クーの迷宮(地下44階 クラーケン戦)航路を見付けろ。アローフィッシュは塩焼きで
四十四層。クラーケンのいる大海原である。否、クラーケンしかいない観光エリアである。
いつ現れるか、ひたすら恐怖する忍耐エリアとも言われるが、倒す方法を確立した者にとっては退屈なだけである。
「暇な一日になりそうだ」
ほぼ平らな島にあるたった一つの小山、その麓にある洞窟がスタート地点である。
「いきなり何もないな」
見渡す限り砂浜だ。
まずは船造りからだが、救済処置としてその辺に船が打ち上げられているはず。
見える部分にないとすると、この丘の向こう側か?
右回り、左回り。ヘモジとオリエッタが別々の方角に走り出した。
他のフロアではあまり見られない光景。オリエッタが周りを気にせず、全力疾走で駆け抜ける。
僕はちょっと上空に転移。島全体を見渡した。
「あらま」
ふたりが向かう先に廃棄船があった。ほぼ同着する勢いだった。
僕はそのまま転移、一足先に現場に到着する。
「ナーナンナー」
別にずるくないだろう!
オリエッタも到着。すぐに船の傷みを確認しに、船の周りを巡り始めた。
難破してそう日が経っていなさそうな佇まい。今にも遭難者が物陰からひょっこり現れそうな。
「浮かびそうか?」
「問題なーし」
甲板に飛び乗るオリエッタ。
ヘモジも乗り込んだ。
「ナーナンナ」
内側も大丈夫そうか。
船は元漁船のようで、ヘモジが船倉から釣り竿を大量に持ち出して甲板にぶちまけた。
中はふたりに任せて、僕は船底から水面までの土砂を加工する。まず固め、転がらないように溝を掘りつつ、勾配をつけて船を滑らせる準備をする。
帆のセッティングが済むまではこのまま待機だ。
「滑車、壊れてる」
「いつものことだろ。使い回せそうな物と交換だ」
「ナーナ」
三本マストのうち、ミズンマストが折れていた。
使えそうな物を流用、補完しつつ、瓦礫は砂浜にポイ捨てだ。
爺ちゃんたちには水竜ナガレがいたから推進力に事欠くことはなかったけど、僕は風力を使うしかない。
三角帆は汚れてはいたが、三枚とも朽ちることなく生きていた。一枚は予備で確保だ。
当初は爺ちゃんを見習って船を自作していたが、あまり意味がないと判断してからは、こうして廃棄船を流用させて貰っている。
と言っても、打ち上げられる船には違いがあって、傷み具合も大きさもその都度違うから、楽ができる日もあれば、自作した方がいい日もあるにはある。
今日はちょうどいいクラスだ。これ以上大きな船だと人数的に取り回せないし、小さいと大波に呑まれてしまう。
大人数で来ると大きな船が出るという噂も聞くが。ときには戦列艦が出てきて、それでクラーケンを倒したとか。
どこまで本当なんだか。
兎に角、船を壊されたところで、漂う手段がある以上、僕たちにこだわる理由はない。
最悪、転移して脱出すれば済むことだし。
「ナナーナ」
準備が終ったようだ。
「見て、見て!」
オリエッタが飛び跳ねる。
「なんだ?」
オリエッタの揺れる尻尾を追い掛けて船倉に下りてみると。
「まさか、このタイミングで……」
「ナナーナ」
さすがのヘモジも頭を掻く。
「缶詰だ……」
長期滞在を想定してか、結構な量が保管されていた。
将来的に缶詰の回収ポイントにならなきゃいいけど。
取り敢えず、滞在は三日を予定していたが、食糧事情だけで言えば、これで五倍以上の滞在が可能になった。こっちは三人しかいないから、大缶一缶消費するのも大変だ。
「これを消費するぐらい彷徨わないと遭遇できないってわけじゃないよな」
でなければ子供たちと長期バカンスだ。
「ナーナ」
準備完了。最終チェックをして船を出す。
そうそう、第一目標はクラーケンではなく、出口の発見である!
目に入った島は一つ残らずチェックだ。エルーダでは先人が集めた情報があったからよかったけど、ここはまだ未踏の海原だ。
「嵐に遭わなきゃいいけど」
こちらからできることはなく、セオリー通り風任せ、運任せだ。
檣楼もシュラウドもない船なので、オリエッタは操舵室の屋根の上に陣取った。
僕とヘモジは船室を選んで寝床をあつらえた。
「そうだ。シフトを組まなきゃ」
と言っても、ヘモジは早寝早起きなので、僕が遅くまで起きていて、明け方交替するだけだ。日中はオリエッタがいれば、多少うとうとしていても大丈夫だ。どうせやることもないのだから、昼寝も自由だ。
「退屈」
まだ半日も経ってないだろうに。
僕も潮目が変わったときに帆を張り直したぐらいで、方角と時間をマップに記入することぐらいしかすることがない。
家には戻れないので、昼食は大海原を見ながらお弁当である。
「温かいお茶がいいか?」
「冷たいの」
「ナーナ」
ひなたぼっこをしていたふたりは、甲板に直に腰を下ろし、冷えたお茶を所望した。
お昼は具だくさんのパニーニだ。一人に付き三食分を持ち込んでいる。
それに大缶サイズのコーンポタージュ缶を開ける。これだけあれば、飲みたいときに飲めるだろう。手鍋に移して温めた。
午後から夕食用の食料調達が始まった。
ヘモジが「潮目が変わった」と言って、何本も竿を用意して釣りを始めたのである。
当然その間、船足を止めることになり帆を畳むことになった。
ヘモジは船の縁に座って、浮きを黙って見詰める。
たまに動くので、寝てはいないようだ。
オリエッタも昼寝を再開し、暇なのは僕だけになった。
「ナナーナ!」
突然、ヘモジが声を上げた。
オリエッタも飛び起きた。
凪いだ水面に白波が立ち始めた。
「『アローフィッシュ』だ!」
どうやら一本釣りしている場合ではなくなったようだ。
大量捕獲のチャーンス。
エルーダでは、四十四層は塩焼きや干物にするとおいしい『アローフィッシュ』がよく釣れることで有名だった。釣れるというより刺さると言った方が適確だが……
急いで氷壁で船体を取り囲んだ。
「来た、来たーッ」
オリエッタは興奮しながら物陰に隠れた。
ヘモジは釣り竿をミョルニルに持ち替え、素振りを始める。
「程々にな」
「ナーナ」
『アローフィッシュ』がその名の通り、矢のように跳んできた。
水面を飛び石のように跳ねながら、もの凄い勢いで船舷の氷壁にぶつかってくる。
「相変わらず凄いな」
普通の船なら風穴を開けられてあっという間に撃沈される。
『アローフィッシュ』は細長い魚で、その名の如く鼻先が鏃のように鋭い殺傷能力の高い魚だ。何より全長が一メルテ近くあるので、ぶつかったら一溜まりもない。
が、自爆して水面に浮いてくる手合いであっという間に水面はいっぱいになった。
これで魔物ではないというのだから、世の中わからない。
ヘモジは甲板スレスレを通過する、直接小さな船員を狙いに来た連中を叩き落とす。
獲物は甲板を猛烈な勢いで滑って、後方の欄干にぶつかって海に落ちる。
「チッ」
ヘモジが舌打ちをする。
どうやらクリーンヒットできなかったようだ。
襲撃も一瞬だったが、逃げるのも一瞬だった。
かなわないと判断すると海の彼方にあっという間に去っていった。
水面には銀色の腹を浮かべた大量の魚の山。
あれを掬い上げる網はない。
なので、水面に下りて転送に次ぐ転送。まずは甲板まで。
そこで氷漬けにして自作箱に詰めて倉庫送りにする。
モナさんに定時連絡の確認をお願いしておいたので、発見され次第、市場に流されることだろう。
一尾だけは今夜、囲炉裏をセッティングして丸々塩焼きにすることにしたので、氷を張った生け簀に放り込んだ。
食料調達ができたので船は帆を張り先を急ぐことにした。
が、ヘモジは釣りを続けた。当然、針に魚が掛かることはなく、ヘモジも飽きて、オリエッタと的当てゲームを始めた。
的当てと言っても甲板に丸を描いて、そこに止まるように玉を転がすゲームだ。玉は手のひらサイズのチップで、オリエッタでも蹴飛ばせば動く程度の重さしかなかったが、ふにゃふにゃした素材だった。
「なんだこりゃ?」
「ドッチボールの玉の新素材」
「ナーナンナ」
その名も『寒天丸』って。
「獣人のドッチボール、半端ないから」
それを言ったら『身体強化』して対抗する人族の子供も同じだろう。
「要するに緩衝材ね」
「ナーナンナ」
どこで手に入れたんだか。
兎に角、それを最初は素手で、そのうち足で、最後は棒切れで叩いて、的に近付けるゲームになった。コースはいろいろ。甲板一周から障害物を設置してのくねくねコースまで。
球数を増やしてお互いの玉を弾きながらなんてことにまで発展した。
あっという間に日が暮れた。
島が見えたら錨を降ろしてと思っていたのだが、ここの水深だと錨は届くのか?
空を見上げてもどれが頼りになる星かもわからないし、ここはもう流されるままだ。速度は測れないが、方角と時間だけは記録しておく。
夕飯は『アローフィッシュ』の塩焼きだ。丸々一尾は食べ切れないので、切り分けて、串に刺して塩を振る。後は廃材をくべた囲炉裏で一時間。
三人たわいもない話をしながら焼けるのを待つ。
「足りなきゃ、余分に焼いてるから」
「早く、早く」
「ナーナンナ」
脂がのってプツプツ。塩が焼けていい匂いだ。
待っている間に、涎でふたりとも窒息しそうだった。
ふたりは待ちきれずに皿を奪っていった。
身をほぐしてやろうと思ったのに。
この調子じゃ、余分もあっという間になくなりそうだな。
「もっと多めに切り分ければよかったな」
「酒! 酒だ!」
「ナーナンナー」
お前ら、飲まないだろう? ウーヴァジュースで我慢しろ。
止める者は誰もいない。
たらふく食べて、たらふく飲んだ。
「ナーナンナ」
何がクラーケン来たらよろしくだ。
「幸せ……」
ふたりは焚き火の前でスヤスヤと寝息を立て始めた。
船は闇のなかを静かに進んだ。
聞こえるのは帆のはためきと波音だけ。




