映っているのか?
「……」
「なんなの、これ?」
「奇跡だ!」
「すげーッ!」
「信じられない……」
「ナナーナ!」
「これも魔法なの?」
みんな壁や彫像に触れ、手のひらで感触を確かめ始めた。そして……




