小さな誇りと初級迷宮(仮)
「師匠、敵いないよ?」
「いるだろう。ほら」
それは太った鼠。子供たちの足元を通り過ぎる。『食肉ラット』という名の攻撃対象である。
「確かにこんな感じだったわね」
ラーラものどかさを思い出していた。
そこは建設途中の初級迷宮。帰りがけ、離れ小島の初級迷宮が見てみたいという子供たちの意見を尊重して寄り道することにしたのだった。
上陸したのは子供たちとヘモジとオリエッタ、僕とラーラだ。
「冒険者より作業員が多いわね……」
潮の満ち引きで沈んでしまうその島は今ではしっかり嵩増しがされて沈まぬ島になっていた。
「初級迷宮なんてこんなものよ」
教会の手がまだ入っていないので、工事現場は主に迷宮の外側である。
「教会はいつ来るのかしらね?」
「あと一週間程で到着するそうですが」
現場監督がラーラの接客をする。砦からの出向である。
「掛かってるわね」
「船の調達に時間が掛かったようで」
「見栄っ張りだものね」
「はは…… まったくです」
現在迷宮の所有権は発見、管理している『銀花の紋章団』にあるが、これを教会に譲る予定である。
迷宮の建設費を『銀団』が払うならこのまま所有権を主張してもいいのだろうが、既に一つ持っていることもあり、改めて開発する意志はないのである。
将来的な地域開発にはぜひ欲しい物件ではあるが、今はまだ戦時中。魔石の取れない洞窟に投資している場合ではないのだ。風当たりも強くなるだろうし。
正直金銭的な価値で言えば、上級者迷宮があれば初級迷宮を所有する意味はない。ここは国や領主や『冒険者ギルド』や『教会』に譲り渡すのが最良である。
幸い、今回は内海のこちら側に進出を狙っていた『教会』と折り合いが付いたので島ごと譲ることになったのであるが。
「地下にどうやって降りるの?」
「どこかに道がある」
「コウモリだ」
「襲ってこないね……」
数はまばらで、天井に張り付いたまま襲ってくる様子もない。
ヴィートとマリーが魔法で凍らせて落っことした。
しばらく待って魔石に変わるのを待った。
「……」
「これ売れるの?」
小さな屑石が多数。
「たまに魔石も出るはずよ。ほとんど運だけど」
「黒石も売れるよ。鉛筆の材料になるんだ」
「ただの小石だってまとまれば商品になる」
「でも安いよね?」
「初級迷宮だからな」
「下の階に行く?」
現場監督に視線を向けると、下の階に降りられる場所まで案内してくれると言う。
「鼠ばっか」
「食用だから持ち帰るか?」
「美味しいの?」
「食べるのかよ」
「ドラゴンタイプの肉がだぶついてるのにいらないでしょう」
「襲ってこないのはいいよね」
「それでもスルーされるエリアだけどな」
「最下層でようやくゴーレムが出てくる感じだったかしら」
「どのゴーレム? サンドゴーレムくらい?」
「無印」
子供たちが一斉に愕然とする。
「あれが最下層……」
がっかりするなよ。
「やりたい放題か!」
「フフフ、乱獲し放題!」
そっちか!
「儲からないけどね」
「クーの迷宮の低層で狩りをした方が儲かると思うぞ」
「初級迷宮は狩りより採取とかの方が利用価値があるしな」
「そうなの?」
「たまに珍しい薬草なんかが生えてるんだ」
「あそこから下に降りられます。足元が緩いのでご注意下さい」
「魔石だ」
光の魔石が僕たちの魔力を吸って明るく輝き出した。勿論、作業のために設置された物だ。
「サラマンダーだ!」
「いえ、ただの『赤トカゲ』です」
「なんだ、火吐かないのか」
「ちっちゃいし」
トカゲはこちらを見付けると舌をペロリと出して岩の隙間に逃げ込んでしまった。
「ここほんとに迷宮なの?」
整地も何もされていない地形は足場も悪く、空気の淀みも気に掛かった。
「大きいのがいた!」
大きいと言ってもオリエッタ当人とそう変わらない。
「こっちにくるよ!」
「やる気満々じゃん」
「初心者が経験する最初の試練ですね」
最初のアクティブモンスターというわけだ。
「フェンリルみたいなもん?」
あれも試練だが、その前にもいただろう? 餓狼とか、ゴブリンとか。
大物の名を聞いて現場監督が驚いてる。
「やってもいい?」
「やらなきゃ、付き纏われるんじゃないか?」
「じゃあ、やるからね」
マリーとカテリーナが前に出て、結界を張る。
そしてトカゲの最初の一撃を待つ。
トカゲは見えない何かにぶつかると、尻尾を振り回して威嚇してきた。
「……」
「ダンス?」
カテリーナがそばに寄って、杖で頭を小突くとトカゲは動かなくなった。
「あれ?」
「…… 死んじゃった?」
フィオリーナとニコレッタは呆然とする。つついたら逃げると考えていたのだ。
「あ、逃げた!」
「死んだフリだよ! 初めて見た」
呆れるふたりの顔がおかしくて、みんなして笑った。
「『魔物除け』で回避した方がよさそうね」
大物は滅多にいなかったが、見付けたとしても絡まれないように、子供たちは距離を取るようになった。
そしてろくに戦闘をせぬまま地下二階に下りる坂道を見付けたところで、僕たちは脱出を決めた。
「ほんとに初心者用だったね」
「僕たちもこの辺から始めなきゃいけなかったんだよ」
「時間の無駄だと思う」
「みんながみんな、わたしたちみたいに恵まれているわけじゃないもの。装備も武器も魔法も何もない者はこういう所から始めなきゃいけないのよ」
本来自分たちが辿るべきだった道程を思い、しんみりとなった。
「でも死ぬ可能性はあんまりなさそうだよね」
「ゆっくり少しずつ強くなっていくんだ」
「いつか最下層まで行ってみようぜ」
「行ってもゴーレムレベルらしいけど」
「それでもさ」
「そうね」
それがなんであれ、自分たちの手で勝ち取ったものならば……
「でも教会の工事が終ってからだね」
「転移ゲートないと始まんないもんね」
「途中で居眠りしちゃいそう」
「僕たちなら楽勝さ」
「そうね。わたしたちだって遊んでいたわけじゃないもの」
聞いていない振りをしながら僕とラーラは先を行く。
「時は巡る、ね」
「そうだな」
ヘモジとオリエッタは事務所の前でアイスバーという氷菓子を棒に指した物に注視していた。
「ナナーナ?」
「何々?」
「売り物?」
「作業員のための物ですが、よろしかったらどうぞ」
現場監督の許しを得て、一人一本ずつ頂いた。
スライスしたフルーツをいろいろ型に入れて凍らせただけの物だが。
「カチカチだ」
歯が立たない。
「でも美味しい」
「今度うちでもやってみようかしら?」
僕たちは浮いている船に転移して、出発準備を始める。
現場監督からいろいろ雑用を賜ったラーラも乗り込んだ。こちらはお礼に積み荷の肉を無償で提供した。
「おまたせ」
「全員いるな?」
オリヴィアも大きく頷いた。
『全方位異常なし』
『下方も異常なし』
「これより帰投する」
「微速前進。高度上げ。ヨーソロー」
「魔力残量は?」
「五割残ってます」
「正味三割か。悪くないわね」
「悪いだろう?」
「これだけ湯水のように使っておいて、あんた、ネジ緩んでるんじゃないの?」
「そうか?」
「じゃあ、帆を張って帰る?」
「いや、このままでいい」
トーニオが心配そうにこちらを覗き込む。
「むしろもっと飛ばせ」
「飛ばします! 強速まで加速。ヨーソロー」
一泊して翌夕刻、僕たちは自分たちのいるべき場所に帰ってきた。
船が激減して殺風景になった港を見て、子供たちは少し寂しそうだった。
「一週間もしたらまた混み始めるさ」
「港に着けてちょうだい」
オリヴィアがトーニオに声を掛けた。
「入り江じゃなくて?」
「積み荷を降ろすのよ。商会のドックが空いてるでしょう。入っちゃいなさい」
回収品を解体屋に回すなら、入り江に入れてもどうせ後で港に接岸しなきゃいけないわけだし。家にサッサと帰りたい気持ちもわからないではないが。
「さっさと済ませちゃおう」
ドックが空いているときでないとできないので、後でやろうとすれば日程の調整なんかでオリヴィアの手を煩わせることになる。
トーニオは船の高度を下げて、そのまま着水した。
「牽引どうするの?」
「任せておきなさい」
「結界解除。機関停止」
「結界解除。機関停止します」
「ガーディアン来たよ!」
船は係留ロープを掛けられ陸に引き寄せられ始めた。
『格納庫のハッチ開けろって言ってるよ』
「ん?」
「開けてあげてくれる?」
フィオリーナが僕を見る。
僕は頷いて後部ハッチを開けさせた。
港は一気に人でごった返した。
作業用のガーディアンが次々押し寄せてくる。
ドラゴンタイプの骸をそのまま保管していたら格納庫は今頃血の海になっていた。当然そうしないために羽をもいで、尻尾も輪切りにして、コンパクトに棺に収容してきたわけだが。それでも箱は巨大だった。
回収は僕が転送して済ませたので手間はなかったが、それを今してしまったら作業員たちに給金は払われない。なので手出し無用である。
勿論、それでもプロがやる仕事だ。手慣れたものである。
箱の底の四隅にキャスターが付いた板を滑り込ませて、魔法で固定、即席の荷車を造り上げ、それにワイヤーを掛ける。
ワイヤーの反対側を港のそこかしこにある滑車に掛けて、それをガーディアンで引いて、引き摺り出すのだ。
甲板の上の棺も、巨大なクレーンで港に降ろしてしまえば後の行程は一緒だ。
港の固く平らな床面まで引っ張り出せれば、後は簡単だ。ガーディアンで押すか、引っ張るかして目的地まで運んで、行き着いた先で箱を解体すればいい。
僕たちは積み降ろし作業が終るのを甲板から見下ろしながら待った。
オリヴィアとその一行はここで降りるようだ。手数料をごっそり持って行かれるが、この先はお任せだ。
「ただいまー」
入り江に降りると子供たちはそそくさと家の中に入っていった。
ヘモジの壊した僕の機体の修理は帰路の間にある程度済ませたが、ほとんどくっつけただけだ。
ちゃんとした修理は工房で行なうことにして、今日はこのままでいいだろう。
あれ?
僕は振り返った。
「あいつらどこ行った?」
オリエッタとヘモジがいなかった。




