徹夜する
操縦室後ろの展望ラウンジで自動航行の番をしながら戦利品の確認をすることにして、ラーラとソルダーノさんにも休んで貰った。
今起きているのは僕だけだ。
ヘモジもオリエッタもソファーの傍らで寝息を立てている。
「ナァ……」
叩かれた尻をむず痒そうにしながら寝返りを打つ。
野菜スティックを取り上げれば済むものを、ふたりは昔からこの調子だ。
「ラーラの尻叩きなど痛くも痒くもないだろうに」
ままごとから発展してきたふたりの関係にはふたりにしかわからない世界がある。
反省してか、ヘモジは甘受し、彼女の手のひらの痛みを共有している。
朝まで再召喚禁止のお達しだから、召喚し直して痛みを取ってやるわけにもいかないが、勝手にそうしないところを見ると当人にもその意思はないようだ。
航海日誌から僕たちが知らない座標に彼らの拠点があることがわかった。きれいとは言い難い文字列を遡れば具体的な場所も特定できるだろう。
アバウトな感じだとビフレストから反転、東進する予定の僕たちのコースと被る可能性がある。このままだとメインガーデンからの討伐部隊よりも早くこちらが接触してしまう可能性がある。事が済むまで待ち惚けを食らうのも、メインガーデンに一旦戻るのも遠慮したいところである。
記録の端々からアールヴヘイムからの来訪者をやたらと気にしていた状況が窺える。
「第四王女はさすがに目立ち過ぎたか……」
彼らは自分たちを『ミズガルズ解放自由戦線』と称していた。
たいそうな名前だが、内情はただの愚連隊のようであった。補給物資は何より酒樽が一番。住人感情を敵に回さぬように代金の踏み倒しはしてはならないという内規まで定められていた。要するにその手のことをする連中だということだ。だから却ってストレスになるのだろう、毎晩酒盛りをするという悪循環に陥っていたようだ。
船長は活動資金の減りの速さを、毎日のように危惧していた。
彼らの言う自由とは秩序からの解放であって、理想やイデオロギーとは無縁のようであった。組織の中枢がどう考えているかは兎も角、末端は些末なものである。
航海日誌を閉じて、他の資料を手に取った。
債権から商取引の相手がわかる。記録からどの町村のどんな店と多く取引しているか。物資の流れから得意先や敵の規模、活動範囲が見えてくる。足りている物は何か? 足りていない物は? 彼らの生活環境が透けて見えてくる。
命令書の類いが見付からないところを見ると、口答のみか、燃やしているのだろう。当然の配慮だが、雇われ人たちには当事者としての自覚が欠けているようだった。
地図や参照資料の方には今後の行動予定がご丁寧に記されていた。ラーラを誘拐した後の算段がしっかり地図上に残されている。別働隊との合流ポイントや、そもそも誘拐目的であることも知れた。
正規兵でないとはいえ、脇が甘い。船長室の金庫を開ける者がいるとは思っていなかったのかも知れないが、却って偽情報でこちらを釣る気なのではと勘繰ってしまう。
集中力が途切れたところで我に返った。
凝った肩をほぐそうと腕を回しながら立ち上がると、真っ暗な外の景色を眺めた。霞んだ月だけが浮かんでいた。
月の傾きからして、日の出まで後二時間といったところだ。
このまま寝床に滑り込んで眠ってしまいたい衝動に駆られる。毛布にくるまったときのぬくもりが脳裏をかすめた。
ヘモジとオリエッタの心地よさそうな寝姿を慰めにしながら『万能薬』を垂らした冷水を口に含んで、気合いを入れなおした。
気分一新、資料漁りを再開したら、いきなり気になる記述が目に飛び込んできた。
『タロス誘導』?
王女誘拐が発覚した場合の言うなれば、プランBというやつだった。
追撃を想定して逃走経路にタロスを割り込ませる算段を記した地図の、赤い矢印に添えられた記述だ。
「やはり……」
タロスを誘導する手段を持っていたか。恐らく『太陽石』が絡んでいるのだろうが…… 知りたいところである。
王国は御触れと共に『太陽石』の買い取りを決めた。が、市場価格との開きは想像以上に大きかった。もはや宝石としての価値はなく、処分に困るガラクタの範疇であるのだから仕方がないことなのだが、却って集め易くさせてしまったのではないか? 所有自体にも罰則が設けられるようだが、元々意に介していない連中だ。管理を徹底しないと足元を掬われることになる。
そういう意味ではすべてではないとはいえ、拠点情報と顧客リスト同然の資料を押収できたことは成果と言えるだろう。
突然オリエッタがくしゃみした。
「……」
驚かすなよ。
心臓が止まるかと思った。
次元の扉が開いたのは彼らの意図したことだったのか…… それともやり過ぎた結果なのか…… 最悪、味を占められることだが、彼らとてミズガルズ崩壊を望んでいるわけではないだろう。投資しただけの愛着はあるはずだ。
とはいえ、偶発的に起こる可能性は大だ。次元回廊の向こう側は取り敢えず一掃されているとはいえ、どういう形で再発見されるかわかったものではない。
そもそもタロスを襲撃の道具にするなんて……
計画書通りなら既に誘導部隊は動き始めている。
この情報を急いで知らせられればいいのだが、冒険者ギルドがあるビフレストまで、まだ数日掛かる。王女誘拐失敗の報が届く前に一網打尽にしたいところだが、恐らく間に合わない。
月の反対側の空が黄色く染まり出すと朝日が昇り始め、大地の縁は黒く染まる。
「朝日だ」
「…… ナ?」
目を擦りながらヘモジがむっくり身体を起こした。
ソファーの歪みでオリエッタも目を覚ます。
何ごとかと周囲を見渡すふたりに地平線を指差した。
ふたりはソファーの手摺りによじ登って船の後方を見遣った。
オレンジ色に燃え上がる空と黒い大地の狭間から最初の光が溢れ出す。
「ナー」
眩しそうに目を細める。
「拝む」
拝む? 太陽崇拝か? おねだりのポーズとどこが違う?
しばしの沈黙。
黄色い空が徐々に青みを帯びていく。熱が顔に当たる。昼の暑さの予感がする。
「大丈夫か?」
「ナーナ」
パンパンともうなんともないと自分の尻を叩いた。
「いい眺めだ」
風もそよいで気持ちいい。今のうちに朝食を済ませたいところだが。
ソルダーノ婦人がマリーを引き連れてキャビンから出てきた。
「ナーナ」
「おはよう」
オリエッタが下の階に飛び降りて出迎える。
「おはよー。オリエッタちゃん、ヘモジちゃん」
「あら、おはようございます」
「おはよう、早いね」
「お兄ちゃん、おはよー」
「今、朝食の準備をしますから。お待ちください」
「見えた!」
「え?」
マリーが進行方向を指差した。
「何?」
「ナ?」
「?」
朝日に照らされ輝く大地に何かが見える…… 四角い構造物……
望遠鏡を取ると進路方向に目を向けた。
城壁に旗がなびいている。
「トレ村でしょうか?」
望遠鏡をヘモジに託して婦人に届けさせた。
「間違いありません。トレ村です」
僕は操縦室に入ると自動航行を切って、舳先を向けた。
帆が大きくはためいた。
再び自動航行に戻すと、帆が風をはらんで、速度が上がった。
マリーにソルダーノさんを起こしに行かせた。
イザベルとモナさんも計ったように起きてきた。が、遅番だったラーラはまだ寝ている。
「到着ギリギリまで寝かせておいてやろう」
回収した資料の話は置いておいて、村の景色が近づいてくるのを楽しんだ。
「お水だよ」
マリーが入れてくれたキンキンに冷えた水をピッチャーからグラスに注いだ。
「最高の贅沢だな」
徹夜明けの胃に染み渡る……
村の桟橋に船を横付けしたのはそれから一時間後のことだった。




