ワタツミ、寿司を所望する
子供たちがいないと思ったら、酢飯の作り方がわからない夫人が大伯母とラーラを探しに行かせていた。
そういえば寿司という料理を夫人に作って貰ったことがなかった。寿司というのは我が家のバイブル『異世界召喚物語』や様々な『伝記』のなかに登場する魚料理で、タロスに滅ぼされる以前のこちらの世界にもともとあった料理だった。本家のココ様が現代によみがえらせた異世界料理の一つである。
この料理は握り飯に具を載せただけのシンプルな料理であるが故に、醤油が決め手となるものだった。が、その醤油を現代によみがえらせたのも爺ちゃんたちの母親、ココ様だった。
「補給品のなかにワサビあったかな?」
僕はちょっと失礼して、食料庫に入りきらない在庫を調べに地下に下りた。
生活物資を備蓄した各コンテナはそのままの形で地下の壁に埋め込まれ、壁と一体化していた。
僕は食料が入ったコンテナの扉に張られた在庫リストを順番に調べていった。
すると甘味を納めたコンテナの扉に別の張り紙があった。夫人の字で『盗み食い禁止』と書かれていた。ワサビはその隣、調味料が入ったコンテナのなかにあった。
ワサビは根茎をすり下ろして使う植物で、清流でしか育たず、本家でも再現に苦労した食材の一つだ。アールヴヘイムにワサビ作りを生業にしてきた者などいなかったし、情報は書物のなかにわずかな描写があるだけだった。ハイエルフの長老の記憶を借りたりしながら自生していそうな場所を探り当て、栽培に漕ぎ着けたのだった。
食い意地恐るべしだ。執念深い程の探究心はさすが大伯母の母であると感心した。
でも正直、これが滅びる前の世界にあったワサビと同じ味かと聞かれると確信はない。むしろ作り方の伝承が残っていた醤油などの方が味を再現できていると思われる。
階段を上がって台所に出ると、玄関が騒がしくなっていた。
子供たちが探し人を連れて戻ってきたようだ。
どっちを連れ帰った?
食堂に戻るとワタツミ様を見て凍り付いているラーラがいた。
玄関がまた騒がしくなって大伯母の声がした。
「わかったからまとわり付くな!」
子供たちに大伯母の威厳は通じない。
「やや、そなたも来ていたのか! ほんに久しいのぉ」
大伯母は眉間に皺を寄せて僕を睨み付けた。
僕が連れてきたわけじゃないぞ!
「元気そうで何よりだ、母上殿。そちらこそどうやってこちらへ?」
「迷宮にある海とあちらが繋がっておってな、そこでたまたまこやつらと出おうて、祠を造って貰ったのじゃ」
「ナガレは知ってるんですか?」
「勿論じゃ。思い切り自慢してきてやったわ」
ワタツミ様がケタケタと笑う程、大伯母が萎えていく気がした。
「面白い相関関係だ」
そもそも知り合いだったとは驚きだ。
「そうじゃ! 忘れておった! ナガレたちから土産を預かってきておったのじゃ!」
どこに?
子供たちもキョロキョロした。
「あ、重いから湖に置いてきたんじゃった」
「祠ですか?」
「いや、上陸するとき邪魔だったのでな。はずれの浅瀬に置いてきた」
「盗まれたらどうするんですか!」
「水中に隠してきたから簡単には見付からんはずじゃぞ」
聞けばそこは港はずれの我が家の船を停泊させていた工房脇の桟橋近くだった。
「では料理人も揃ったことだし、よろしく頼むぞ。楽しみじゃな」
子供たちも頷きはしたが、動揺は隠せない。
「ちょっと見てきてくれるか?」
僕は戻ってきたばかりの子供たちに土産を見つけ出してこちらの倉庫に転送しておくように言った。
トーニオとジョバンニが役を買って出てくれて、転移結晶だけ持って出ていった。
「一体どうなってんのよ!」
「なんでナガレの母親がここにいる!」
食堂を出るとふたりは僕に詰め寄った。
だが台所に鎮座するマグロを見てふたりはすぐ黙り込んだ。
「はい、ワサビ。ナガレに自慢したいみたいだから、腕に縒りを掛けてね。後よろしく」
「待て。これを解体してから行け」
逃げようとした僕はあっさり捕まり、マグロの解体を始めることになった。
「やっと終った……」
部位を適当にブロックに分け、更に一番上等な腹の部分を使う分だけ短冊にした。
残った部位は取り敢えず最寄りの保管庫に入れた。ワタツミ様が人の姿でどれだけ食べるのか想像できなかったから仕舞うわけにはいかなかった。
でも、もしマグロ一本丸々食べるなんてことになったら…… 誰が握るんだろう?
その間、ラーラは夫人と米を炊いた。
大伯母は飯台というたらいのような器を魔法で作り出していた。
ラーラと夫人が炊きあがった米に酢と砂糖と塩を混ぜた物を急いで混ぜ込んでいるところにトーニオたちが帰ってきて、僕を手招きした。
「どうした?」
台所の入口で耳を寄せた。
「あれ、たぶんミスリルだよ」
トーニオが囁くように言った。
「ん?」
「お土産。それがさ……」
「あのままじゃ転送できないよ」
ジョバンニも囁いた。
僕の仕事は終っていたので、これ幸いにとそそくさと逃げ出した。
「こっちだよ」
トーニオとジョバンニが先を行きながら僕を誘導した。
「あれだよ、あれ」
桟橋の先端に着いたふたりは湖面を指差した。
湖のなかに確かに大きな塊があった。それも相当大きな物だ。
「あれ全部?」
日暮れも近い。箱を造ってなどと悠長なことはしていられないので、僕は服を脱いで湖に飛び込んだ。
来なくていいのにふたりもパンツ一丁になって飛び込んできた。
「あれ、ミスリルだよね?」
「『解析』したんだろ?」
「でも、信じられなくて」
確かにこれがミスリルだとすると信じられない大きさである。水のなかに潜ってなおさらその大きさを痛感した。
『解析』魔法が誤爆したと思いたくなるのもよく分かる。でもミスリルがどういう物か、子供たちもガーディアンを扱う者として当然知っていた。だからこそアンノウンとはならなかったのである。
僕も『解析』魔法を使って確認したが、やはり目の前の物は『ミスリル』に相違なかった。
上の方にふたりが切断し掛けた跡があった。
「師匠、俺たちじゃまだ無理」
ジョバンニが言った。
さすがに素材が高級過ぎたようで、量を維持したまま加工することはできなかったようだ。
「切り分けるから、転送頼む。魔力まだ残ってるか?」
「もう回復した」
ふたりはニコリと笑った。
『鉱石精製』を使いながら僕は半メルテ四方に塊を切り分け始めた。
そして気が付いた。
「なんだか…… でか過ぎないか?」
息継ぎのために海面に戻って、ふたりと言葉を交わした。
「大分埋まってる気がする」
「一回、倉庫見てくるか」
「僕たちも行くよ!」
裸のまま三人揃って倉庫に転移した。
ミスリルの立方体が転送魔法陣を中心に螺旋を描くように大量に並んでいた。
「うわっ、ギリギリだ」
魔法陣の効果が及ぶ範囲ギリギリだった。
僕は次々立方体を倉庫の奥に転送し始めた。綺麗に並べてはいられないので適当に押し込んでいった。
転送魔法陣の周りをすっきりさせると、僕たちは再び桟橋に戻った。
「うりゃ!」
「とう!」
子供たちは我先に飛び込んだ。そして潜っていった。
「もう夕方だって言うのに、元気だなぁ」
僕も跡を追った。
ワタツミ様が塊を下ろしたとき、大分湖底に食い込んだようだ。軽いと言われるミスリルであっても。
埋まった物を切り分けるのには苦労したが、要領を得て作業が進むようになると、すぐに終わりが見えてきた。
「こりゃ、建造計画の前倒しが必要だな」
身体を乾かして意気揚々と家に戻ると、食堂のテーブルで寿司の握り教室が始まっていた。
「おー、帰ったか。どうだった? みんな回収できたか?」
「おかげさまで」
「妾は預かっただけじゃ。あんな石ころをありがたがるとは、陸の者はわからんな。じゃが、喜んで貰えたのなら何よりじゃ」
あれをどうやって運んできたんだか。
「すっごいミスリルの塊だったんだよ」とトーニオとジョバンニが言いふらした。
「分けて貰えるんですか?」と叫んだのはモナさんだった。
工房にいないと思ったら、早仕舞いしてたのか……
「船の建造で余ったらな」と大伯母がエプロン姿で言った。
「たぶん余るよ」
僕がそう答えると、大伯母は驚いた顔を子供たちに向けた。
トーニオもジョバンニも大きく頷いた。
そのふたりも参加して全員分の寿司を全員で楽しく握ることになった。ワタツミ様まで米粒を手に付けながら参加した。
子供たちの握った握りは大きさも形もバラバラだった。大人だって個体差が出た。基準になったのは当然ラーラと大伯母の握った物だが…… ねたが勿体ない。こんなことなら尻尾に近いブロックでよかった気がした。
「最初、ワタツミ様。がっかりしたんだよ」
マリーが僕に言った。
「そりゃ、一貫だけ見せたらがっかりするでしょ。あんなに大きな魚持ってきたのに」
ニコレッタが言った。
ほっかむりがみんなかわいい。
「まさかこんな小さくなって出てくるとは想像だにしなかったのでな」
「あれを丸ごと料理する方が難しいと思う」とミケーレがさらっと呟く。
「早く食べたいのぉ」
「兜焼きもしてますから、もうすぐですわ」と夫人。
「おー」と、僕も思わず声が出た。
「おいしいの?」
めざとい子供たちが僕の方を一斉に振り向いた。
「そりゃぁ…… お楽しみということで」




