ペルトラ・デル・ソーレ
『ではそのゲートキーパーという方と相談すれば我らに住処を提供して貰えるのですね?』
朝食の卓上に逆さまに置かれたカップに腰掛けながらミントが言った。
「たぶんね」
まるで添え物の一品のようだ。
「この世界じゃ、住みづらいものね」
ラーラがジュースを垂らしたスプーンをテーブルに置いた。
『故郷に帰っても、ここと同じく魔力が枯渇した世界になってしまっているでしょうから……』
ミントは素手で掬ってジュースを舐めた。
大きな目をさらに大きくして『甘い! おいしい!』と叫んだ。
味覚が近いのは幸いだ。岩しか食べないとか言われたらどうしようかと思ってた。
「なんでタロスと一緒に行動してるの?」
『好きで一緒に行動していたわけではないのです。奴らは憎き侵略者ですから。我らはまさに手も足も出ない虜囚なのです』
ミントは何を思ったのかスプーンの縁を噛んだ。
『硬い……』
「食べ物じゃないから」
ラーラが自分のケーキに載っていたイチゴをミントの前に置いた。
ミントは一考した末イチゴに付いたクリームからまず舐めた。
またまた目を大きく丸くした。
『ここは天国ですか!』
「こんな熱い所、天国じゃない」と、通訳以前にオリエッタに突っ込まれた。
ミントは急に押し黙って故郷とはまるで違う景色を寂しそうに見詰めた。
気を取り直すとがぶりとイチゴに噛みついた。
『元々…… モシャモシャ…… 奴らの航海術に後戻りという言葉はありませんでした。ゴックン。イナゴのように食い尽くしたら次の世界へ。前進あるのみだったのです。だから移住先を間違えて滅びる可能性を常に内包していたのですよ。それで自然と人口のバランスが取れていたのです…… ハムッ。でも我らを手中に収めたときから…… モシャモシャ…… 状況は一変しました。手当たり次第、食い尽くす習性に変わりはありませんでしたが、ゴックン、魔力が枯渇した末期的状況下でも我らの深い絆を悪用することで…… 脱出する術を手に入れたのです! ハムッ!』
ここで『寝言』に付いての説明がなされた。
「つまりそのシグナルを利用して互いの世界の位置を掌握していたと? そして余裕がある世界から救助の手が差し伸べられて本来なら滅びていたはずの連中を救出してきたと?」
『彼らの死亡率が激減した要因なのです。わたしもびっくりだったのです。まさか『寝言』に次元を越えて伝播する能力があったなんて。奴らが食い散らかした世界は自然と魔力が枯渇するので、我らも自然とシグナルを発していたのです。知らなかったこととは言え…… 我ら自ら、敵に塩を送っていたとは…… この世界もいずれ魔力が潤沢な世界から第二形態のタロスが迎えに来るに違いないのです。仲間たちに警告しなければなりません! 『寝言』は吐くなと!』
すべて今朝方、僕たちとの会話のなかで確信したことらしい。
「第二形態?」
『タロスも我らと同じく環境によって姿を変える生命体なのです。この世界にいる奴らをわたしはまだ見ていませんが、恐らく第一形態のはずです。魔力節約形態です』
「もしかして……」
ラーラはメインガーデンの町を襲った新タロスの容姿を語った。
『そう、それです! それが第二形態、真のタロスの姿です! 一騎当千。いかなる世界の生物も膨大な魔力でねじ伏せる、まさに魔獣! でも我らは倒せませんでしたけどね』
そうらしいな。
殻に閉じこもった『ペルトラ・デル・ソーレ』はある意味最強だ。殻を破るには魔力を提供するという慈悲の心が必要なのだから。タロスに何より欠けている資質だ。
それにしても新しい系統のタロスだと思っていた奴が進化形だったとは……
『兎に角、奴らは我らを次元を越えるための道標にしているのです!』
「一つの世界のなかでも同じことが言えるのかしら?」
『元々我らの故郷では普通に使っていたのですから当然です! ただの救難要請信号なのです!』
「やはり『太陽石』が転移を誘発していたということになるのかしらね?」
『わたしたちに転移する能力はありません』
「じゃあ転移はタロスが」
『第一形態のタロスも転移する能力はありません』
「でもあなたたちを発見した、第一形態が出てきた穴のなかには転移の形跡があったし。最近は防衛ラインを容易く越えて来ることも…… そもそも五十年前、いいえ、もっと昔からここではないわたしたちの故郷を襲ってきたのもここの連中なのよ」
『それはこの世界に第二形態のタロスが生き残っている証拠です。力を蓄えては味方を飛ばしたり、移動できそうなめぼしい世界を探索しているのでしょう。失敗する度に第二形態のタロスが減るのはいい気味なのです』
「だったらとっくに脱出しているんじゃ?」
『逃げ出す先が定まらなければアプローチの仕様がないのです』
「アールヴヘイムを次の侵攻先に選んだはいいけど、失敗して立ち往生。打つ手がなくなって、救援を求める間、嫌がらせをしてるってことかしらね?」
『え?』
ミントは突然固まった。
「どうした?」
ミントは舐めるように僕たちを順に見詰めた。
『あなた方はもしかしてタロスの大侵攻を阻止したことがあるのですか?』
「まあ、全部第一形態って奴だったみたいだけど。ここではない僕たちの世界側でね。それで敵地だったこの世界を今度はこっちがぶんどろうってことになったわけ」
唖然として動かなくなった。
「メインガーデンで会ったあいつがタロスの本来の姿だったのなら、この世界がこんな風になってしまったのも頷けるわね」と、ラーラが言った。
「タロス兵の多くが第二形態だったらと思うとゾッとするわ」
「メインガーデンはほんとに危なかったのですね」
イザベルとモナさんが続いた。
『そうだ! その第二形態は撃退したのですか! 回廊は?』
我に返ったミントが語気を強くした。
「ああ、それね。勿論撃退したわよ。リオネッロがちょっとやり過ぎちゃったみたいだけど」
「偶然だよ。偶然。神様がくしゃみした拍子に天秤が床に落っこちたってやつ。運が味方しただけだよ」
「異世界のタロスまで全滅させちゃったみたいですよ」
デザートと順番が逆になってしまったが、婦人がすべての料理を細かく刻んで、小皿に乗せてミントの前に提供した。お手ふきも忘れずに。
『! そんな! ほんとに?』
「第二形態を倒したとき、次元回廊が繋がっていたせいで、繋がっていた側の世界にあった拠点も壊滅してしまったらしい。そこから逃げ出そうとした連中が開いた回廊を伝って、その先の世界もいくつか巻き込んだ。それでタロスがいなくなった空き地をゲートキーパーが即刻切り離して自分の管理下に置いたわけだ。ゲートキーパーからの報告ではそういうことになってる」
『あの聖なる泉の清水を生み出す能力があるのなら、拠点破壊もあり得ない話ではないですね。それにゲートキーパーですか。凄い種族がいたものです。陣取り合戦であのタロスの上を行くなんて』
「普段は迷宮のなかに引き籠もってるけどな」
『迷宮?』
「色々もたらしてくれる恵みの洞窟さ。ゲートキーパーにはこの船が目的地に着いたら会う予定になってる」
『ほんとですか!』
「それでさっきの話だけど」
ラーラが話を巻き戻した。
『転移してくるというやつですか?』
「そう、それ。わたしたちが今、直面している一番の問題がそれなのよ。あんたたちが絡んでいることはほぼ確定なんだけど、心当たりはないの?」
『先程も言いましたが、第一形態のタロスは転移できません。第二形態のタロスが送り出しているのです。で、そのとき必要になるのが我らの道標としての能力なのです。転移座標は本来転移する者が自発的に選ばなければなりません。でも転移できない第一形態にはそれができないので、我らの絆を利用しているのです』
「それってあんたたちの仲間のいるところにしか飛べないってこと?」
『当然です。とは言え、我らもシストの形態では意識がありませんので、危険な行為と言わざるを得ないでしょう』
「わかったような、わからないような」
「マリーは全然わかんない」
「ナーナ」
「もっとわかるように説明してくれないかしら?」
「みんなポータルやゲートを使ったことは?」
ラーラとヘモジとオリエッタ以外、大きく首を振った。
「この世界のポータルはビフレストのゲートだけなんだから、ないに決まってるでしょう」
イザベルが言った。
然もありなん。
「『転移』をポータルやゲートが起こしている現象のように思われがちだけど、実は高等魔法を補助している魔導具に過ぎないんだよ。つまり魔法である以上、発動には当人の明確な意思が介在することになるんだ。第二形態のタロスが認識できる範囲でならゲートを開いて単に送り出せばいいことなんだけど、認識の範囲外ではそれができないんだ。見たことのない場所には飛べないし、飛ばせないんだよ。僕たちにそれを補助するゲートやポータルが必要であるように、タロスにはミントたちが必要だったんだ。彼女の言うところの絆というやつがね」
納得したのはモナさんぐらいだった。
ポータルのコンソールすら見たことのない者に理解しろと言うのがそもそも酷な話である。魔法使いになる気がない者にはそもそもどうでもいい蘊蓄だ。
「呆れた! 今あの子に聞いたんだけど、なんとかいう殻を破るには一定量の魔力を最低でも三日間、浴び続けなければいけないらしいわよ」
「何それ?」
徹夜して寝ぼけている僕の部屋にラーラが飛び込んできた。
「『いきなりバケツ一杯分の水を飲めと言われていっぺんに全部飲み切れる? 飲み切るには時間が掛かるものなのよ』だって。したり顔で言われちゃったわ。だから調査してもわからなかったのよ! あの形態を解除させるために魔法の塔の連中だってゲートキーパーだって当然、搦め手を試したはずだもの」
「それ今聞かなきゃいけないこと?」
「当然、殻を破るために魔力を注いだはずなのよ」
聞いちゃいない。
「じゃあ、なんで今回は? たまたま?」
「『万能薬』だったから逆らえなかったんだって」
「土属性は水に弱いって話? あ、でも今は羽が生えてるから風か?」
「意外性に負けたんだって」
「なんだそりゃ」
「『万能薬』の回復効果が即行で効いちゃったみたいね」
「他の連中はどうするか聞いた?」
「寝かしておくって。ゲートキーパーに会って身の振り方が決まってからにするって」
「あ、そ」
「ところで『万能薬』を垂らしちゃったお馬鹿の処遇のことなんだけど」
僕は飛び起きた。
「マストの上に括り付けておいたから助けないでね。一日、日干しの刑よ」
部屋から出て甲板から見上げるとメインマストのてっぺんに哀れなヘモジが括り付けられていた。
「ナー…… ナー……」
哀れ、ヘモジ…… 日焼けしたら再召喚してやるからな。
「それと、管理者不行き届きであんたのお昼も抜きだから」
「えーっ!」
「姉さんには内緒にしておいてあげるんだから感謝してよね」




