鉄のインゴットなんて大嫌いだ
「行くか」
「ナーナ」
「今日も泥沼」
オリエッタが黙ってリュックのなかに収まった。
僕はオリエッタの収まったリュックを背負った。最近、このリュックで他の物を運んだ記憶がない。
腰をかがめると同時にヘモジも僕の肩に飛び乗った。
オリエッタの言う通り、本日も湿原の探索である。
今日向かう二十四階層の主はヒュドロスだ。『四肢がある鰐を飲み込む巨大な水蛇』である。
鰐とはセベクのこと。先の階層の厄介な住人である。二十四階層でもメインの住人は彼らである。ただし、セベクはここでは餌でもある。天敵ヒュドロスの胃袋を満たすための。
「今日は子供たちは一緒じゃないのか?」
白亜のゲート前で冒険者たちが列を作っている。
「今日はオフだ。何か用だったのか?」
「俺たち、今日ヒドラ戦でよ。どんなだったか聞こうと思ってな」
「子供たちに聞いてどうする? 全員、魔法使いだぞ」
「華奢な連中がどう戦ったか、参考になるだろ?」
「あいつらは真っ正面から力押しで倒したぞ」
「嘘付け! なんか策を与えたんだろ?」
「あいつらは自分たちの頭で考えて、その通りに実践した。手助け一切なしだ。僕もラーラも感心したくらいだ。そっちこそ十階層程度で足踏みしてたら子供たちに笑われるぞ」
「それは困るな…… 『ヒドラに負けたおっちゃん』なんて言われたかないぜ」
「そうか、今日はオフか……」
家族を故郷に置いてきている冒険者たちに取って、やんちゃで生意気な子供たちとの接触はそれはそれで楽しいスキンシップになっていた。
「で、師匠の方はどうやったんだ?」
「凍らせてのんびり片付けた」
「本当か?」
「よく覚えてない。たぶんスルーしたかな」
「だと思った」
順番が来たので先の連中がゲートに消えた。それも一気に二十人!
「それだけいて何が不安なんだよ!」
ヘモジもオリエッタも呆れた。
「ほんとにただの会話のネタだったな」
僕たちの順番が回ってきた。
最近、冒険者ギルドが手配した門番が付くようになった。
「どちらへ?」
「二十四層、三人だ」
「さ……」
一瞬、ヘモジとオリエッタをどうカウントすべきか、門番は躊躇した。
「お気を付けて」
冒険者ギルドの新人君のようだった。ギルド職員の採用条件は冒険者ランクB級以上。若いのに手練れということだ。
うちの冒険者だったのかな? それとも冒険者ギルドの生え抜きか。
相変わらず鬱蒼とした湿原地帯だった。膝丈程の低草はセベク発見の足枷になる。
各種探知スキルが物を言う階層である。
透明度のない沼。水面は鏡面のように静かだ。
いきなりヒュドロスはいないか……
セベクとヒュドロスは天敵同士である。セベクは集団でヒュドロスを狩り、ヒュドロスはセベクを圧倒的な力で排除する。
足元が緩い。重装泣かせだな。
「セベク発見!」
遙か彼方にオリエッタが反応を見付けた。
思いっきり圏外だった。よく寝たから調子がいいんだろう。
セベクは己が血の臭いで仲間を見境なく呼び寄せる特徴がある。
そして大量の餌には巨大な水蛇が引き寄せられるわけだ。
そこに好き好んで参戦する冒険者は余りいないだろう。
セベクが襲われれば、大量の血が流れ、新たに仲間が寄ってくる。そこには当然、ヒュドロスも。
このフロアの特徴は一戦一戦が大規模戦闘になることだ。
一度始まったら、しばらく付き合う他はない。セベクも魔石にどんどん変わっていくから、一々皮を剥いでいる余裕はない。だいたい返り血を浴びること自体が自殺行為。一滴が死を招く。
そんなわけで、今回もスルーである。どうせ魔石もたいしたことないし。隠遁かまして中央突破だ。
「水属性のマップはほんと不作だ」
「出た! ヒュドロス!」
三つ先の水面が盛り上がってセベクを丸飲みにした。
「あー、始まっちまった」
ちくしょー、セベクが集まってくる。
一旦、最寄りの木の上に待避だ。
玉砕覚悟の特攻命令でも下されたかのような勢いで接敵ポイントに大量のセベクが押し寄せる。
緩い地面でも地響きが。ヒュドロスが一飲みする相手だと言ってもセベクも人から見れば充分大きな魔物である。
「このまま見学する?」
オリエッタが僕の肩に顎を載せる。
「まさか」
彼らの波が通り過ぎた後には凪が来る。
出口を探すぞ。
目の前に鎌首をもたげて遠くを見詰めるヒュドロス発見。
「ご相伴にあずかりに行くか、考えているのかな?」
それとも仲間が劣勢に陥っていないか確認でもしているのか。
僕たちはその脇を素通りする。
「出口見付からないね」
前回楽勝だっただけに、面倒臭く感じる。
散々彷徨った挙げ句、ようやくそれらしき物を見付けた。
そこは池のど真ん中にある島でセベクの巣になっていた。
日当たり良好。鰐皮が所狭しと敷き詰められている。
「うわぁあ……」
面倒臭さそう。
周囲にヒュドロスも数体いるけれど、数が多過ぎて攻めあぐねているのだろう。
「まとまっているのは有り難いけど」
どこかの魔法使いはそれを好機と捉えた。
「凍らせるか」
島の周囲の池を凍らせながらじわじわと近付いていく。
セベクはこちらに気が付き、次々身を池に投じた。
そしてそのまま凍り付いた。
天然の氷じゃないんだよ。
「馬鹿め」
オリエッタがリュックのなかから鼻先だけ出して嘲った。
駐屯部隊の一角が崩れた。
「動いた」
御大が動き出した!
一体のヒュドロスが状況を好機と捉えたようだ。
巨体が急速に迫る!
草むらをショートカットしてきて、僕が凍らせていた水面をその圧倒的な重量で粉砕した。
波が高く舞い上がる!
巨大な水蛇はそのまま一直線に島に向かった。
セベクが浮き足だって、島がうねり始める。
他のヒュドロスも動き出した。
僕たちは巻き込まれないように一旦、池の外に転移、退避した。
池のなかは大騒ぎだ。静かだった水面は暴れまくり、どんどん赤く染まっていく。
そして周辺からもどんどんどんどん双方の増援が集まってくる。
その移動中を横合いからまたがぶりとやる奴らが現れて、戦場は拡大していった。
「ナーナ」
「そうだな。いつもより大分派手だな」
服を汚したくないヘモジは今回、参戦は見送るらしい。
欠伸しながら全方位に広がる一大スペクタクルを見下ろしている。
「終んないね」
明らかにエルーダの規模を上回っている。
今、池のなかを浚うと魔石がゴロゴロ出てきそうだが、血の海はちょっとな…… それもセベクの。
昼前一時間前から始まった戦闘は、昼食時間を遙かに過ぎてようやく片が付いた。
わずかにセベクが勝利した。
僕たちは悠々と血の池を渡り、出口らしき岩戸に辿り着いた。
「長かったような短かったような……」
僕たちはようやく昼休みに入った。
「というか本日終了」
血の一滴予防と匂い消しのためにオリエッタにも浄化を施した。
目の前をふらふらになって歩くゾンビ集団を発見する。
「あのちっこい団体は……」
我が家の子供たちだ。
「なんだ? 今まで掛かったのか?」
子供たちは振り向き様、言い放った。
「師匠のアレ、かっこ悪い!」
「絶対不採用だから!」
「なんだよ、あの大根みたいな奴!」
「あんなスコップいらないし!」
どう見ても八つ当たりにしか見えないんだけど…… 何があった?
ドックに連れ込まれたことは確かなようだが。
そして、僕以外にあそこに子供たちを連れ込めるのは一人だけだ。
「大師匠に何か頼まれたのか?」
「どうせならこっちの鉄も加工しておけって言われたんだ」
ヴィートがぷくーっとほっぺたを膨らませた。
「なんだよ、あの量は! 売る程あるじゃん!」
「何が資源の枯渇だよ!」
「まだ半分残ってるし!」
あ、最後のは聞かなければよかった。こっちの探索、終ってないことにしよう。
ヘモジとオリエッタが即座に察した。
「ナーナンナ」
「こっち、終ったから。手伝う」
どっちを察してるんだよ!
「やった!」
「ラッキー」
「今日一日頑張ったら、明日もう一日休み貰えるんじゃないか?」
「そうだよ」
「じゃあ、僕が終わらせたらどうなるんだ?」
子供たちは黙り込んだ……
「し、師匠は忙しそうだね」
完全に棒読みだった。
「鉄のインゴットなんて大嫌いだーッ!」
それでも今日をふいにした分、明日休みを貰えると思うけどな。
「でもアレは絶対、駄目だから!」
高速艇の模型は全会一致で見事に否定された。




