クーの迷宮(地下25階 水竜戦)冒険には刺激が必要である
まずフロアに出たら岸に放置されている小船を探す。あればの話だが。
「おー」
「ナー」
「ムズムズする」
「青い海! 白い白浜! あ、海老だ」
いつぞやの鏃海老がひなたぼっこしていた。
「蟹に囲まれてるのか?」
周囲を見渡す限り蟹の反応はない。
「陸に上がるの習性だったのか?」
「それとも海のなかに強敵でも?」
「鮫!」
オリエッタが髭をピンと張った。
「陸に上がってこないよな?」
「ナナーナ」
「そんな鮫いない」と言いつつ、オリエッタはそそくさと僕の肩に跳び乗った。
岸辺にそれらしき船の影を見た。
「あった!」
定番だな。
パーティー仕様にちょうどいいサイズの船が座礁している。
「波に打ち勝つには最低ラインだけど」
木造だからサハギンの攻撃にも長くは耐えられまい。
「穴が開いたら、氷で固めるとして……」
問題は操舵だ。海戦の初級コース的な意味合いがあるこのフロア。恐らく操舵に慣れることも目的の一つだ。初級用の迷宮辺りでやっておけと言いたいところだが、迷宮というのは基本、単独で機能するものであり、単体で完結するものなのだ。難度は兎も角、冒険者が成長することを意図した物でもあることに間違いはない。
「ひとりで海原に乗り出す馬鹿は想定してないだろうけどね」
「ナーナ」
そうだな。三人だった。
オリエッタが尻尾で僕を叩く。
「!」
陸地にいた海老が動き出して白波に身を投げた。
「……」
三人じっと行く末を見守る。海のなかにいた鮫が反応した!
「海老の方が速いね……」
「ナーナ」
「……」
「エルーダのように風に乗って進めばいいだけなら、街灯があるのと変わらない。操帆さえ間違わなければ。まあ、なんとかなるでしょう」
メインマストに自前の帆を取り付ける。
「今日のところは風に乗って流されるとしよう」
一日じゃクリアーできないことも想定して、外泊する可能性を伝えておいた。
「船旅かぁ。久しぶりだなぁ」
「ナーナーナ」
「ナガレ様がいたら簡単だったかも」
婆ちゃんの召喚獣ナガレは表向きは水竜だけれど、本当の正体は竜神だとか水神だとかいう噂だ。そのせいか祠を祀ると、祠の周囲にいる召喚獣たちに魔力が自動供給されたり、遠方の索敵が可能になるとか。そのせいで爺ちゃんの町にいる召喚獣たちは自由奔放だった。蟹が大工仕事してたもんな。
ヘモジに乗り上げている船の竜骨を押させて脱出させた。
「あーッ、行っちゃう、行っちゃう!」
船だけがどんどん岸から離れていく!
僕は急いでヘモジの手を取ると転移する。
「おー、危なかったぁ」
「ナナーナ」
ヘモジがケタケタと笑う。オリエッタも笑った。
「笑うなよ」
船底を鮫が漂う。
「エルーダで使ってた帆と同じサイズだけど、ちょうどよかったな」
エルーダにある冒険者ギルドの事務所にはアイテム販売所が隣接していて、迷宮で使う道具や回復薬、脱出用の転移結晶などを扱っていた。そこには同じ二十五階層用に定型の帆が売られているのだった。
その帆は風を孕むと、速くもなく、遅くもなく程よく船を押した。
持ち込んだ帆は、普通に購入したホバーシップ用のものだ。帆の生産は注文から納品まで時間が掛かるから、ギルドとしては他の冒険者がこのフロアに到達する前に調達したいはずだ。
「情報料、奮発して貰いたいところだね」
海原に出るとやることがない。帆が進行方向を教えてくれるから、舵を切るだけだ。向かい風は想定していないので持ち込んだのは角帆だが、風に乗るだけなら充分だ。
後は交替で見張りに立つだけだ。
二時間ひたすら身を任せていると、反応がちらほら。
「サハギンかな」
海面も浅くなってきたようだ。岩場が点々と見え始めた。持ち込んだ時計と方位磁石で時間と方位を確認。
「二時間…… 浅瀬、岩場……」
地図に記す。
岩の間隔はまだ広い。座礁する心配はまだない。
反応もまだ近付いてくる様子はない。
「ナーナ」
確かに小腹がすいてきてはいるが、今回は一々外に出るわけには行かない。戻ってきたとき船はないからだ。
「迷宮でランチを食べるなんて、いつ以来か」
火の魔石で暖を取りながら甲板で食事を取る。
ヘモジが自分の顔程もあるチーズと燻製ハムと野菜をふんだんに挟んだパニーニを頬張る。オリエッタは皿に置いたパンを手で押さえ付けながらハムを食い千切る。
「取ってやるから」
上に載っているパンをのけてやる。
僕は水筒を温め、中身をコップに移した。
琥珀色のお茶に砂糖を落として掻き混ぜる。
「んー、いい香りだ」
潮の匂いには飽きていたところだ。
オリエッタの分は少し冷まさないと。
「はーっ。空が…… 暗いねぇ」
遠くの空が明らかに曇ってきていた。
「…… ありゃ降ってるな」
「ナーナ……」
オリエッタもうな垂れる。
「停泊できそうなところは……」
浅瀬程荒れるんだから、急がないと。
風が強くなり波も荒れてきた。帆も暴れ始めていた。
浅瀬を抜けた所に体よく島が見えた。明らかに上陸を誘っているような感じだ。
僕たちは一時避難としてその島に向かった。
「サハギンが!」
大量のサハギンも移動し始めていた。
幸いサハギンも忙しいらしくこちらにちょっかいを出す余裕はないようだ。
僕たちは島の風下に停泊できそうな場所を探した。
「天然の島に港なんてあるはずないからな」
サハギンの反応が消えた辺りで、錨を降ろすと岸まで凍らせ、船を固定した。
「これで大丈夫だろう」
船倉で寝ている間に雨は通り過ぎた。
見張りに付いていたはずのヘモジは船を下りて氷を割って釣り糸を垂れていた。既にバケツには魚が何尾か入っていた。
「ナナーナ」
バケツも釣り竿も船倉にあった物らしい。
「オリエッタが見付けた」
氷が割れ始める。日差しで溶けて薄くなってきた氷が波のうねりに勝てなくなって軋みを上げた。
岸辺近くの氷が流れていった。すると次々水没するように溶けていって、ヘモジが釣りをしている場所に迫ってきた。
「ヘモジ」
ゲートを出してやった。
ヘモジは釣り竿とバケツを抱えてゲートに飛び込んだ。
「ナナーナ」
バケツのなかに大振りの鯵が三尾。
「食べる?」
ヘモジは首を横に、オリエッタは縦に首を振った。
「……」
「大振りだから一尾だけ焼くか。することもないし」
捕った魚には反応があるので、お持ち帰り可能だ。ギミックではない。焼ける頃には小腹もすくだろう。
錨を上げ、ミョルニルで船の周囲の氷を割って自由になると、風に乗って島を半周し、元のルートに戻った。
土魔法を使って甲板に砂を盛り、スーロを刺した串を突き立てる。串は巻き上げた錨の一部を削いで針状にした物だ。火の魔石(小)を燃やして、塩を振り、炉端焼きを始めた。
風で砂が巻き上がるので湿らせるように表面を固めた。
ブツブツと脂がこれでもかと垂れてくる。
「ナ」
食べないと言ったヘモジの目が釘付けになっていた。
のんびりいい匂いを嗅ぎながら海原を見渡す。ちょっと煙いけど。
「醤油が欲しいところだね……」
現場で魚を調理することは想定してなかったから醤油はないが、塩胡椒は普段からリュックに忍ばせてあった。
焼けたスーロの身をほぐすと塩焼きの香りが甲板に広がった。
「ナナ」
いらないと言っていたヘモジも、こらえきれずに僕の膝を叩いた。
「わかってるよ」
お皿を三枚並べた。大振りだから食い応えがあるはずだ。
半身をオリエッタとヘモジに。残りの半身は僕が頂いた。
皮は香ばしく、身はジューシーでホクホクしていた。口の周りが脂でぎとぎとになった。
食べ終わったふたりは浄化魔法を掛けられる前に口と手元を舐めた。
「なんにもないなぁ」
おやつの時間を過ぎても、あるのはただ水平線のみ。
サハギンの反応もすっかりなくなった。海洋生物がたまに引っ掛かるが、近付く頃には消えていた。
風向きが突然、変わった! 左に十時の方向! 僕は急いで時間を確かめ、メモを取る。
太陽が沈む。赤く染まっていく空に呼応して、黒く染まり始める海原。
「この状況で襲撃されたら、どうしようもないな」
ここまで来てしまったら今更、やり直す気にはなれない。なんとかこのまま何事もなく走破したいものである。
夕飯も弁当だった。パスタも用意できたけど茹でるのが面倒臭くなったので、パンとおかずだけにした。おかずは僕がステーキとソーセージとチーズ、ヘモジは野菜スティック、オリエッタはミートボールである。
風向きの確認だけは常に必要だから、腹一杯で眠くなっても寝ずの番だ。ふたりは涎を垂らしながら焚き火の前で寝ている。
僕は星空を見上げてただ時間が過ぎるのを待った。
そして翌朝、僕たちは出口のある島に上陸したのだった。
「退屈過ぎて死ぬ……」
僕たちはゾンビのようなよれた姿でゲートから出ると、家には戻らずモナさんの工房で爆睡したのだった。
「当分星空は見たくない」と寝言を言ったとか、言わなかったとか。




