大掃除と戦災孤児
翌朝、僕はヘモジに蹴られて起床した。
ヘモジは僕につまずいて壁に頭突きをしていた。
突然の大きな鐘の音。
慌てて甲板に出ると、昨夜の静けさとは裏腹に大勢の人たちがドックに詰め掛けていた。
寝ていた間に補給物資がとんでもない量になっている。大型船を一度に二隻収納できる隣りのドックに隙間なく天井までコンテナがびっしりだ。
商船が次から次へと入港しては、荷だけを降ろして去って行く。
おまけに「大掃除、大掃除が始まるよー。ご家庭、職場は一旦窓を閉めて下さーい。大掃除が始まるよー」
カーン、カーン。コーン、コーン。鐘の音に合せて妙な掛け声が上階から聞えてくる。
「そういえば、朝に大掃除があると言っていたな」
ドックにいれば大丈夫だと言われたが。
朝食はそんなわけでメインデッキのテーブルでは行なわず、室内で取ることにした。
大掃除は街の上階から順に行なわれた。
それは効率重視のとても大雑把な方法だった。
風の魔法で溜まりに溜った砂塵を階下に吹き飛ばしていくのである。下の階の住人は屋根代わりの厚手の布を、棒か何かで下から突いて砂塵をさらに追いやっていく。
上階の清掃が済むと、下の階で同じことが始まる。
唯一違うのは下の階に行く程に砂塵の量が増えることだ。最終的には上甲板の隙間から砂が滝のように流れ落ちてくるようになる。
しっかりした屋根のあるドックは影響なかったが、それでもやはり喉がいがらっぽい。
結界を張っている我が船は砂塵を物ともしないはずだったが、目から入った情報が僕たちを咳き込ませた。
ラーラは「風情があるわね」とか言ってお茶を飲んでいたが。
最終的に溜まりに溜った塵は専用に開けられた穴から地上に落とされていった。
蟻塚のようなでかい砂山が地上にいくつもでき上がった。
そして街がこぎれいになった頃、タイミングを計ったかのように地平線に船団の影が見え始める。
「リリアーナだ! デルフィーノ・ダルジェントだ!」
「ギルマスが帰ってきたぞーッ!」
銀のイルカ? この要塞の規模から見たらイルカだろうが、世間一般にはサンドワームの形容の方がふさわしくないか?
というか、イルカをよく知ってたな。イルカは迷宮の海属性フロアにしかいないレアなギミック生物だぞ。まあ、こっちの世界では海フロアは憩いの場所だって噂だけどな。
姉さんの『箱船』が引き連れる大船団が西から迫る。どう考えても街に収容でる規模ではない。
要塞の足元を今も商船が往来している。
要塞の下に潜り込めない大型の商船から、積み荷を載せ換えた小船が長い列を作る。
搬入作業のタイムリミットが迫っていた。
「二、三時間後かな」
僕は高を括った。
姉さんたちと合流したら僕たちも忙しくなる。
そんなときだった。
「お客さん」
オリエッタが目の前のテーブルに飛び乗って僕を見上げた。
「客?」
それは年端もいかない子供の一団だった。
昨夜の子供たちとは違い、コーディネートを無視した古着姿がどこか彼らを貧相に見せた。
街というからにはいるとは思っていたが、養護院の戦災孤児たちだ。
扱いに困ったイザベルがこちらを見上げる。
「要件は?」
「それが……」
代表者らしき年長の少年、と言ってもまだマリーとさして変わらない男の子が怯えながら勇気を振り絞って声を上げた。
「せ、責任者の方ですか? ぼ、僕たちはこの町の養護院でお世話になっているトーニオと言います」
可哀相なくらい緊張していた。
「トーニオは君の名前であって、団体名ではなかろう?」と突っ込むのもためらわれた。
「あ、あの……」
それは見知らぬ大人と対峙する緊張感からだけではなく、理不尽な要求をしようとする恥ずかしさと、拒絶されるに決まっているという恐れから来るものだとすぐにわかった。
彼の後ろにいる少女が不安を押し殺そうと深めの木の器を抱きしめているのが見えた。
でも、おかしなことに器を持っているのは彼女一人だけだった。
僕はせかさず彼らの主張を聞くことにした。
「お願いします!」
突然、全員が頭を下げた。
「友達に聞きました! とてもおいしいかき氷を食べさせて貰ったって! い、一杯でいいんです! 僕たちにそれを売ってください!」
「お金ならあります! 足りなければ、みんなで雑用だってなんでもします!」
別の少年が震える両手を皿にして、前に突き出した。手のひらには小さな銅貨や、つやを失った銀貨がいっぱい詰まっていた。かき氷一杯分には過ぎた額だった。
「す…… すいません! 無理言ってることはわかってるんです! でも…… でも……」
別の少女が懇願してきた。
「お願いします!」
「お願いします!」
肝心な理由を説明してくれる者が誰一人いなかった。
言えない事情があるのか? 一皿をみんなで分け合うという様子でもない。どうにも彼らの真剣さは一段も二段も大袈裟に見えてならなかった。
大人しく聞いていようと思ったが……
筋道を立ててやった方が話し易いか?
「欲しいというなら喜んで提供するけど、理由を聞かせてくれないかな?」
少年少女たちが凍り付いた。
振り絞った勢いが急激にしぼんでいくのがわかった。
勇気の灯火が消え掛けると、少女たちが鼻を啜りだした。
少年たちも泣くのを必死にこらえている。
「友達のフィオリーナが死にそうなんだ」
年長の少年がかろうじて呟いた。
全員が認めたくないと顔を歪めた。
「だから――」
「すごくおいしい食べ物があるって聞いて」
「みんなでお金を出し合って…… 食べさせてあげようって」
「話し合ったんです」
子供たちは伝言ゲームを終えるととうとう泣き出した。
死ぬ前に…… 餞別のつもりか?
「お医者はなんて?」
「高い薬なら治せるって。でも養護院の予算じゃ無理だって、先生が……」
「治ると言ったのか!」
「は、はいッ!」
僕が声を張り上げたもんだから子供たちはびくついた。
「ヘモジ、薬を持って――」
振向くと我がクルーたちが全員居並んでいた。
全員意見は同じらしい。誰一人、関わるなとは言わなかった。
「ナーナ!」
薬の入った鞄を抱えてヘモジが戻ってきた。
「ここに薬がある。かき氷は後だ。その子の元に連れて行け!」
「でも!」
両手に小銭をいっぱいにした少年から硬貨を鷲掴みにして奪うとポケットに放り込んだ。
「代金は貰った。ほら、案内しろ」
「ナーナ!」
ヘモジはひとりの少女の手を取った。
「ナーナーナ」
任せておけとでも言ったのか、別の可能性を見出したその少女は駆け出した!
「かき氷用意しておくから、用が済んだら戻ってらっしゃい」
婦人が声を掛ける。
先を行く男の子たちは何度も振り返った。
僕とヘモジの姿が幻ではないことを確かめるように、足の遅い子たちと距離が開く度に、足を止め、何度も…… 何度も……
養護院の手狭な講堂を抜けると長い廊下の先に小さな扉が三つ並んでいた。
職員たちが僕たちを追い掛けてくるのを、子供たちがタッグを組んで阻む。
そこは小さな個室にベッドが一つだけ置かれただけの簡素な部屋だった。
花瓶に刺さった黄色い野草が一輪、目に飛び込んでくる。テーブルにはひびの入った水差しがそっぽを向いていた。
タオルケットを掛けられた少女がぐったりとベッドの上に転がっている。
一瞬余りの静けさにドキリとする。
近付いて耳を澄ますと彼女の濁った寝息が聞えてくる。ゼーゼーと苦しそうだ。
肺がやられている?
両足と両腕の広い範囲に包帯が巻かれていた。
火事にでも巻き込まれたのか?
職員が追い付いてきて子供たちと一緒にドアの所に屯した。
「どちら様で?」
「リリアーナの知り合いだ」
「ナーナ」
ヘモジは冒険者だと名乗った。
痛みから解放され、束の間の眠りに落ちている少女を起こすのは忍びなかったが、女性職員の手を借りて彼女を抱き起こした。
女性職員は僕を懐疑的に見ていたが、今は信じて貰うしかない。
ヘモジが鞄から『万能薬』の小瓶を取り出した。
「誰?」
か細い声で少女が呟いた。
抗う力も残っていない少女は僕の顔をじっと見詰めた。が、その瞳は白く濁っていた。
「とてもよく効く薬だよ。君のお友達がお金を出し合って手に入れたんだ。もう大丈夫だからね」
聞けば少女は砂漠に何時間も放置されていたらしい。
悪い大人がいて、貧しい彼女を同じ船に乗せたくないという理由だけで、定期便から砂漠に突き落としたのだ。養護院のお使いで生まれ故郷へ届け物をする道すがらのできごとだった。
停泊していた要塞も事件に気付かず、移動を開始してしまったために捜査が難航してしまったのだそうだ。
突き落とした男は今は捕まって牢のなかにいる。
フィオリーナは長時間、炎天下の砂漠に放置されたせいで衣服から露出していた手足に重度の火傷を負い、肺も熱にやられて、瞳は白く濁ってしまった。
生きるか死ぬか、今は五分五分の状況であるらしい。例え助かったとしても視力が戻らなければ彼女の人生は……
説明してくれた職員たちも目を潤ませる。自分の姿を見ずに済むのがせめてもの幸せ、助からない方が幸せ、そんな声が聞えてきそうだった。
状態が固定化されてしまったら、いくら『完全回復薬』でも治せない。破壊を伴う再生という荒治療が必要になってくる。一刻の猶予もない。
兎に角、まずは『万能薬』だ。衰弱を癒やさないと。




