クーの迷宮(地下47階 ギーヴルドラゴン戦)お帰り、バンドゥーニさん
「ブレスッ!」
まばゆい炎の光と共に熱風が吹き荒れた。
どこだ!
辺り一帯が、大火に包まれた。
結界がなければ、ミノタウロス兵のように燃えているところだ。
この渓谷は対『ギーヴル』の防衛ラインになっていたらしい。
僕はオリエッタとヘモジの視線を追い掛け、上空を見上げた。
すると渓谷の断崖の縁に手を掛け、こちらを見下ろす不敵な顔があった。
飛べないドラゴンが偉そうに。
「ナッ」
こちらを見下ろすとは何様だ、と言わんばかりにヘモジも唾を吐き捨てる。
一方、生き残ったミノタウロス兵は大わらわだ。
熱波の届かない場所へ退避を急いでいる。
そして坂から姿を消すと、一斉に祠の奥の扉を閉め始めた。
「ああ。こらッ」
宝箱を見付けなければならないこちらとしては、入口を閉ざされてしまっては困るのだが。
中は大分奥まで続いているようで、大量の魔力反応が分岐を統合しながら、下へ下へと向かっていた。
ここはミノタウロスにとっても対『ギーヴル』戦の最前線。脱出ルートはしっかり確保していたようであった。
熱波の影響のなかった対岸上層の壁を走る坂の途中に大量のミノタウロス兵が現われた。
「うわっ」
想定を超える数がいた。
中央の城の城壁にいる数より多そうだ。
その彼らが絶壁から突き出しているドラゴンの顎目掛けて一斉に弓を射始めた。
さすがのドラゴン種であってもミノタウロス兵の強力な矢の束を結界で防ぎ切ることはできなかった。
あっという間に五層を突破され、顎髭が生えた。
不意打ちに大きく首をのけ反らせる『ギーヴル』。
一旦後退し崖の縁に身を隠した。
そして気持ちを落ち着かせると、込み上げてくる怒りを比喩するかのように喉袋をどんどん膨らませていく。
そしてダメージを回復させると再び前に一歩踏み出した。
崖っぷちに再度手を掛けると、もたげていた首を振り下ろし、崖下を覗き込んだ。
喉袋は破裂せんばかりに膨らみ、こちらからも口角から炎が漏れているのが見えた。
「こちらは眼中になしか?」
脅威度ではヘモジの方が遙かに上なんだけどな。
眼前が再び紅蓮に包まれた。
「あー……」
「ナーナ」
溶けた絶壁が斜めに大きく抉られた。
対岸に渡る道が……
ミノタウロス兵は穴のなかに退避したが、それごと削りやがった。
咆哮を空に轟かせるドラゴン。
「しょうがない。あれから先にやるぞ。やらなきゃ、コイン探しどころじゃない」
気をよくした『ギーヴル』は三発目のブレスを準備し始めた。
まだ炎と熱波が谷間に充満している。川の水は一瞬にして干上がり、流入を再開した流れは水蒸気を大量に沸かせた。それはここにただいるだけで熱傷を起こさせるレベルだった。
が、そこから涼しそうに見上げる三人。
「『ギーヴル』の分際で」
オリエッタも敵の傍若無人ぶりに怒っている。真のドラゴンとは王者の風格を備えているものだ。それなのに…… 殺戮が楽しくてしょうがない様子。
ヘモジとオリエッタが「ん!」と敵に向かって顎をしゃくった。
「はいはい、跳べばいいんだろう」
ミノタウロス兵と共倒れになってくれれば楽だったんだが。
僕たちは跳んだ。
飛べないドラゴンの頭上より遙か高くに。
現出した瞬間、敵はすぐ反応して、こちらを見上げ、視界に捉えた。
「さすがドラゴン。魔力反応には敏感なようで」
でもお前の毒のある尻尾は、どんなことをしたってここまでは届かないだろう?
結界がキラリと見えた。
ドラゴンの多重結界。
「ナーナンナ!」
「『称号持ちに意味はない!』」
ヘモジはミョルニルを振り被った。
オリエッタもいつもより強くガンを飛ばした。
そして自由落下に任せて、ドラゴンの口のなかに僕たちは飛び込んだ。
内側から粉砕してやる!
三度目のブレスは間に合わなかった。
ヘモジの攻撃を小馬鹿にしたドラゴンが直撃をもろに受けたのだった。
小バエがどんなに頑張っても結界は越えられまいと高を括っていたのだろう。先刻、顎髭を生やしたことも忘れて。
当然、結界は機能せず、透過した僕たちはすべき行動を取った。
気付いたときにはもう遅い。
ヘモジの一撃目を眉間に食らって、意識を刈り取られ、その一瞬の隙に僕が同じ場所に『衝撃波』を叩き込んだ。
「悪いな。こう見えても、称号持ちなんだ」
「ナーナンナ」
「今夜は焼き肉、決定!」
「『ギーヴル』の肉は回収しないって決めたろう?」
「あ、そうだった」
「他のドラゴンの肉だったら、バンドゥーニさんにもいい土産になったんだけどな」
ズン!
「なんだ?」
突然足元が揺れた。
ズズズズと不穏な振動が伝わってきた。
地震か?
ドスン!
「!」
大きな縦揺れが襲った。
身体が一瞬浮き上がる。
ドーン!
大きな音が谷間に響き渡った。
谷底に何か大きな質量が落ちたようだ。
僕たちはドラゴンの鼻っ面を足蹴にして、下を覗き込んだ。
生き残りのミノタウロス兵が何かしているのか?
横に見える抉られた絶壁のそこかしこでパラパラと土砂が落ち始めている。
「……」
「嫌な予感」
「ナーナ」
「もう予感じゃないだろう」
キュウゥウーと、絞るような音を立てながら、壁面がドミノ倒しのように地の底に落ち始めた。
「まずいね」
崩落が近付いてくる!
ズ……
「!」
足元を支えていたものが、忽然と消えた。
ドラゴンの骸がその下の地盤ごと底抜けたのだった。
僕は緊急転移した。迷宮の外にではなく、ドラゴンの骸の落下地点に。
蒸し風呂のような熱波のなかで、骸が魔石に変わるのを警戒しながら待った。
幸い、混乱と蒸気のせいでミノタウロスの襲撃はなかった。
「随分見晴らしがよくなったな」
断崖絶壁が見事に地滑りを起こして、傾斜地になっていた。
空が広く見えた。
「あ」
オリエッタが声を発した。
「どした?」
「宝箱見付けた」
「ナナ?」
「え?」
崩落現場に引っ掛かっている傷だらけの箱を見付けた。
僕はドラゴンの骸ごと、周囲を結界で囲っているので、開封はふたりに任せた。
そして、箱を開けたふたりは蜃気楼の向こう側で踊っていた。
「見付けた。見付けた。コイン見付けた」
「ナナナナ、ナナナナ、ナナナナナー」
飛んで帰ってきた。
「やったな」
三人、げんこつを合わせた。
「うわっ!」
巨大な質量が突然消えた。
「びっくりした」
「ナーナ」
全員、目を丸くした。素人冒険者かよ。
僕たちは笑った。
「もはやここに用はない」
ミノタウロス兵が若干残っていたが、こちらを相手にしている状況ではなかった。
というか、もう収拾がつかないほど周囲の状況は惨憺たる有様であった。
話したら、またラーラに何を言われるか。
堰き止められた川があふれだし、谷底に池を形成し始める。
ジュージューと煙を上げながら焼けた大地が後退していく。
僕たちも隅に追いやられそうだ。
急激に冷やされていく大地。焦げ臭さもこの調子ならすぐ消えよう。
大量の魔石が散乱していた。が、大半はもう水に沈んだ。
転がっている魔石は惜しいが、今日のところは『ギーヴル』の特大で満足しておこう。
問題は明日。ここをどう乗り切ればいいのやら。
恐らく地道に祠のなかを探索しながら、地下を進み、対岸の上層を目指すのが常道なのだろう。
そもそもあれだけの兵隊と正面切ってやり合おうなどと考えること自体、無茶なのだ。
まともなパーティーなら、戦闘を避ける方向で努力したはずだ。『ギーヴル』を呼び込むことも、ここまで盛大に破壊し尽くされることもなかったのだ。
「でもなぁ」
僕たちは互いに呆れつつも、顔を見合わせくすりと笑った。
「これが僕たちのやり方だからな」
「そうそう」
「ナーナナ」
さて子供たちはどういう選択をするのやら。
「フライングボードで飛び越える、に一票」
オリエッタが元気に手を上げる。
「宝箱の位置も大体わかったからな」
僕たちは白亜のゲート前広場に降り立った。
「涼しー」
乾いた風が涼しかった。
坂の途中から港を見ると、船舶が増えていた。
そのなかにバンドゥーニさんが搭乗していた黒い帆の高速艇があった。
「無事、帰ってきたか」
工房から子供たちが出てきた。
続いて大男が大剣を抱えて現われた。
懐かしい顔だ。
自慢の毛並みが日に焼けて色褪せていた。
手にしているのは、子供たちがこれまでバンドゥーニさんのためにと倉庫に留め置いてきた迷宮産の大剣だろう。
僕たちは手を振り、子供たちと合流する。
「師匠ー」
「おかえりなさーい」
「今帰ったぞー」
バンドゥーニさんが静かに手を振った。
久しぶりに見た狼の顔は気の毒なほどやつれていた。
手荷物を子供たちが分散して抱えている。
「もしかして…… 帰宅、これから?」
「子供たちについ誘われてしまってな。断れなんだ」
ラーラたちが奥から出てきた。
モナさんも今日は店じまいのようで、工房の扉に鍵をし始めた。
「なんだ。お前たちも戻ってきたのか」
大伯母が言った。
「こっちはたまたま。今帰ったところだよ」
ヘモジが『万能薬』をそれとなくバンドゥーニさんに手渡す。
ソルダーノさんの店の前では店主も出迎えに現われ、結局、一家総出で僕たちはバンドゥーニさんを出迎えたのだった。
玄関を入ってすぐにバンドゥーニさんは固まった。
妖精族のツアー客たちが神樹の周りに纏わり付いているのはいつものこと。ただ、その周りに各種『精霊石』が鎮座していたのだ。
宝物庫の奥に大切に保管されるような国宝級の一品が、玄関を入ったすぐそこに…… しかも各属性勢揃い。
子供たちは手に入れた経緯などを自慢げに話し始めた。
「お風呂沸いてますよ」
夫人が子供たちを押しのけた。
「旅で疲れているんだから、後になさい」
「俺たちも入る!」
男子たちは着替えを取りに自室に飛んでいった。
大人たちと女性陣はやれやれと呆れる。
その場は大伯母が自室に戻るタイミングで、一時解散となり、僕は納戸に向かった。
装備品の点検を済ませると、自室に戻り、本日の旅の記録を控え目に記すのだった。




