クーの迷宮(地下 50階 ドラゴン戦)重力魔法実験2
澄んだ声で、朗々と呪文を唱え始めた。
略式ばかり使っている僕たちには新鮮なプロセスだった。
「!」
付与呪文だ。
魔法の効力を高める呪文。術者の魔力消費を抑えつつ、回復を促す呪文が続いた。紡がれていく言葉によって魔法陣が流れるように次々構築されていく。
幾重にも重なる光輪。
やはり一角の人物であった。
「綺麗だ」
歪みのない完璧な術式展開。
彼女がいかに優秀な教師であったか、もう一目瞭然だ。
そして最後に展開されたのが、定型の重力魔法術式。
大伯母が放った程の効果範囲はなかったものの、子供たちの周りにいたドラゴンたちには効果覿面。再び訪れた不具合にドラゴンたちは戦うどころではなくなった。
子供たちは後退から一転、踵を返した。
「二班編制!」
子供たちは三人三班編成から、五人と四人の二班編制に切り替えた。攻撃力強化、余剰を作り回復を促す編成だ。
攻守が目まぐるしく入れ替わる。
重力魔法が効いている間にと焦る気持ちを押し殺しながら、全力の急所狙い。
頭を押さえつけられた敵側も余裕がなかった。怯えから乱暴にブレスを撒き散らした。
「アッ!」
前衛のすべての結界が一瞬、切れ掛かった。
次の瞬間、別の班が身体を寄せてきた。
「前に出過ぎ!」
勝ちを急いだジョバンニとヴィートが無理をしたことで足並みが乱れたのだ。
追い付いてきた後衛は大急ぎで障壁を回復させると、別動隊は再び分かれた。
「まだまだ目が離せないな」
一瞬の間隙が敵の回復を促した。
しっかり当てていけば削れるレベルなのだから、焦っては駄目だ。重力魔法の効果時間に尻を叩かれたことが災いした。
空に逃がさない方法は一つじゃないだろうに。
子供たちの抵抗を見て、距離を取ろうとした一体が爆発した。
ピクルスの矢が命中したのだった。
「いつも通り……」
いやいやいや、とんでもなく高いところから落ちてきたぞ。重力魔法の影響を回避するため、効果範囲の外、ほぼ目標の真上から落としたような軌跡を描いていた。鏃の魔力含有量は間に合ったのか?
子供たちは我に返った。
重力魔法がなくてもやれることを思い出したようだ。
「みんな冷静に」
フィオリーナも声を掛ける。
そうだ。自分たちで勝手にリミットを設けるな。落ち着けばできるんだ。息をしろ。身体の内に魔力を感じろ。
僕は周囲に転がる骸の山を見回した。殺しも殺したり……
「あと二体だ! みんな頑張れ!」
若干手間取ったものの、子供たちはなんとか作戦を完遂することができた。
そして重力魔法の欠点も見えた。
わかっていたことだが、重力魔法の影響範囲内で味方は活動できないということだ。
当然、影響範囲外から遠距離戦を強いられることになるわけだが、物理的手段は重力の影響を受けることになる。今のところ魔法は通用しているようであるが。
結界は通用するのだろうか? ドラゴンの様子を見る限り素通りしているようではあるが。
次のチャンスで少し試させて貰おうか。
「なるほど……」
リーチャさんが一人蚊帳の外でブツブツ呟いていた。
結婚する以前の彼女は大伯母が重用する弟子の一人であった。当然、優秀であるが故であるが、その実力の程は噂に聞くのみである。
僕にとっては事務が得意な、お得意様の奥様という位置付けであった。
その彼女が、二度見ただけの魔法陣を脳内に叩き込み終えたようであった。
今は魔法を発動する段取りを自分用に改変している段階だろうか。
こっちはまだ記憶すらできていないのに……
こんな嫌がらせのようなことを看過せずとも、ミケーラが持ってるメモ書きを見せて貰えば済む話なのではないか、と思う者もいるだろうが、これにはちゃんとした裏があった。
事前に見せて貰えなかったということで、表向き、大伯母に「お前なら、一見すればわかるだろう」と、煽られ、もとい、課題を出された格好になるわけだ。
未完とは言え、この術式を手に入れようと思えば、本来ならとんでもない大金が動く場面である。弟子の特権とはいえ、無料で「はい、どうぞ」とならないのは、この業界では当たり前のこと。弟子は彼女だけでもないわけだし。
当然、対価と呼べる物が必要になってくるわけだ。それがつまり、師弟対決で勝つこと。わかったらくれてやるという図式を生み出した理由がそこにある。
たまたま同伴した弟子が、たまたま師匠に勝負をふっかけられて勝ちを収めただけのこと。その場にいた幸運をうらやむことこそあれ、咎められることはないはずだ。
受け取る側の矜持にもなることだし。
リーチャさんは少なくとも今は袂を分かち、別組織にいるわけだから、大伯母としても有耶無耶にはできなかったわけだ。『愉快な仲間たち』も『銀団』に余計な借りは作りたくはないだろう。
これから子飼いとなるミケーラと扱いが違うのはそういうことなのである。
穏やかな人柄のなかに見える反骨心、やっぱりこの人も一癖あるんだろうなとしみじみ…… ブリッドマンの尻を叩くだけが仕事じゃないんだなと、僕は思わず苦笑する。
僕の視線に気付いたリーチャさんも苦笑いする。
この先、魔法陣には各種プロテクトが追加され、見ただけでは理解できなくなるわけだから、大伯母も大概、弟子に甘いと言って過言ではないだろう。
リーチャさんもその辺は理解しているようで……
僕の姉弟子は一体どのような魔法使いなのか。
商売相手として結構長い付き合いになるが、実戦を共にするのは初めてだ。
僕もこの期に覚えてしまわないと、あとでどんな嫌味を言われるかわかったものではない。
子供たちはそもそも魔力量が足りないから無理とまるで眼中にないし。
僕が覚えて、それからだと思っているなら貪欲さが足りないぞ。
「今はそれどころじゃないか」
子供たちは大きな魔石を回収しに、悪い足場を飛び回っていた。
彼女の出番が来る前に、子供たちは休憩タイムに入った。
集中力は持続しないものであるからして、息抜きは必要である。
「緩急付けないと、やってらんないよねー」
「甘い物食べたい」
そして、子供たちは休憩場を容赦なく自前で構築していく。
テーブルや椅子だけでなく、壁や平らな床、ハンガーラックまで。
僕はそこにティーセットを『追憶』から取り出して並べた。
「シュークリーム、一人三個!」
「それは幻覚。一人二個までです」
「菓子パン、食いたい」
「マカロンなら少しあるよ」
「それ、この間の残りだろ?」
「大丈夫、黴びてないよ」
「師匠……」
「僕の方、見ても駄目」
「大師匠の目があるから、今日はしょうがないか」
「人聞きの悪いことを言わないように」
子供たちがケラケラ笑う。
一方、リーチャさんとミケーラは芸術の域にまで高められた造形物を見て、常識という名の匙を投げたのであった。
そして理解する。
このチビたちは間違いなくレジーナの、『穴熊』の弟子であると。
午前後場、状況が大いに変わりつつあった。
敵の数が少なくなってきたからである。
これは子供たちにとって今のところ優位に働いていた。
敵の狡猾さが、まだ子供たちの予測を裏切るレベルでなかったからである。
当然、リーチャさんの出番もなかった。
習得を狙う僕は若干焦り始めていた。このまま出番がなかったら……
足場がどんどん悪くなるなか、子供たちは上手に立ち回っていた。
逃げられるケースもあったが、そこはもう足場が悪い以上、割り切るしかなかった。
大概、回復したら戻ってくるので、一気に倒せなかったら罰ゲーム的なノリになっていた。
これが連戦に繋がるような事態だと話は違ってくるのだが、遭遇率が下がってきた段階では問題にはならなかった。
「足場悪いね」
「つらい……」
ゴツゴツした表面の石がゴロゴロ転がっている斜面。
大人でも苦戦する環境だ。
一歩は重く、機動性はほぼほぼ削られたと言ってよいだろう。
急勾配でなければボードを出してもいいんだが。
「敵が単騎なら、まとまった方がいいよ」
「一緒なら結界も長持ちするし」
「攻撃も一気にやれるから、逃げられずに済むしね」
実際、気持ちの問題だった。
一体あたりの討伐に掛かる時間は明確に伸びていたのだ。
「また躱された!」
「ブレス来るよ」
まず地上に落とすための一撃が、当たらない。
その間に大概ブレスを数発食らう。
ブレスで倒せず、業を煮やした敵の方から降りてくるケースも稀にあったが、それはカモだ。
リーチャさんは出る気はないようである。
まさか、狙いは『カース』?
ぶっつけ本番で、あれとやり合いますか……
姉弟子怖いわ。
弱いの相手に微調整してからでもいいんじゃないでしょうか?
万能薬、まだあります…… よ?
「!」
僕の挑発が!
復活した!
ようやく勘のいい相手が登場した。
待たせたな、子供たち。
もう足場の悪い場所で苦労しなくていいぞ。
助けて進ぜよう。こっそりと。
重力魔法などなくとも、低空に追い込んでくれようぞ。
「当たった!」
「なんか急に当たり出した」
子供たちが手応えを感じていた。
「この辺の敵、逃げるの下手っぽい」
ああ、とんだ誤解を。
「なんか、無駄におどおどしてない?」
「警戒し過ぎてる気がする」
「なのに避けられないってどうなの?」
「ナナナ」
ヘモジがしゃしゃり出てきた。
そして接近してくるドラゴンの正面に立つ。
振ったミョルニルに敵が吸い込まれるように、命中していった。
無言で踵を返すヘモジ。
子供たちに偶然ではないと態度で示したかったのだろうが、たぶん伝わらない。
「かっこいー……」
ピクルスの羨望の眼差しだけがヘモジに向けられた。
追い込んだのは半分、僕なんだけどね。
子供たちは兎も角、大人たちは何かがあったことは理解したようだった。
そして前半で僕がやっていたことを大伯母は思い出したのである。
前半のゲートのチラ見せを現状で行なえば、魔力残滓で容易くばれたことだろうが、今使ってるのは亜空内からの単なる威嚇だ。向けられた者でなければ気付きようもないわけだ。
「むしろ狩りが楽になってしまうな」
僕の手口を仮に敵が理解したとしても、その情報を共有する仲間がいない。故に僕は手口をばらされることなく、同じことを繰り返し仕掛けることができる。
勿論、敵におかしな動きをされて困るのは味方も同じであるからして、出番はなるべく控えるが。
「彼が何か?」
「知らん」
大伯母に僕の行動を説明するよう詰め寄る場面もあったが、知る由もなし。
僕が重力魔法を覚えられなかったそのときは、バーターで開示して有耶無耶にしてみよう。




