緑地帯にて
『ヘモジはもう少しいるって』
久しぶりの畑仕事だ。楽しかろう。
戻ってきたミントに氷でこしらえた小さなジョッキを手渡した。
そこにラーラが飲み掛けのジュースを垂らす。僅か数滴だがミントは喜んで一気に飲み干した。
『お姉さんは自室で着替えてから戻るって。副団長さんに伝えてって』
ミントの言葉を通訳するとミセス、ルチッラは両手のひらを天に向け、お手上げという風をして戻っていった。
大きな船が次々、小船を引き連れて袂を分かつ。枝分かれしていく幹のように、葉が落ちていく秋の枝のように船団は東進する程に細くなっていく。
そして『箱船』を中心とする姉さん直属の船団だけになったとき、僕たちはようやく海岸線を見下ろせる場所に出た。
「緑だーっ!」
全員が船の欄干から身を乗り出した。
日陰に隠れることを頑なに拒み続ける砂土と、干からびて黄緑色に色褪せても根を張ろうと懸命なもっこりした樹木が、物言わぬ平らな大地でせめぎ合っていた。果てに行く程黄色味は薄れ、緑は濃く、のっぽになっていく。
背の高い木々が増え始めると船も航路を選び始めた。
子供たちは唯々眼下を流れる地形を眺めていた。見渡す限りの緑。世界はまだ死んでなどいない。生きていると心に刻むかのように。
そして煌めきが、ヤスリで削った金属粉に日が反射しているようなキラキラとした輝きが遙か先の地平線に横たわっていた。
「タロスは大回りして北から攻めてくる。北には水源となる山々があって、奴らはまだ川になる前のせせらぎを越えてやってくるんだ」
朝の会議を終わらせて、暇になった姉さんがワインのつまみ欲しさにやって来ていた。
「この世界、砂漠だけだって聞いてたんだけど」
「水源がなければ海だって干上がるでしょうに」
「そりゃそうだけど。なんでそういう場所に住まないのさ」
「できればやってる」
つまみのナッツを無造作に口に放り込んだ。
「渡河できるポイントは数千メルテもある。北進されたら追い切れない。忘れた頃に横っ腹や後ろをつつかれるのが関の山よ。ポイントを荒稼ぎできる猟場であることには違いないけど、地形が複雑で大きな船が入れないのよ」
ブリッドマン麾下の『天使の楽園』が設定している防衛ラインが、その山岳地帯の西の麓に沿ってあるらしい。
山岳の高い所では万年雪も積もっているそうだが、残念ながらここからそれを望むことはできない。それは前線の遙か先、タロスの勢力圏のなかにあるからだ。
後は南経由であるが、そちらは浅瀬の狭い海峡を挟んでせめぎ合っている。
僕たちの与り知らぬ所なので他のギルドに任せておけばいいのだが、どちらにせよ、いつまでもけりが付かないのは、やはりドラゴンタイプの横槍の影響が大きいだろう。海の中央を電光石火の勢いで突破してきて、横っ腹を掻き回すだけ掻き回して帰っていく。
そのドラゴンを狩ってポイントを荒稼ぎしているのが姉さんたちだが。さすがに全面展開はできないので、他のギルドとの共闘になるが、後手に回ることもしばしば。
そしてその度に前線は波打つことになる。
「いっそどちらの地形も魔法で吹っ飛ばして、上陸できなくしてしまえばいいのに」
「こちらの命題にはタロスの殲滅も含まれているのよ。引き籠もることが主題ではないわ。今ある地形は五十年間、先人が積み重ねてきた結果なんだから。犠牲は少なく、敵のみを殲滅する。大掛かりな仕掛けだわ」
言ってる本人が一番納得していないようだ。
突出しては頭を叩かれを繰り返した結果が、今の消極的な姿なのだろう。
「つまり人類側は現状に甘んじていると?」
「戦いには勝利しても数では常に後塵を拝している。まるで砂漠の砂だ。堰き止めてもいつかはすべてを飲み込んでしまう。やっと築いたこの緑地帯もドラゴンがブレスを吐いたら最後、ただの焼け野原だ」
つまりこの緑地こそが人類がもたらした五十年間の成果というわけか。
先の長い話だ。エルフでもなきゃやってられない。
でも悠長なことも言っていられない。あちらの世界が膨大な戦費に押し潰され掛けているのだ。
急がないと。投資に見合うだけの成果を見せなければ、見込みがないと判断されてしまう……
「爺ちゃんたちはどうして途中で辞めたんだろうか?」
「自分たちの力だけでは完結できないと気付いたからよ」
「そうなの?」
「殲滅に要する時間と労力、自分たちの生産性を天秤に掛けて、資金調達側に回ることにしたのよ。未来に希望を託してね」
姉さんはじっと僕を見詰めた。ときめくどころか、背中に嫌な汗が流れる。
「何が様子を見てこいだよ」
眼下に広大な果樹園が見えてきた。農夫たちが土を掘る手を休めて、こちらに手を振っている。
笑いが込み上げてきた。最前線で農作業する彼らの姿が理屈に合わなかったからだ。ドラゴンが飛び回っている地で、逞しいとしか言いようがない。
でも、彼らの笑顔を見ていたら胸の奥の方で決意めいたものがふつふつと沸き上がってくる。彼らの農園を焼いてなるものかと。
昼下がり、早くも襲撃を受けた。太陽を覆い隠す程の影が空を覆った。
「ドラゴンの大群だ!」
皆、声を上げる!
その数はかつての大戦の如し。二十体近くいることに僕は驚いた。
「あれが月一……」
「陽動だ。こちらを牽制してるつもりなんだ。本気でやる気はないわ。やる気ならあの距離で姿は晒さない。まったく、毎回毎回」
かと言って野放しにすれば、やりたい放題されるので対応しないわけにはいかない。
「お前が出れば容易いが、他の連中の報酬が目減りするからな」
「ナーナナーッ!」
格納庫からヘモジとオリエッタが『ワルキューレ』を持ち出してきた。
「一網打尽!」
断然やる気である。
今日の操縦はオリエッタらしい。肉球をぎゅっと握り締めた。
「早くする!」
「悪いが今回、お前たちの出番はなしだ」
「えーっ! なんで?」
「ナーナッ!」
姉さんがヘモジたちを押しのけて『ワルキューレ』に乗り込んだ。
「一緒に行くか?」
ヘモジとオリエッタがすごすご戻ってくる。
「取られた」
「ナーナ……」
「なかなかよさそうな機体じゃないか」
「まだ完成品じゃないんだから、無茶させないでよね」
「あんたより腕は確かよ」
そりゃそうでしょうとも。でも機体には乗り手の癖というものがあって。
「じゃあ、行ってくるわ」
僕は姉さんがこちらの機体で飛び立ったことを『箱船』に伝えた。
『ワルキューレ』の信号灯も明滅していたから、姉さんからの指示も出たに違いない。
姉さんが飛び立つと「わたしも」とラーラが飛び立ち、イザベルも後に続いた。
モナさんの『ニース』は万が一に備えて留守番だ。
子供たちはがっかりうなだれた。
「落とされんなよ。回収面倒臭いんだから」
「壊さないでよねー」
「人の心配しろーッ!」
ラーラが一緒なら問題ないだろう。
『箱船』からもガーディアンが続々と飛び立っていく。
「壮観だな」
「貫通弾、勿体ない」
オリエッタは自分の出番を取られて憤懣やるかたない。顎の方が砕けるんじゃないかと思うくらい硬そうに、皿に残ったナッツを噛み砕いた。
「船のなかに工房があるらしいですよ。貫通弾を製造する」
モナさんが言った。
「ほんとに?」
「乗船に厳しいのは何もアマゾネスの船だからってわけじゃないみたいです」
モナさんが神妙な顔をして教えてくれた。恐らく技師仲間からのリークだろう。
「その手があったか」
所有制限の掛かっている特殊弾頭だけでは足りずに自前でもこっそり用意していたわけか。
「ちょっと、うちは在庫は充分ありますから!」
言われなくても希少な魔石を消費する気はない。
うちはガーディアン乗りが四人しかいないし、内ふたりは称号持ちだから通常弾で事足りる。
「わたしは『ニース』で待機してますから」とモナさんは格納庫に消えた。
後でこっそり確かめたら作っていたのは爺ちゃんの例の鏃の方だった。兄ヘモジが好んで使った投擲もできる誘導弾である。おっと、あくまで鏃である。
海の上の空中戦は続いていた。
船への襲撃に備えて、いつでも対応できるようにライフル銃とボードを傍らに置いた。ヘモジも真似をしてボードを壁に立て掛けると、もうやることがない。
何かをしようと思っても、戦闘中に他のことをする気にもなれず、空を見上げるばかりだった。
「氷舐めるか?」
「ナーナ」
「貰う」
船橋からの通信の光が後方に向けられた。
別れたばかりの解体用の大型ドック船が戻ってきたようだ。
「そろそろけりが付くということか?」




