クーの迷宮(地下41階 レイス戦)缶詰の行方
『疫病観察日誌』
その中には対岸に移ってきた人々も感染を免れなかった実態が描かれていた。
ただ様相が違ったのは感染者たちが人を襲うようになったことだ。ゾンビ化というやつだ。そのため異常者は教会の神父を呼ぶまでの間、領主の別邸に閉じ込められることになった。特に状態のひどい者はこの洞穴の先にあった密室に閉じ込められたとある。
が、住人たちは見誤った。異常者はゾンビ化したのではなく、レイス化したのだ。
感染は沈静化するどころか広がった。
夜な夜なレイス化した異常者たちが抜け出しては人を襲っていたのだ。
馬車小屋の杭は馬車で外部に逃げ出そうとする住人を妨害するための物だった。領主は感染拡大を防ぐために尽力したのだ。日誌には扉を打ち壊した住人たちを領主自らが殺めたという記録が残っていた。
「重いわ……」
僕たちは再び屋敷に戻り、物色を再開していた。
「浄化魔法掛けて」
さすがのオリエッタとヘモジも感染者が収容されていた場所で発見した缶詰には抵抗があるようで、これまでの所と実質変わっていないのだが、欲望の食指は伸び悩んでいた。
「もういいぞ」
「ナーナ」
選別を始めた。
「箱、箱」
缶詰が箱で出た。
でも箱に入っていた物は全部大きいサイズ。ふたりの落胆は計り知れなかった。
「小さいのはいろんな形があるな」
「でっかい桃缶……」
まだ言ってる。
そりゃ、大きなサイズのフルーツ缶が欲しいのはわかるけど。シロップの飲み過ぎは不幸を呼ぶと思うぞ。
ヘモジがまた見付けてきた。
「ナナナ」
他の出物はそのまま置いてきたって?
「どこだ?」
「ナナナ」
「お前なぁ」
僕は宝箱があったという隣の部屋に向かい、中身を確認した。
「…… これは」
内装が施されたワンランク上の宝箱に、紫色の四角い石が嵌め込まれた銀細工のネックレスが鎮座していた。
『ロジータの首飾り 対岸に家族を置いてきた娘の遺品』
探していたクエストアイテムだった。
「ヘモジ…… 見過ごすところだったぞ」
戻った僕をふたりはうるうるした目で見上げた。
「何?」
「出た」
そう言って差し出してきたのは大きな桃缶。
ラベルを確認すると確かに『黄桃』と書いてあった。
「どう見ても一度に食べられる大きさじゃないな」
「ナナーナ」
「食べられる」
苦行になるだろう。
「みんなで分け合った方がおいしく食べられると思うけどな」
ヘモジがもう一缶差し出した。
「ナナナナナ」
一缶はみんなで食べていいらしい。
「クエストアイテムも回収したことだし。帰るぞ」
既にリュックに収まり切らないだけの缶詰を回収している。その度にリュックに収める缶を選別、入れ替えているが。
「やっぱりか」
「ナナナ」
帰りの船のなかで食べる?
「転移しないのか?」
「ナナナ」
現実では深夜なんだけどな。
「まあ、いいか」
でかい桃缶一つと小さな缶詰をいくつか入れ替える。溢れた缶詰は集めてきた他のアイテムと一緒に倉庫送りに。
岸辺に戻り、小舟の向きを変えて、対岸に向かう。
風は断続的で思うように進まない。が、そんなことより缶詰だ。
「ほんとにいいのか?」
ふたりは大きく、何度も頷いた。
「じゃあ、開けるからな」
ラベルには中身の個数は明記されていないが。
「なるほど」
半身の大きな桃が三十個ぐらい入っていた。シロップもたっぷり。
「絶対太るな」
「ナナナ」
「はぁー」
ふたりの涎がシロップと混ざりそう。
「掬って好きなだけ食え」
「いただきまーす」
「ナナーナー」
対岸に着いた。
「気持ち悪い……」
「ナーナ……」
あれだけ食べたら船に酔わなくたって。
ふたりはあきらめ『万能薬』を口にする。
「敗北の味」
「ナー……」
「いつもの味」
「……」
「まだ終ってないぞ」
僕も手伝ったが、さすがに全部は食べ切れなかった。残りは栓をして転送したが……
「早く帰らないと蟻が見付けるかもな」
「!」
「ナナナ!」
薬が効いたのか、ソワソワできるようになった。
でも肩の上に戻ってきたオリエッタは重かった。
倉庫自体が保存庫の機能を果たしているから、劣化はしないし、結界が蟻など寄せ付けない。
僕たちはクエストの発注者の元に向かった。
他の冒険者もさすがに深夜を過ぎると手仕舞いしていて静かだ。
現地に到着すると爺さんがテラスでお茶を啜っていた。そして僕たちの姿を視界に捉えるや、満面の笑みを浮かべて出迎える。
「嗚呼…… お帰り。よう戻ったね……」
爺さんの視線は僕たちの背後に向けられた。
肩越しに何か見えるのか?
僕たちは振り返った。
が、何もいなかった。
爺さんの方に再び向き直ると、爺さんの姿も消えていた。
「ただいま、お爺ちゃん」
若い女性の声が擦れ違った気がした。
僕はポケットに違和感を感じて、手を突っ込んだ。
手入れがしっかりされているように見えていたクエストアイテムの鎖が手のなかで砕けた。
銀細工の表面が酸化して黒く染まっていた。嵌め込まれた石も心なしか曇っている。
「終わり?」
家族の遺影のそばに僕はネックレスを置いた。
三人で手を合わせ、その場を後にしようとしたとき、奥の部屋で大きな物音がした。
音のした部屋に向かうと、額縁が一つ歪んでいた。
そしてその背後に隠し金庫が覗いていた。
どうやら礼を持って行けということらしい。
「開けるぞ」
小さな金庫に収まっていたのは、見るも眩しい白銀の腕輪と短剣だった。
「貰っていいのか?」
二つのアイテムには共通した効果があった。それは所有者の周りに聖結界を発動させるというもの。
短剣の方はそれに加えてアンデッドを攻撃するのに有効な効果が付与されていた。
「ナナナ」
ヘモジが突然、僕のリュックをまさぐって缶詰を一つ取り出すと、爺さんがさっきまで座っていたテラスのテーブルの上にそれを置いた。
「ナーナ」
僕に缶の蓋を開けろと催促する。
ヘモジは部屋から食器とフォークを探し出してきて、お供えする。
あんなに自分で食べたがっていたくせに。
僕たちは無人の屋敷に「さよなら」を言って、その場を後にした。
召喚獣の目には何か映っていたのだろうか?
「さー、出口はどっちだ」
湿っぽさを吹き飛ばして僕たちは先に行く。完全に予定時間は過ぎている。
深夜には帰る予定だったのに、明日子供たちを引率する以上、ゴールまで見ておきたい。
「そういえば、このフロアのリセット時間は」
通常だと深夜がリセットタイム。本来であれば今頃が一番危ない時間帯だ。再湧きするこの時間帯を狙って二度狩りする冒険者もなかにはいるが、それはそのフロアを熟知してのこと。
カテリーナのお姉さんズも以前は効率重視でやっていたが、余剰資金ができた段階で手控えるようになっていた。
このフロアのリセットタイミングは現実世界の朝の六時。マップ情報にあった。
「狩り尽くされてる」
例の魔石のおかげですっかり人気フロアだ。
出口までの道のりはのんびりしたものになった。湖畔を右に見てひたすら西進だ。
注意すべき地形はないな。明日も夕刻スタートなら敵の数も限られるだろう。
いつもの階段を見付けた。
崖を下る石階段に一部化けているが、紛れもない。
「やっと眠れるな」
脱出ゲートを潜って、僕たちは白亜のゲート前に降り立った。
「ナナナ!」
「はやく! はやく!」
ふたりは僕をおいて工房に飛んでいった。
「お前たちだけじゃ、中に入れないだろう」
そういうわけで僕は追い掛けた。
「はやく、はやく」
「ナナーナ」
僕は工房の扉の鍵を開けた。
魔力を吸収して明かりが灯ると、ふたりは地下に全力疾走。
地下の明かりも点いていく。
リュックを背負ってるのは僕だぞ。
「ナナナナナ」
「こっち、隠す」
賑やかに隠蔽作業が始まった。
吐く程食って、まだその執着が残っているとは恐れ入る。
ふたりは転送したあぶれ物も自分たちの専用棚の奥に次々押し込んでいく。
僕は家の方に運ぶそれ以外の缶詰をまとめていった。
「それにしても随分、取れたな」
レア商品だと思っていたのに、まさかこんなに出るとは思わなかった。
僕は転送する物をまとめた。
ふたりは作業を一段落終えて、食べ残した大缶の蓋を開けに掛かった。
なぜか彼らの足元にはまだ缶詰が残っていた。
「これは?」
「キープした残りだから」
同じ物が三品以上出たら、三つ目からは権利を放棄するという。
ヘモジが皿に中身をドバドバと流し込む。
「ナーナ」
ぬるくなったから冷やせと言う。
「夜中だぞ?」
僕は皿を冷やしてやって、残りをまとめて転送する。
ふたりは二切れずつ、桃一個分ずつを平らげた。
いくら猫のようで猫じゃないとはいえオリエッタは食い過ぎだろう。
「ナナナ」
「最後の一個?」
大量のシロップのなかに半身の桃が二つ。僕にも丸々一個分くれるのか?
ふたりは僕が皿を空にするのを待って、残ったシロップを分け合った。
「よく飲めるな」
「桃味おいしい」
「ナナーナ」
そしてヘモジは缶に残った分を持ち帰るべく、再び栓を施した。
「ナナナ」
もう一度、封をしろって?
僕は浄化を施し、缶と蓋をもう一度接着した。
缶を振って、漏れがないことを確認すると、ふたりは満面の笑顔を浮かべた。
じゃあ、今度こそ帰るぞ。
まったく深夜に何やってんだか。
僕は大きな欠伸をしながら倉庫を後にした。




