前線へ
『またやるみたい』
展望室のミケーレから一報が入った。
「よくやるな」
上空を飛ぶ爺ちゃんたちの船が、また加速実験をする。
移動中もしつこく推進装置の改良を加えているようだ。
真下に入ると例のフィルターの影響を受けるので、このままの距離を保つよう言ってきた。
そうこうしている間に爺ちゃんたちの船は加速してあっという間に距離を離していった。
「こっちも相当、速く走ってるんですけど」と、フィオリーナ。
「併走できてるだけでも普通じゃないのに」
「あっちは戦闘速度。あの速度で戦うんだから」
ヴィートとニコレッタが大きなガラス越しに空を見上げる。
「魔石、大丈夫かな?」
「だから今のうちにやっておくんじゃない?」
『闇の魔石』を今、空にしても本番までには回復している。
いよいよ僕たちは帆船のルートからはずれて独自ルートに入る。
爺ちゃんたちも追い風に乗る帆船ルートを行った方がいいんだけど。この船の警護も兼ねていると言って付いてきた。
追い風に乗れない飛行艇にはよろしくない状況。自力で進むわけだが、自然と高度を落としてきた。
「風の流れが見えてるみたいね」
巧みな操船。振られることなく強風を乗り越えていく。
「横風来るぞ」
砂丘を越える瞬間、横っ腹に風を受ける。『ダイフク』程の船でも衝撃を受けて、進路がブレる。操縦するトーニオがカウンターを当てて調整した。
「うひゃー」
「今の凄かった」
マリーとカテリーナが大袈裟に目を丸くした。
「進路確認」
「異常なし」
『見えてきたよ』
爺ちゃんたちの船が速度を落として、こちらが追い付いてくるのを待っている。
「先行ってくれてもいいんだけどな」
方位も目印も教えてあるので、余程のことがない限り、迷子になることはないはずだ。
それに、そうならないようにこれまでの航海中、目印を子供たちが設置してきた。単なる気分、場当たり的な思い付きだったが、これが意外に役に立つ。
自然しかない世界で人工物はかくも目立つのである。
なんの効果もないただのオベリスク。或いはただの球体、等々。どうせ、いつか埋まってしまうだろうと、適当の極みを尽くした異物群だ。
各々の出来に成長の度合いが見えるね。
「ソナーとっても便利」
ソナーを使って前線に向かうのは初めてなので、しっかり盤面を地図に落とし込んでマーカを記していく。
ピクルスは傍らでずっと盤面を眺めていた。
「完璧な地図ができる」
オリエッタが耳を振る。砂が入った?
二日目にして飽きた婆ちゃんが遊びに来た。そこから相互交流が始まって、子供たちが動いている飛空艇に、爺ちゃんたちがこの船にやってきて、居心地を確かめ合った。
そうして退屈を払拭しながら、僕たちは最前線基地に到着した。
これよりさらに先にある包囲陣地にここから補給物資が運び込まれる。ここは兵站の最前線基地。
「物資を降ろせー」
作業スタッフが慣れた段取りで『ダイフク』に積まれている物資を次々降ろしていく。商会から預かったガーディアンもすべてここで降ろした。
「要塞はまだ来てないみたいだな」
爺ちゃんたちも船を係留して降りてきた。
「追い抜いたみたいだね」
要塞は高高度を飛ぶため、これまた違ったルートを飛んでいる。五十年間蓄積してきた独自のデータを生かして最適を選んでのことだが、飛空艇以上に魔石を消費しているのではないかと察する。気流にちゃんと乗れていれば、予定通りつくはずだ。
「さて、次の予定だが」
当然、姉さんたちの『箱船』との合流だ。
浮遊要塞は緊急脱出用のゲートとしてここに固定されるので、ここから前に出ることはない。
当然、そこに積まれている飛空艇も前に出ることはない。要塞を警護するのが任務のすべてだ。
例外は爺ちゃんたちの船で、そのために自腹を切って改造しまくっていたわけだ。
タロスの次の進化がこちらの予測を超えたものなら一発逆転もあるわけで、ここも決して安全地帯と言い切ることはできない。
前線では魔力を消耗する激戦が続いている。
空間の魔素濃度は局地的にどんどん高まっていて、こちらの魔法が通り易くなる一方で、タロスにとっても生存に適した環境が整いつつあると考えられる。
ヤマダ・タロウは次の進化が起きた時が力の均衡が逆転する時だと言っていた。
この世界を蹂躙した時に保有してたであろう力を奴らは取り戻すのだ。
ゲートキーパーが時に諦め、撤退せざるを得なくなる相手。
そのためにもなんとかして数を制限しなければならない。
最悪、進化個体が一体だけになるのか、複数になるのかで、その後の対応にも影響が出てくる。
理想は限界点突破前に進化する根を詰み切ることだが……
敵の籠城は堅固であった。
必要な情報を受け取ると、僕たちはすぐに出立した。
「いよいよ戦場に突入だ」
行程表では『ダイフク』こと『スパーダ・ディ・ルーチェ・ビアンカ』は箱船『スパーダ・ディ・アンジェレ』と姉妹船『スパーダ・ルンガロッサ』の間に入る。爺ちゃんたちはその上を好きに飛ぶ。
左右、上方を壁にして正面装備の『光弾砲』だけに傾注しながら、敵中央を突破し、僕とラーラを敵防衛線のその先に送り込む。
そして速やかに後退。
前線まで行き交う船の列ができている。戻ってくる船は被弾してボロボロ。修理してまた前線に戻れる時間はあるのか?
「戦いはとっくに始まってるんだ」
今始まった話じゃない。犠牲者は遙か以前から出ていたんだ。子供たちの両親だって、生活のためとは言え、タロスと戦って死んだのだ。
屍を越えていく。
彼らの死が無駄になるか、すべてはこの一戦にあり!
遙か前方に重力魔法による空間の歪みを感知した。
全員、一瞬息を呑む。
新種を空間の壁から引き摺り出す方法は既に伝達済み。場を乱すために数刻も待たずして特殊弾頭が落とされた。
爆炎が上がる。
ここから確認できた新種は一体のみ。その一体のために船が何隻も沈んだ。
陣形がそこだけ大きく後退していく。
タロス兵はそこを突破しようと一気に押し寄せた。が、それはこちらの計略。突入してきた相手の側面より挟撃を仕掛け、タロス兵は一体も残らなかった。
数減らしは順調のようだが、被害もでかい。
たった一撃で、こちらに戻ってくる船は十隻を超えている。当然、沈んだ船もあるわけで。
「焦らないで、落ち着いていきましょう」
パトリツィアさんが、子供たちに声を掛ける。が、子供たちは既に体験済み。
一番落ち着かないのは、パトリツィアさんの方だった。
僕とラーラは目の前の事象の先にある試練に指が震えた。
でも最前線はまだ遠かった。
アールヴヘイムに戻ったとき、言い得ぬ望郷の念に襲われた。時に慈しみ、時に反目した世界。そこはタロスから逃れた多くの種族が逃げ込んだ世界。住人たちの多くはそのことを知らず、そんな過去も伝承の隅に追いやられた世界。
ここミズガルズはかつて人種の聖地だった。『異世界召喚物語』前段にあった世界。
そしてここからタロスは長年の間、勢力を減退させながらも魔力に満ちたアールヴヘイムに侵攻を繰り返し、爪痕を残してきたのだ。
そう考えるとタロスによる被害は計り知れない。一体、幾つの世界が滅ぼされたのか。
そして、遂に完全ではないにしても隔離のチャンスが訪れたのだ。
タロスの被害に遭う歴史は終わりを迎える。
その終止符が打たれるのだ。
なぜ自分なのか?
僕の人生のほとんどはその疑問の昇華に費やされた。恐らくルカもラーラも。
自分じゃなかったら、僕はここにいただろうか? こんなにでかい船を自作して、姉さんの後を付いてきただろうか?
今日のために命を投げ出す冒険者たちが大勢いた。その数はもはや数え切れない。既に投下された物資も計り知れない。
引く選択は元よりない。
ラーラは守りたかったが…… ルカの足枷は彼女にも繋がれていた。
共に行こう。
そして終らせるのだ。
巨大な船舷に横付けする『ダイフク』
いつも美しかった白い『箱船』が煤けていた。赤色の姉妹船の方は汚れが目立たないか。
「いつ見ても大きいね」
「乗っけてくれる?」
「向こうから来るだろう。こっちの人手不足は知ってるからな」
電信で情報のやり取りをしながら、進撃の準備をする。
爺ちゃんたちの船もフィルターを停止させて『ダイフク』に係留、浮力を維持したまま合流を果たした。
姉さんと再会できたのはそれから一時間してのことだった。




