ドラゴンを投げる
果てしない距離を移動したはずなのに、僕たちは一時間後には『クーストゥス・ラクーサ・アスファラ』の白亜のゲート前広場にいた。
まるで夢のような数時間だった。
「すっかり暗くなってしまったな」
星が瞬いている。
「今日の空だよな」
家に帰って早々、子供たちは夫人に嬉々として冒険譚を話して聞かせた。
夕飯の準備で忙しいから「あとで」と言われているのに、子供たちの言葉は尽きなかった。
夫人は諦めた。
最下層の転移部屋。エルーダの町並み、雑多な人々。振り子列車に飛行船。スプレコーンの城壁にユニコーン。そしてもう一人のヘモジ。
夫人だけでなく、合流したイザベルやモナさんもリピートされる話の内容に目を丸くした。
ラーラも帰ってきて懐かしそうに聞いていた。
「わたしも攻略しないと駄目ね」
ギルド代表代理の席が留守がちになりそうな予感がした。
「三十階層ぐらいで止まってるんじゃないのか?」
「それは、ほら」
僕に下駄を履かせろと言うのだろう。ラーラの実力はよくわかっている。
各階のゲートを順番に解除していけばいいだけだ。
探索本来の面白みには欠けるが。
「明日はどうするの?」という話になって、僕は途端にやることがなくなってしまったことに気付いた。
アールヴヘイムに行くのは一週間後でいいわけだし。前線のために魔石集めか……
ラーラがニコリと笑う。
「よろしく」
「…… はいよ」
一日で済ませる気かよ。
「わたしも頼む」
大伯母が現われ、僕の額に紙を貼り付けた。
「何?」
紙を剥がしてみると、そこには簡単に閲覧してはいけないモノが記されていた。
「重力魔法の完成形だ……」
解読困難。たった一枚の紙に記された一つの魔法陣に膨大な情報量が含まれている。これだけで分厚い専門書が書けるレベルだ。
「寝不足になりそう」
これが報酬というわけだ。
これがあれば、無防備な魔法陣を第三者に覗き見されずに済む。いつでも安心。遠慮なく行使できるというわけだ。でもこの紙ぺらは値千金。万が一紛失しても大丈夫なように四分割して『追憶』に放り込んだ。
「あとは出力調整だな」
既存のものとパラメーターが変わっている。魔力消費のバランスを最適化した結果だろう。
横目でふたりを見る。
向こう側を知っているふたりは子供たちに適切な相打ちを打つ。
子供たちの舌が益々軽くなった。
「お爺ちゃんちに寄らなかったんだ」
「ヘモジに会えたからな」
会ってなくても寄ったかどうか。
食事が終る頃にはソルダーノ夫妻を含めて、全員であちら側に観光に行く話が出来上がっていた。
正直、タロス討伐が終ってからにしてほしい。
執着こそが力のより所になると僕は信じているから。
その夜、重力魔法の完成形を試しにドラゴンの巣に戻ってきた。
雪山方面でない方のルートは本日手付かずだったので『ファイアドラゴン』を探した。
渓谷で数体の姿を確認した。
夜には夜の景色があった。
このフロアも外の世界と時間が連動している。深夜リセット、残り数時間で世界は生まれ変わるが、攻略途中にそれをやられると、このフロアでは命取りだ。
「さっさと終らせよう」
「ナナーナ」
ヘモジとオリエッタも付き合ってくれた。が、ただ戦う気はないらしく、ヘモジはミョルニルを腰ベルトに差したままだった。
暗記の確認。魔法陣のメモを取り出して記憶と齟齬がないか、最終チェック。
「よし」
目の前の大木の上で寝ている一体に向けて、発動する。
魔力反応に周囲のドラゴンたちが一斉に飛び起きる。
空に緊急回避する一群。
だが、僕が捕まえた一体は抵抗むなしく地面に落ちた。
ヘモジー、トドメ刺して欲しいんだけど……
「ナナナ」
「…… そだね。うまく行ったね」
他人事かよ。
「見付かった」
オリエッタの夜目がキラリと光る。
ブレスが飛んできた。
「さすがにその距離からは無理だろう」
それでも一旦、転移して距離を取った。
そして迫ってきた相手を拘束。
ピクルスも連れてくればよかった。
「しょうがないな」
自分で処理しなければ敵は増える一方になってしまう。
「魔法実験はうまく行ったから、このまま帰ってもいいんだけど」
夕飯の後に汗掻きたくないよな。
「『一撃必殺』」
確殺できる魔法を選択しながら迫ってくる相手にとどめを刺していった。
「やっぱ二度手間だよな」
最終調整された魔法陣では効率が重視されていて、範囲も限定的だった。定型魔法はやはり細かいところに手が届かない。
「一斉に起こすから」
オリエッタの指摘は尤もだった。
手に負えなくなった僕は魔石の回収もせずに、一旦その場を去るのであった。
「やっぱり定型魔法は苦手だな」
影響範囲が狭いし、複数を相手するには拘束力が足りていない。
バフを掛けるだけ掛けてちょうどいいのかもしれない。そもそも対ドラゴンを照準に設計などしてないのかも。使い手のレベルも最大公約数を取らなければならないのだろうし。
今後、魔法業界ではこの程度が重力魔法の基準となるのだろう。
来年の業界紙の話題は検証報告も含めて、重力魔法関連が独占することになるのではないだろうか。
僕的にはいらない子だけどな。
とっとと自己流にアレンジしてしまいましょう。
他の痩せっぽちの魔法使いよりは潤沢な魔力をベースにした、ドラゴンをも完璧に拘束するための、距離減衰をしっかり考慮して…… 使い勝手の良さを最大限引き出すために、ハイエルフの秘匿言語を使ってプロセスを最大限簡略化。
イメージを脳内に焼き付けるほど繰り返し反復。魔力の流れに淀みがなくなるまで調整、調整、調整。魔法陣なら線の一本一本の太さを決定付けるための細かい作業だ。
「よし、もう一戦やろう」
「ナナナナナ!」
撤退など論外だと憤るヘモジ。
「調整するために来たんだから」
「ナーナ」
「多分、完璧」
「それは楽しみ」
オリエッタの髭がピリピリした。
夜空に稲光。
「雨降りそう……」
「さっさと済ませて帰ろう」
空中で警戒をしていた最後の一体が地面に落ちた。
それは地面に引き込まれるように落下して、首の骨を折って呆気なく死んだ。
このときの僕の顔はどんな顔をしていたことだろう。きっとヘモジのように嫌らしく企んでいる顔をしていたのではなかろうか。
それは数回の戦闘を繰り返した末に得た、偶然の産物であった。
意識の転換。
僕は重力魔法をイコール、拘束魔法と決め付けていた。故に二度手間になるから嫌だとか、固定観念に縛られていた。
だが。
「物は使いようだな」
効率を突き詰めた結果、何も拘束技として使わなくてもいいのではないかという発想が生まれた。攻撃魔法として運用できれば。そう、重力魔法で倒すという発想に至った結果、二度手間という概念は消失したのであった。
努力に見合った成果を得られるかも知れない。
心の余裕が、敵の全身を拘束する必要などそもそもないのではないかという疑問に、帰結させたのだった。
押し付けるのは身体の一部だけでよい。四肢はすべて繋がっているのだから。
魔法陣とはできる者にとっては一種の縛りだ。縛りプレイを突き詰めたらどうなるんだろうかと、ふとひらめいたのがこれだった。
僕はピンポイントに出力を投じることを始めた。
今回はたまたま頭部だった。
いくらドラゴンとはいえ、重力魔法に抗うべく首を鍛えているわけではない。いくら柔軟な身体をしていても首を下に引っ張られたまま、空中姿勢を維持し続けることはできない。
首の骨を折る覚悟で抗うか、圧力に逆らわず身を投じるかしかなくなるわけだ。
素直に投げられれば首の骨は折らずに済んだだろうに……
柔術の奥義に『空気投げ』という技がある。爺ちゃんの兄エルマン爺ちゃんに昔、見せて貰ったことがある。
「ドラゴン投げ飛ばしたんだよな。あの人」
ほんと型破りな人だった。
あの時の呆けた婆ちゃんの顔を思い出して吹きだした。
「な、なんでもない」
魔法の試し撃ちのはずだったんだけど、こりゃ、僕にも更なる高みが用意されているような予感がしてきた。
「もう一体投げてみるかな」
「ナナ?」
「投げ?」
「横方向からも力を掛けられたら完璧なんだけど」
まず身体の重心を崩すべく、袖を下に引くように頭を押さえつける。
そして腹を蹴り上げるイメージで支点と力の方向を内側に巻き込むように変更する。余裕があるなら尻尾を吊り上げてやってもよい。
ただ魔法を当てただけではドラゴンの巨体はビクともしない。が、頭を引きづり下ろされながら胴体を浮かされたら。
抗えなくなったところで一回転。一歩手前で引き落とす。
大地が陥没した。頭の角が地面にめり込んだ。
「……」
「……」
結果に絶句するヘモジとオリエッタ。
「空気投げ、魔法バージョン。なんちゃって」
でも今度は首をへし折ることはできなかった。叩き付けるための高度が足りなかったのだ。
偶然に期待しなければならないのはよろしくないな。
最後は『魔弾』で吹き飛ばした。
これじゃ、端から『魔弾』撃ち込めって話になる。
「面白いからいいけど」
ドラゴンを投げるのがこんなに楽しいなんて。エルマン爺ちゃんの気持ちがよくわかる。
「…… 拳一発で倒すのも楽しそうだな」
生憎、武装ガントレットは持ってない。柔術も嗜み程度だ。
閉まり掛けの『ビアンコ商会』に寄って、中古のガントレットを一つ購入した。ガタが来ていたので安かったが、直すための素材は倉庫に山ほど眠っている。
ヘモジも一緒になって目を輝かせたが、合うサイズがあるわけがない。
後で小人用のオーダメイドの請求書が届いたら困るので、自作する約束をした。
いくら『追憶』になんでも入るからといって、おもちゃ箱じゃないんだから。
魔法陣のことなどすっかり忘れて帰宅する。
そして無造作に中古品をテーブルに投げて、眠りに就く。
ピクルスは誰かの部屋で寝てるのか?
翌朝、そのピクルスに起こされた。
「寝過ぎたか」
起きて着替えて、食堂に。
ラーラと大伯母が先に席に着いていた。
折角の休暇だと思っていたのに、今日はこの二人を最下層まで案内する約束になっていた。
ひたすら転移を繰り返すだけの面白みのない作業になるので、三人組には暇を出した。
ヘモジは農作業に。ピクルスは子供たちと一緒に学校に。オリエッタは気ままな街中散策らしい。




