クーの迷宮(地下44階 クラーケン戦) 休暇は海で。父母参観日
遅れました。m(_ _)m
「フェンリル、ワイバーン、ドラゴンフライ、ロック鳥……」
僕は四十五階層に出現する魔物の名前を呪文のように唱える。
どれも既知の魔物だが、どれもこれもが四十五層レベルに成長している。
「面倒臭い」
おまけに霧深く、視界がこれ以上ないほど悪いときている。
さすがの僕でもヘモジとオリエッタの三人ではつらい。
「ロック鳥がガンなんだよな」
あいつらはガルーダ同様、転移してくる。
周囲の魔素を乱すので出現ポイントが陸に近いと、こちらの結界や転移に影響が出てくる可能性がある。
背後に出現、結界が! なんてことがたまにあるので、要注意である。
逆も然りなので、大技でも使って魔素を薄めておくと、逃げに転じたとき遅延が生じて、そこがとどめを刺す絶好のタイミングになったりもするのだが、そのとき頼れるのは内在する魔力のみということになる。
無尽蔵の魔力を持つガルーダには効かぬ手であるが、あれは転移されたら精霊石が取れなくなるので逃がした段階で負けである。
「ぐふふふ……」
オリエッタが不敵な笑みを浮かべる。
「顔に出てた?」
ヘモジも大きく頷いた。
今ならこちらから転移して一瞬で蹴りが付くと打算していたのであった。
ただでさえ手の届かぬ所を飛び回っている癖に、危なくなったら逃げやがるから、昔から手を焼いていたのだ。
が、攻守逆転の時は来た!
今なら転移して、即ボコれる。
今となっては他の魔物と戦闘中に、場の空気を読まずに乱入してくるロック鳥の方が厄介だ。
大量に出てくるフェンリル、ワイバーン、ドラゴンフライとの戦闘中に乱入などされたら、魔物側だって
たまったものではない。
「今回も灯台の明かりを目指すことになるのかね?」
「ナー?」
「さあ」
エルーダではフロアの出口がある『灯台の明かりを目指せ』が、合い言葉になるほど視界が悪い環境だった。
そこに翅音によって『沈黙』を仕掛けてくるドラゴンフライ。言わずもがなのフェンリル。レベルが大きく上昇してドラゴン並みに成長したワイバーン。
総合力が必要なフロアでどう立ち回るか。
子供たちが最も注意しなければならないのは一番小物のドラゴンフライだ。魔法特化の子供たちにとって一番怖いのは『沈黙』だからだ。
前回は未熟故に奴らの高度まで魔法が届かず苦労したが、今回はそうはなるまい。翅音の影響圏外から落とせるはずだ。
が…… 一寸先は闇。ここではその先制攻撃がままならない。
フェンリルやロック鳥がいる限り、音を消すのもまた悪手だ、が。
まあ、なまじ魔力が豊富だから見失うことはないだろう。こちらの結界が健在なら後手に回ってもなんとかなる。ただ、ロック鳥が転移してきたら要注意だ。
「出口までトンネル掘る?」
胡桃をほじって凸凹だらけになったただのパンをかじりながらオリエッタが言った。
「冗談に聞こえないから怖いね。今のチビ熊たちならやりかねない」
あのフロアで戦闘なしでクリアできたら喝采ものだが、さすがにゴールまで穴を掘るには時間が足りない。
つらつらと無駄なことを考えていたら、子供たちと夫人が帰ってきた。
「お帰りなさい。お待たせしました」
夫人が満面の笑みを湛えていた。
余程安堵したのだろう。
「荷物置いてくる!」
子供たちは納戸に飛び込み装備を下ろすと、浄化を済ませた着替えを自室に運び込んだ。
そしてその一部をまた抱えて風呂場に突撃、湯船に突貫した。
「ぬるいプールで散々泳いだろうに」
「やっぱり旅の疲れを癒やすのは風呂に限るねぇ」
子供たちの声が聞こえてきた。
「親父かよ!」
ラーラとイザベルはまだ帰らない。
報告書が山積していたからな。結構な書類の束を姉さんからも預かっていたようだし。
何もしないのもばつが悪く、かと言って夫人の横に立つのも照れくさい。
「手伝いましょうか?」
「大丈夫ですよ。缶詰開けるだけですから」
そう言って出てきたのはごちそうだった。
缶詰のデミソースを掛けた巨大ハンバーグとオムライス。大盛り野菜サラダに、山盛りのパン。
「夫とふたりでは食べ切れなくて」
全員出払っていたから、腕が振るえなかったせいもあるのだろうが…… 娘が止めるまで、チーズや副菜を食べ切れない程出してくる母であった。
「愛を感じるねぇ」
僕はこっそり呟いた。
ラーラが帰ってきたところで、明日からの予定が話し合われた。
主に子供の予定だが、当初の思惑を裏切り、子供たちはクラーケン討伐に向かうことになったのであった。
僕とヘモジとオリエッタは沈黙した。
理由はソルダーノさんにあった。
それは休日を長らく取ってこなかったせいであった。一応、個人店とはいえ『ビアンコ商会』の末席に籍を置く者として、休日を取ることは与えられた権利であり、義務だった。
「五連休ですか……」
駐屯部隊が出払っている今の時期にリフレッシュしようということだった。店自体も二日ほど休みを入れるらしい。
「それでどこかに行こうということになったのですけど、この辺りは砂漠しかありませんから」
整備された湖畔周辺を散策するだけでも時間は潰せるだろうが、さすがに連休となると。
そこで一番に浮かぶのは迷宮の観光スポットだが……
「だったらみんなで船旅がいいだろうってことになったんだよ」
「なったんだよって」
クラーケンがいる海だぞ。
ラーラとイザベルがニヤニヤ笑っている。モナさんはそもそも我関せずだ。
丸投げする気かよ。
大伯母に目をやると、そっと手のひらを向けられ拒否られた。
「出現ポイントもわかってるんでしょ?」
狩るだけなら出口から近い所にポイントがあるから、そこを押さえればいいが、それではフロア攻略とはならないので、わざわざ日数を掛けて遠回りしなければならない。
「釣り竿は必須かな」
「ナーナ!」
ヘモジが激しく同意した。
今回は母親参観の時とは違い、大伯母が夫妻のためにフル装備を用意した。
子供たちが以前着ていた物と変わらぬ効果があるローブと、アクセサリー類だ。
アクセサリーは一品一品が、国宝級。聞かずとも城が買える程だと推察できた。
攻撃に関する付与を排除して、防御に徹してるので、防御力もまさに城並みであった。
「ドラゴンにも負けない商人の誕生だ!」
子供たちがやんややんやと囃し立てる。
「ちょっとやめて!」
明らかに素人なふたりは白亜のゲート前でも浮いていた。
ゲートを潜るとそこはただの島。
「船、見付けた!」
言われなくてもすぐわかる。
目の前に以前より大きな船が転がっていた。
確かにこの人数で乗るならこのサイズが適当か。
「脱出用の転移結晶は持ったか?」
全員が確認した。
これがないと船が沈んだとき、全員溺れることになる。
それぞれが余分を持っているので、もし一人、二人が装備を失っても大丈夫。
僕がいれば結晶すらいらないが。最悪を想定しない〝もし〟など無意味だ。
「マストは一本だけだね」
「よかった。たくさんあっても扱えないもんね」
「帆船なんて久しぶりだ」
トーニオの言葉には実感がこもっていた。
「わたしもですよ」
そう言ったのはソルダーノさんだ。
ずっと店番だったからな。
「壊れてないか点検だ」
「はーい」
岸に乗り上げていた船体を打ち寄せる波にタイミングを合わせてみんなで押し出した。
船がザバーッと水面に弾かれる。
急いで乗り込む年長組。
「梯子、届かない!」
背も足の長さも足りない年少組。
砂浜で離れていく船をオロオロしながら見送った。
「凍らせろよ!」
「ああ、そうだった!」
氷を張り、その上を渡る子供たち。
「寒いッ」
そりゃ、寒いだろう。
氷が気化して周囲に陽炎が立ち昇る。
氷を船の船倉に這うように付いている梯子まで繋げるが。
氷で階段を造って、横着する子供たち。
凄いんだか、凄くないんだか……
階段を魔法で一気に溶かして束縛を解除した。
早速、ソルダーノさんが舵を取った。
前回と違って、操舵ができる替わりがいるから大助かりだ。見張りの交代要員にも事欠かないし。
地図とは言えない地図を傍らの壁に貼る。
「問題なさそうかな?」
船倉に下りた子供たちと夫人が、しばらくして戻ってきた。
寝床を人数分キープできたようだ。
「これより船体強化します!」
ちょっと浮かれてるかな。
船の表層に氷の膜を形成、防御膜とする一方、魔法陣を作製、結界を構築する。
そして巨大な囲炉裏が……
「全員分の魚を一度に焼けるな」
「ナナーナ……」
娯楽であった釣り遊びが、早速仕事になった。
何事もなく船は進んだ。
そして。
「足りない……」
人数分、釣れていない現状に頭を抱える釣り師たち。
大人数だとこういうことはあるよな。
「ナナーナ」
「何がアローフィッシュが恋しいだ」
魚がいそうな場所は『魔力探知』で探ればある程度わかる。が、コースは変えられない。
こちらを襲ってくるような獲物を待つしかないのであった。
へっぽこ太公望たちの肩に重責がのし掛かる。
「いい暇つぶしになったな」
焼きおにぎりと焼き魚で満腹になってしまったようであった。
数は揃わなかったが、終盤、ヘモジが大物を一尾釣り上げて帳尻を合わせた。
「何はともあれ、満喫したようだから、よしと」
海が凪いだ。
「こ、この感じは!」
腹を出して甲板に転がっていたヘモジが飛び起きた。
オリエッタがムササビのように四肢を広げて僕の顔面目掛けて落ちてくる!
顔を引っ掻かれる前にキャッチした。
「大群が来た!」
「ナナーナ!」
子供たちも騒ぎ出す。
子供たちは夫人を急いで船倉に誘い、ソルダーノさんのいる操縦室の壁を氷で固め始めた。
「『アローフィッシュ』が来るぞ!」
帆を急いで巻き上げ、結界障壁を船舷とマスト部分に局所展開する。それ以外は分厚い氷で覆った。
「ナナナ!」
「襲撃がもっと早ければ苦労しなかったって?」
「ナナ」
「そういうもんだって。でも、いいだろう? これからは楽できるんだから」
ここで数日分を漁獲できれば、残りの日々は娯楽として釣りを楽しめることになる。
最初の一尾が僕の結界に弾かれ、後方に流れていった。
「まさに矢の如し」
子供たちは目を輝かせ、夫人は青ざめた。
酒飲みたちにも好評な干物の原料『アローフィッシュ』の生態が知れてよかったのではないだろうか。
旦那の方は物陰でクッキー缶をヘモジと一緒に試食していた。
あれは今回唯一、船倉に用意されていた物だった。




