クーの迷宮(地下39階 土蟹・殺人蜂・ジュエルゴーレム戦) 蜜蝋造りと『タートルタイプ』考察
すべての採取が終ると、二日分の廃棄物を持って、工房の屋上に出た。
そこで水を張った大鍋を火に掛け、削り落とした蜜蓋や絞り滓を順次投入していく。
蜜蝋造りである。
黄土色した液体が湯に踊る。
魔物から回収した古着の布を、別に造った鍋の上にたわむように張り、そこに沸騰した中身を流し込む。移し替えが終ったら、布を引き上げ不純物を回収、魔法を駆使して絞り切り、残り滓を今度こそ廃棄する。
不純物を取り除いた液体の上に浮いた黄ばんだ塊が蜜蝋である。
温度を下げ、固まったら拾い上げ、洗った最初の鍋に再投入。再び加熱して、溶けたら濾過を繰り返す。
納得したら終了だ。が……
「こんなにどうするの?」
休憩しに上がってきたモナさんが、あまりの量に絶句する。
子供たちは玉のような汗を拭いながら、大量の塊を自慢げに、湖から吹く風に髪をなびかせた。
「商会に売れないかな?」
我が家にはバケツ一杯分もあれば充分だ。ハンドクリームや石鹸、ワックスになる。
子供たちに型にする容器を造らせ、精製の済んだ蜜蝋を手桶で掬って流し込んでいく。
そして『氷結』魔法の練習が済んだら、型を抜き、倉庫の販売用棚に収めた。
持ち帰り用の蜜蝋と蜂蜜は我が家に転送して、本日の作業は終了だ。
「なんかホットケーキ食べたくなった」
「えーッ」
ミケーレの腹の虫が鳴った。
ソルダーノさんの店は本日も盛況だった。婦人会の出し物も在庫はもうわずか。
「夕飯も蜂蜜料理だったらどうしよ」
「蜂蜜隠しちゃおうか?」
「誰が?」
「ナーナ」
「やだよ。おばちゃんに怒られる」
「夕飯をお前たちが作ったらどうだ?」
「駄目だよ」
「勝手に台所使ったら、それこそ叱られるよ」
「こうなったらラーラ姉ちゃんに頼むしかないよ!」
子供たちはラーラを探しにギルド事務所へ駆けて行った。
「元気だなぁ」
「直接言えばいいのに」
「ナーナ」
一足早く帰宅した僕たちは、ヘモジの壺を部屋に運び、残りを保存庫に収めた。
夕飯は普通にハンバーグだった。こってりデミソースでみんなほっと胸を撫で下ろした。
ソースの隠し味に蜂蜜が使われていたのに、子供たちはいつもと変わらず、否、いつにも増して、お代わりをねだった。
夜明けと共にヘモジは自分の蜂蜜の壺を開け、一舐めしてから出ていった。
甘い香りに起こされた僕は地下の入り江に下りて、水面を見詰めた。
大伯母が乗っていった船はまだ戻らない。
投下爆弾を南の渓谷砦に届けているから、戻るまであと数日掛かるはずだ。
大伯母が行かなくてもいいのに……
運んでいる物が物だから、付き添いが誰でもいいわけではないのはわかるが。
砦の斥候からも新種の情報はあれ以来入ってきていない。
「重力を操る敵……」
『無双』があるラーラや僕ならすぐにでも対処は可能だろうが、戦場は二人切りでは広過ぎる。
『タートルタイプ』と既存の兵力でどう戦うか?
解決策は今のところ一つだけ。投下爆弾による飽和攻撃のみだ。
ただでさえ魔石が貴重な前線なのに。
「打つ手がないより、ましなんだろうけど」
そういう意味では投下爆弾を使用した判断は、英断だったと言えるだろう。
おかげで見えてくることもある。
それは『タートルタイプ』に自殺願望も自己犠牲の精神もないということだ。
負けが確定した段に至っても、重力魔法を暴走させなかった。重力崩壊を経て自身諸共、周囲を飲み込むこともできたはず。
味方の犠牲を配慮したのか? それとも魔力が足りなかったか?
付け入る隙があるとするならその辺だ。
禁書の類いでしか扱われない分野の話だから、大伯母の書庫にも読むべき物はなかった。
「爺ちゃんの爺ちゃんが研究してた資料に何か……」
昔見たような気がするんだけど……
伝説の禁呪魔法『グラビトン』!
いや、あれはフィクションだ。『異世界召喚物語』だったか。魔王の究極奥義を勇者はどうやって捌いたんだったか……
勇者がヴィオネッティー家の始祖だというなら、素養は僕たちにも受け継がれているはず。となると考えられるのは『魔弾』だが……
いやいや、あれはフィクションだ。魔王がいた歴史なんてないし。
魔弾と言えば…… 魔素…… 魔素と言えば……
「!」
フィクションかどうかは兎も角、ひらめきが突然やってきた。
「思い出した!」
魔素をぶつけることで魔法制御を崩せるんだ! 共鳴と干渉。揺らぎが起こって『現象』が維持できなくなる。
「あの本はフィクションなんだよな」
物語には真実や歴史が刻まれているケースはよくあることだが……
魔素は重力の影響を受けないのだろうか? そもそも『グラビトン』が魔法だというのなら、魔素を利用しているはず…… 原資は同じということか?
その仮説が正しいなら対抗する結界も組めるはず。
でも肝心の術式がわからないんじゃ話にならない。
邪魔をするにしても超重力下では接近すらかなわないだろう。
アンドレア様と同系列の『魔弾』持ちがいればいいんだけど。タロスを相手にできる程の威力持ちとなると……
水面の水が跳ねた。
「魚がこんな所に」
銀色の背中が見えた。
「船にひかれても知らな――」
雷に打たれたような衝撃と共にまたひらめいた。
「ある! 重力を操る魔法ならこっちにもある!」
なんで忘れてたんだ。
「師匠、あんたやっぱり天才だよ」
他ならぬ『浮遊魔法陣』がそれである。
大伯母が特許を持っている、重力を制御するための魔法陣だ。
「もしかして大伯母は現場を見に行ったのか?」
敵が使った魔法が『浮遊魔法陣』を模倣したものなら……
「考え過ぎか」
僕は引き返した。そして階段に一歩足を掛けた所で思い至った。
そうか! だから特殊弾頭で『タートルタイプ』が倒せたんだ。発生した膨大な魔力、詰まるところ魔素が敵の魔法に干渉したんだ。『タートルタイプ』はそれで制御できなくなって。
ラーラに知らせよう。ロマーノさんにもリーチャさんにも知らせなきゃ。カイエン老にも。
「いや、まだだ」
これは単なる思い付きだ。
「ああ、なんでこんな時に大叔母はいないんだ!」
どっちにしても機体の強化は急務だ。機体の『浮遊魔法陣』を使って、カウンターを当てられないだろうか。
兎に角、大伯母が帰ってからだ。
今日は働いた分だけ稼げる相手『ジュエルゴーレム』とやり合える記念すべき日だ。不遇の時代は終った。
食堂に戻るといつもの景色、いつもの喧噪が待っていた。
「これ、飲み過ぎちゃうね」
子供たちは味見と称して、それを舐めていた。
補充用の『万能薬』の大瓶に塩ヨーグルトに蜂蜜を混ぜたものを加えているところだった。この間、貰ったいろんな味付けの瓶もまだあるのに。
「ジュースじゃないんだからね」
「わかってる」
僕はあっさりハーブテイストを試行錯誤しているラーラを手招きした。
皆に隠れて、こっそりさっきひらめいたことを話して聞かせた。
取り敢えずロマーノさんたちには話を通しておくと言うので、僕は大伯母が帰って来るのを大人しく待つことにした。
ヘモジが畑仕事から帰ってきた。
「ナナーナ」
今日もサラダ大盛りだ。
本日は地下三十九階層。『闇蠍』が退場して『ジュエルゴーレム』が加わるフロアだ。
従来のゴーレムより堅く、主に宝石を落とす魔物である。魔力を消耗させ過ぎたり、削り過ぎると屑石になるというゴーレム特有の仕様は踏襲されているはずである。
冒険者ギルドに寄って、情報を入手した。
「お、クラウンゴーレムもいたか」
クラウンゴーレムはジュエルゴーレムの上位種でレアモンスターだ。砂漠のサンドゴーレム並みのサイズに、より強固な身体を持っている。コアの位置がわかりづらく、回復能力も優れているため、普通に戦っていては実入りが期待できないのは下位種と同様である。
兎に角、エルーダでは人気のあるフロアだった。テントを張って、仕事を請け負う専門の傭兵たちが入口で屯するぐらいに。
さすがにここの迷宮にはまだそういった連中はいないが、本日は楽する予定なので、ライフル銃を携帯した。
将来、野営地にするには最適な平原が続いていた。
「いた」
「ナナナ」
早速、でかい図体が遠くを闊歩していた。肩口の辺りから鮮やかな赤い宝石の結晶が露出していた。
「『一撃必殺』……」
急所を探す。
「左脇腹、背中寄りだ」
通常弾では貫通できそうにない。背を向けてくれないと。
「ヘモジ、あいつの気を引いてくれるか?」
「ナナーナ」
ヘモジが突貫した。
「ちょっと、ヘモジさん?」
気を引くには近付き過ぎだ。
バキッン。
ミョルニルが脇腹にヒットした。結晶が砕けて飛び散った。
「ナナーナ」
「こら、倒せとは言ってないだろ!」
「ナ、ナーナ」
「準備運動だって」
「こっちもだから」
「ナナ」
「もう一体見付けたって」
「話そらした」
やり直しだ。
大勢の冒険者が詰め掛ける人気フロア。それを支える出現数。
「独占状態だな」
「面倒臭い」
宝石が欲しければ、宝箱を開ける方が手っ取り早い。
とはいえ、狩りをしなければならない理由がある。それはこのフロアの魔物から六方晶系の水晶の欠片を手に入る必要があるからだ。それは特異な四十階層に出入りするための結晶キーである。
資料にはエルーダと変わらぬものが出るとあった。
「よし、狙える」
廃墟の崩れた壁の向こうに一体、姿が見えた。
「ナナ」
コアの破壊に成功した。
「『殺人蜂』がいると手っ取り早いんだけどな」
一度に多くを倒せるので結晶が出易いのである。
が、ヘモジは蜂蜜には興味を失ったようで、鼻をほじるのみであった。




