クーの迷宮(地下44階 クラーケン戦) アローフィッシュはいつも大漁
「さてと」
たまには見せてやらないとな。
僕は立ち上がり、無数に跳んでくる干物の原料に身をさらした。
そして剣を抜く。
婆ちゃんに初めて見せられたときは鳥肌が立ったもんだ。
「本物の矢にも劣らないが…… 強弓ほどの速さはない」
幾つもの矢が僕の身体の脇を通り過ぎる。
だが、矢と違って正面から叩き落とそうなどと思ってはいけない。
なぜなら『アローフィッシュ』は細いと言っても質量がそれなりにあるからだ。何せ大きい物は一メルテ以上もあるのだ。一本目を切り落とせたとしても、二本目は間違いなく振り遅れる。やっていいのはバンドゥーニさんのような力自慢の剛の者だけだ。
ヘモジが半身に身構えてミョルニルを振り上げる。そしてフルスイング!
二尾が同時につみれの材料になった。
クッキーを頬張ったヘモジの口元がもごもごしている。
「……」
一見、格好良く見える斬り合いも、対峙の仕方を間違えると・・・・・・
嗚呼もうッ! こら、ヘモジ、説得力をどうしてくれる!
兎に角! だから! さておきッ!
やり過ごす瞬間、横合いから叩き斬る!
身の半分ほどで切断された切り身が床に落ち、甲板に血糊を付けた。
「チッ、遅かった」
落とすのは首だけのはずだった。半身になるということは振り遅れたということ。
「ヴィートのことを言えないな」
修行を怠っていたのは自分の方だったか。
ここは師匠の威厳というものを見せてやらないと!
誰もが呆然と立ち尽くす。
そこにはかつての僕やラーラがいた。
飛んで来る矢を点で捉えて、弾き返すのも神業。
「でも食材だし」
踊るという言葉がまさにふさわしかった。
わざわざ横手に回り込み、通り過ぎる瞬間を叩き切るなんて、人外の技だと思っていた。
でも、すべての状況を先読みしたとき、ただまっすぐ突っ込んでくる敵は怖くない。
『後の先』…… 敵の挙動を見てからカウンターを取る、返し技。
『アローフィッシュ』はその飛翔速度のため、身をよじっただけでとんでもないことになる。故に水面から羽ばたいた瞬間から身体を硬直させ、進路を変えることがない。矢のように放物線を描くのみだ。
怖いのは飛来する速度の差だ。すべてが同じ速度なら御し易いが、個体差がある以上、一見等速に見えるそれにも誤差がある。
速度が速ければ速いほど、その微少な差に翻弄される。
「最初の一回は誰でもたたき落とせるのです、よ。じゃ?」
語尾噛み噛みの祖母の言葉が脳裏によみがえる。
幼い頃の語尾の癖が未だに抜けず、身内の前では「なのです」を連発する祖母も、さすがに対外的にはまずいと感じていて、五十年間修正を試みているが、剣の腕ほどには上達していなかった。
肉祭りの壇上での惚れ惚れする弁舌は集中力のなせる技なのだろうかと、いつもラーラと疑問に感じていた。
「無我の境地なのです」と当人は言っていたが……
昔はチビだったからかわいくもあったのだろうけど、今はヴァレンティーナ様と並べば双子の如しだ。
町の人間は皆旧知の仲だから今更だと、やる気があるのかないのか、気分屋な性格だけは板に付いていた。
だが公の場所ではそうもいかない。比較対象がヴァレンティーナ様だからなおさらだ。
いっそ諦めてしまえばいいのにとも思うのだが、よく失語症にならないものだと感心している。
そのリオナ婆ちゃんが「できなきゃ死ぬのです、だぞ」と、孫たちに習得を義務づけた技が、この返し技だ。
フェンリルなど高速戦闘を仕掛けてくる魔物たちの首を狙うとき、いなした後に攻め時がくることは多々あること。
「速過ぎるから曲がらないのです…… 簡単なのです、じゃ!」
どんな魔物より速く飛んでくる『アローフィッシュ』をまさに踊るように双剣で仕留めていく様は今思い出しても惚れ惚れする。女性は料理で男を釣ると言うが、婆ちゃんは紛れもなく剣の腕で爺ちゃんを釣ったのだ。
因みに。当人にもまだ言ってないが、語尾の「じゃ」もおかしいから。
アイシャさんの口調に釣られているのだろうが、婆ちゃんはハイエルフとは違うから。野生児にそこはかとない威厳は求めてないから。
とは言え、それを得物の長い剣でまねるのは至難の業だった。
振り下ろした剣を切り返し、下から上に斬る! そして袈裟懸け。それをさらに右に凪いだら、そのまま一回転。連続で五尾目を刎ねる。
時に予測より速く、時には遅く、この緩急が踏み込みの深さ、腕の伸び、剣を投入する角度などに微妙な影響を与えて、どんな振付師も考えの及ばぬ予測不能の動きを生む。
「集中、集中!」
スプレコーンにはとんでもない強者が、魔法使い以外にも世界中から集まってくる。『ゼンキチ道場』がそのお目当てだが。
そいつらをも簡単にやり込めるのが、スプレコーンの守備隊の猛者たちだった。魔法などなくても、皆、免許皆伝のドラゴンスレイヤーたちだった。
「婆ちゃんの強さが当たり前だと思っていたときがありました、とさ」
あの町はいかれてる。
矢の雨はいつの間にか通り過ぎていた。
船体に施した氷の壁に剣山の如く隙間なく突き刺さる『アローフィッシュ』の群れ。
ようやく切っ先に鋭さが戻ってきたのに……
却って不手際をさらしてしまったか。
「ああ、そうか」
浮かれていたのは僕も同じだったようだ。
普段はいないギャラリーにいいところを見せたかったらしい。
「大漁だ。大漁」
「ナナーナ」
子供たちは氷に刺さったアローフィッシュを引き抜きに掛かった。
「まだ生きてる!」
「なんでこんな所に…… 刺さってるのよ!」
瞬間冷凍して床に転がし、束にしたところでさらに凍らせ、一まとまりに。
「モナ姉ちゃんと打ち合わせしてくればよかった」
今、転送しても回収してくれる人がいないと、倉庫で溶けてしまう。
「最終日まで保管だね」
子供たちは次々、船倉の奥に運び込んだ。
「特売ができるわね」
夫人の笑顔が怖かった。
僕が切断した『アローフィッシュ』を捨てるのが勿体ないと、帯をぶら下げるように竿に吊して囲炉裏で炙る。
いい匂いが甲板に広がる。
夫人は何かしていないと落ち着かないようだ。
そして夫人の周りには女子が屯していた。
男子はヘモジと一緒に命綱を結んで釣り糸を垂らしていた。
ノルマのなくなった彼らの口は、肩の荷ほどに軽やかだった。
「ナナナナ」
「『アローフィッシュ』の頭で何が釣れると思う?」
「魔力の反応ないから、釣れないと思うよ」
「夜は何して遊ぶ?」
「カードでいいんじゃない?」
「双六は徹夜しちゃうからな」
「双六はまだ取っておこうぜ」
「海竜とか釣れたらどうする?」
「ナナナ」
「そだね。ヘモジがいるもんね」
「ん、風向きが変わった?」
「……」
「変わった?」
「うん、変わった」
子供たち数人が立ち上がり、ソルダーノさんのところに走った。
『ダイフク』とは違って、帆の向きを一々変えなければいけないからだ。
ソルダーノさんはまだ大丈夫だと言いながら、ひとりでロープを微調整する。
翌朝、前回同様、僕たちは岩礁地帯に辿り着いた。
僕たちは眠い目を擦りながら船の周囲を氷壁で覆い、座礁に備えた。
前回は氷の上にかまくらを造って餅を焼いたが、今回は持ち込んでいない。スープ缶もない。が、夫人がいた。
今回はお弁当ではなく食材を持ち込んでいた。
朝から囲炉裏の前は子供たちでいっぱいだった。
朝食はおにぎりと焼き魚とお味噌汁である。
おにぎりの大きさがバラバラだ。
綺麗に三角に握られているそれを…… 恐らく夫人が握ったであろう……
「師匠も食べて」
でかくて丸い爆弾が手渡された。
「あ、ありがとう……」
見ればソルダーノさんも同じ目にあっていた。
「朝から動けなくなりそうだな」




