停滞
遠い。
中層までが遠く感じられた。
「クソッ、転移が……」
魔力消費が未だかつてない。今までなら数回の転移で容易に往復できていたものを……
飛距離が出ない。
「まるで習いたての頃のようだ」
でも急がないと。
僕は万能薬を舐め、ラーラに頷いて次の転移を敢行した。
『ダイフク』は地上に落ちていた。
僕は呼吸するのも忘れて、惨状に見入ってしまった。
丸みを帯びた船体が周囲の船と一緒に大地に転がっていた。
「まるで船の墓場だ」
そう思っていたら、突然、船が結界を広範囲に展開し始めた。
「動いた!」
ラーラが感極まって涙を流した。
「急ごう!」
僕は彼女の手を取り、最後の跳躍を行なった。
「無事か!」
「みんな無事? 怪我してない?」
開口一番、僕たちは声を発した。
「うわっ」
傾いた床にラーラが体勢を崩しかけて、僕を掴んだせいで僕が転んだ。
「お帰りなさい!」
「師匠! お姉ちゃん!」
マリーとカテリーナがこちらの惨状お構いなしに飛び込んできた。
何も言わなくても怖かったことは見て取れた。
恐らく、この小さな身体は死を覚悟したに違いない。
僕は今更、ここまで連れてきてしまったことを後悔した。
「はい。大丈夫です」
「みんな、無事です」
フィオリーナとニコレッタが言った。
見たところ、メインフロアにいるのは子供たちだけのようだが……
「大人たちは? パトリツィアさんは?」
「パトリツィアさんは格納庫に。他の方たちは見張りと点検に」
「動けているのはこの船だけ?」
「今、確認中です」
「みんな大変だよ。在庫が全部パーになってるよ」
ヴィートとミケーレとニコロが、自分たち専用の保管庫を覗きに行っていたらしい。
がっかりした顔をしながら階段を上ってきた。
「師匠ッ!」
「ラーラ姉ちゃん!」
一目見て、駆け寄ってきた。が、先客がいたので抱き付かれることはなかった。
「何があったの?」
ラーラがその分やさしく声を掛ける。
「魔石が…… 保管してた魔石まで空になっちゃったんだ」
ミケーレが言った。
「魔力残量が急にゼロになっちゃったんです」
フィオリーナがコンソールの魔力監視盤に触れて言った。
『精霊石』まで食われたか……
「でも『闇の魔石』だけは無事だったんだよな」
ニコロが言った。
なぜ『闇の魔石』だけが無事なのか、気になるところだが。
「反応炉は動かせないけど、他は『闇の魔石』に交換して再起動させているところです」
「他の船にも『闇の魔石』が有効だと伝達しました」
フィオリーナとニコレッタは年少組の手前、気丈に振る舞っていた。
それにしても、反応炉に使っていた『精霊石』やその予備まで、まさかこんな形で空になるとは……
あんなに苦労して手に入れた物が…… こうもあっさりなくなるとは。
しかもそれらすべてが敵の養分に……
「最悪だな」
「上は大丈夫なのですか?」
パトリツィアさんたちが青ざめながら戻ってきた。
「大丈夫だ。発光現象は上層部に達する手前で消失した」
「それはようございました」
「そっちは?」
「縦穴以外にいた連中はほとんど問題ありません。今のところ打ち身や骨折程度で済んでいます。天井があったおかげで高く飛べなかったことが幸いしました」
縦穴以外は…… か。
滑空できた機体は助かっただろうが……
「敵が攻めてきたの?」
マリーとカテリーナが心配そうにラーラの顔を覗き込む。
「敵もしばらく転移魔法は使えないんじゃないかしら。たぶん、大丈夫よ」
なんの根拠もないことだが、目の前の幼女を安心させてやることが先だ。
頭を撫でられるマリーとカテリーナを羨ましそうにヴィートたちは見ていた。
側にいたら頭をわしゃわしゃしてやるところだが、今はヘモジの尻叩きに譲ろう。
「ナナナーナ」
元気を出せと励ました。
「上層にはまだ備蓄が残っているわ。これからどうするか、まだわからないけど、魔石を補充したらみんな動けるようになるわ」
「ラーラ姉ちゃん! それだけじゃないんだよ」
そう言ったのは、ニコロだった。
彼はポケットから『万能薬』の小瓶を恐る恐る取り出した。
「効果がなくなっちゃったんだ」
「!」
すべての『万能薬』がその効力を失っていた。
保管スペースにあった大瓶も、子供たちが持っていた物もすべて。
パトリツィアさんたちが青ざめていたのはそのせいか! 負傷者たちを治療できずにいたんだ。
僕は自分の持ち分を大急ぎで皆に分け与えた。『追憶』に放り込んであった物も含めて。
最終決戦用に持参した物だが、止むを得まい。
そうこうしている合間にも、負傷者は次々運ばれてきていた。
当然、他の船の備蓄も効果を失っているので、人の手による回復魔法に頼らざるを得ないのである。今、近辺で回復職が集まっているのはここ、救護所だけであった。
が、回復職が自分たちの魔力回復に当て込んでいた薬等も今はただの水だ。
戦場を幾つも経験してきたパトリツィアさんはそれでも軽微だと言い張ったが、中には死の淵を彷徨う重傷者もやってくる。
「この船は後退させます。準備を始めて頂戴」
放出した薬のおかげで、ほぼ全員が命を取り留めたが、治療が遅れて部位欠損を抱え込んでしまった者たちも出た。
「『完全回復薬』も底を突いたか……」
回復職の魔力も、もう睡眠を取ることでしか回復できない。
ラーラは前線を押し下げ、それに伴い救護所を地上まで後退させる判断をした。
物資と代わりの人員は既にこちらに向かっている。
悔しいが、薬も魔石もなければ、このまま居座っていても何もできない。特にこの船は……
それに壊れた船やガーディアンもすぐには直らない。戦えなくなった者たちも後方に下げなければならない。
幸い、僕の『追憶』の中には魔石の備蓄がまだ少し残っている。
取り敢えず補助機関が動かせるサイズの石を拵えて『浮遊魔法陣』を動かせるようにしないと。
「できれば『闇の魔石』で造りたかったけど……」
同じ事が起これば、また元の木阿弥となる。
『闇の魔石』はまだまだ嗜好品扱いで、市場にはあまり出回っていない。僕たちも余分をこの前、高く買い取って貰えるからと、あちらの世界に流したばかりだ。
闇属性の魔物は基本小型で魔力量が少ないから、サイズも大きくない。それこそ四十層の例外『クラウンゴーレム』や『カースドラゴン』でも仕留めなければ……
僕は先日、仕留めたそれをまだ預かっていることを思い出した。
「ちょっと機関部に行ってくる!」
反応炉が動かせる!
各属性の小さな石は動けない船を警護するガーディアンのために供出した。
持ち寄った魔石で動かせた船はわずか数隻。小型軽量な船だけだった。
こんなことなら棚に保管せず『追憶』に入れたままにしておけばよかったと、後悔した。わざわざ加工して使い易い状態にしておいたのに……
誰もがいつでも必要なとき使えるようにと気を利かせたのが不味かったのか。
まさか敵に使われるとは思ってもいなかった。
道中、前線に魔石を運ぶガーディアンの小隊と擦れ違った。
進むにしても戻るにしても魔石は必要だ。
縦坑を命綱をぶら下げて下りてくるガーディアン部隊とも遭遇した。
「次が来る前になんとかなりそうだな」
言葉とは裏腹に漠然とした不安は消えなかった。
そして戻った時にはすべてが決定していた。
「作戦は終了する」
姉さんは僕たちに告げた。
爺ちゃんや婆ちゃんたちの口からも異論は出なかった。
『闇の魔石』を潤沢に保有する船はそもそも一隻たりとも存在しなかった。通常の魔石でさえ、不足しつつある現状、あまつさえ再びあの光に襲われたら、このまま戦線を維持することはできない。頑なに戦い続けることはリスクにしかならない。上層部はそう判断したのだ。
こうなってくると敵の反攻にも備えなければならない。戦いが続くとなれば、戦力の消耗は控えなければ。
爺ちゃんに肩を叩かれた。
一緒に食堂に行こうかと誘われた。
「このタイミングで?」
怪しさ満載だな。
「敵の残存が確認できないんだ」
「どういうこと?」
爺ちゃんと僕はふたり切りで『ダイフク』の食堂で食事を取っていた。
「言ったとおりだ。撤収したのか、共食いしたのか知らないが、最下層に下りた連中から報告があった」
「逃げられた?」
「恐らく。低層に比べて深層に転がっている死体の数が圧倒的に少ないことも気になる。あれだけの崩落を起こしておいて、異常だろう?」
「先に戦力を投入し過ぎただけじゃないの? そもそも増員できる人員がいなかったとか」
「雑兵は木偶の坊でも、奴らの戦略はいつも目を見張るものがあった」
「五十年間、やり込められてきたわけだしね」
「敵が進化したとして…… どう進化すると思う?」
「突然、何を」
爺ちゃんの目は有無を言わせなかった。
「そうだな。転移を可能にする第二形態、重力を操る第三形態と来て……」
思い付かない。
「ヤマダ・タロウは何か言ってなかったか?」
「色々言ってたけど……」
「タロスとはなんだ?」
「ゲートキーパーの天敵だろう?」
「時空を操るゲートキーパーの天敵が目指す進化の先とはなんだ?」
「そりゃ、同じ土俵だろう」
言って、背筋が凍った。
進化した次の段階とは…… タロスのゲートキーパー化だ! 勿論、同等ではないだろうが、そこを目指すのは必然だ。
「まさか、別の世界に脱出した?」
「少なくともこの世界からは消えた。今度の新種は仲間諸共、すべてを運び出す能力がある。追い掛けるのは不可能だろうな」
頭を抱えるしかない。
「だが、この世界を奴らの理から切り離す最大のチャンスとも言える」
「?」
「転移するとき、必要なものはなんだ?」
「術式は大前提として、まずは魔力、次は出現場所の認識かな」
「魔力は今回のことで充分過ぎるほど手に入れただろう。消えた先がどのような場所かにもよるが、世界を跨ぐ力を得た以上、いつか戻ってくる」
「行った先が不遇な地でなければ、早々に再起があると? でも安住の地を見付けちゃったら、もう戻ってこないかもよ」
「奴らのターゲットは魔力に溢れたアールヴヘイムだ。ミズガルズは通り道に過ぎない」
それってゲートキーパーの仕掛けだよね。
「そうなると、再戦は向こうの都合になるね」
「だが、現われる場所は一つしかない」
フォークを皿の中央に突き刺した。
「ずっとは待てない」
「問題ない」
別人の声が爺ちゃんの口から発せられた。
「爺ちゃんじゃない!」
よく見たら爺ちゃんはフォークを突き立てたまま動いていなかった。
「緊急なので許してくれ給え」
忽然と現われた人物が爺ちゃんの肩に手を掛けた。




