『陽気な羊牧場』クエスト4
「いやー、たすかったぁ」
「羊がしゃべった!」
眠り羊がようやく通れるぐらいの間口しかない入口から、羊が顔を出した。
「しゃべってくれると俺たちも助かるんですがね」
毛玉のなかから脂ぎった小人の顔が現れた。
「暑くて死ぬかと思ったぜ」
別の小人が羊の足元から出てきた。
「ほら、つっかえてんぞ。ケツ叩け」
羊とペアで作業服の袖をまくった小人族が続々現れた。
「帰ったら風呂入りてぇ。臭くて死にそうだ」
「羊毛配達の契約、あれどうなった?」
「今日は何日ですかね?」
暢気な連中だった。助けられなかったらフェンリルの餌になるか餓死するしかなかったというのに。
子供たちが表の日時を教えた。彼らの時間と同期してるとは思えなかったが。
「あー、やっぱりか。女将さん、違約金、用意しないといけやせんや」
大丈夫なようだった。
「いいからさっさと表に出な!」
奥からジュース樽みたいな小人のおばさんがエプロンと長靴姿で出てきた。赤毛を隠すようにスカーフで頭を覆っている。
「そんなこと心配してる場合かい! さっさと帰りの支度しな。そこにいるのは冒険者さんかい?」
「ええ、まあ」
「おかげで助かったよ。羊は兎も角、従業員まで逝っちまったら、親御さんに顔向けできないからね」
なんとも気っ風のいい女将さんだ。
お礼がしたいから、後でここに寄ってくれという話になって、僕たちは牧場の地図を渡された。
「じゃあな。絶対、寄ってくれよ!」
「うまい肉とチーズごちそうすっからよ」
「羊レースもあるぞ」
彼らは手を振りながら羊に跨がりゾロゾロと、僕たちが来た道を下っていった。
「陽気というか、暢気というか……」
さあ、これからどうするか。このまま出口を探索するか、脱出して牧場に向かうか。
十一階層にある牧場は出入り口、どちらから行っても距離がある。また歩かないといけない。
この洞窟だけでも確認しておきたいんだけど。
「覗いてみて、深そうなら出直すから」
僕たちはなかを覗いた。
臭い、暑いと言っていたが。これがご都合主義。
「ナーナ」
無臭、適温。気配もない。
「あった!」
奥の正面にこれ見よがしに宝箱があった。
赤い板張りに金の装飾。さも高級そうな宝箱だが…… こういう箱に限ってスカなのだ。
念のため子供たちを下げて結界を張らせると、僕は近付いた。
大きさから言って、入っているのは武具の類いか。
低層で武具貰っても余りうれしくないんだけど……
『迷宮の鍵』が反応して箱がカチリと鳴った。
待ち構えていたヘモジが蓋に飛び付いた。
そして蓋を開けると、蓋の重みに負けて、潰されるようになかに落っこちた。
「……」
「いつか死ぬ」
オリエッタの呟きに子供たちが頷いた。
みんながなかを覗き込む。
「なんだこりゃ?」
「紙が入ってる」
「『灌漑農地に最適、保水ウールマット』?」
それは苗床だった。
保水効果や灌漑方法、羊毛を使った製造方法が記されていた。
種をこのマットに埋め込んでそのまま苗床にすれば、土壌の乾燥を防ぎ、土壌浸食も防げるとか長々と解説がなされていた。
そして緑色のフサフサが既に生えているサンプルがヘモジの手に。
ヘモジのうれしそうな顔と言ったら。
「こっちは薬の製法だよ」
「なんの?」
「羊の毛が勝手に抜けるんだって」
「『一時間で効果が現れます』だって」
「『毛刈りの季節にどうぞ』だって」
「『毛抜き薬』だって」
「羊の毛刈りって重労働だって言うしね」
「それって、僕たちに関係あるの?」
「牧場主になればな」
「なんか違う気がする」
全く以て、何がなんだか。
冒険者への報酬としてどうなのかと。
ゲートキーパーの気遣い以外の何物でもない気がするが。それでも有用な知識を分けて貰えるのはありがたい話である。
結局、洞窟内はついでに覗いて行けるだけの広さしかなかった。
だが、そこには見慣れた物があった。
「引き返さないでよかったぁあ……」
全員が腰を落とした。
「出口だ」
十二階層出口、発見。
一旦帰ることも考えたが、当初の予定通り見晴らしのいい山岳エリアで昼食を取ることにした。
「いただきまーす」
本日遅めの昼食はケバブサンドとアイラン、塩ヨーグルトである。
ケバブサンドは兎も角、この塩ヨーグルト、久しぶりに飲んだらおいしかった。
子供たちはこれが結構好きらしいのだが、僕やラーラがアールヴヘイム産のお茶ばかり飲んでいたので遠慮していたらしい。
今日はピクニックということで、子供たちのためにわざわざ婦人が用意してくれたのだ。
自然と子供たちも笑顔になる。のだが、初めて飲んだ大伯母だけは眉を潜めた。
「普通、砂糖だろ?」
「慣れたらおいしいよ」と、子供たちは言うが、敬遠するかどうかは本人次第だ。
大伯母は一気に飲み干した。
そして紅茶を所望した。
こちらは白い髭を蓄えながら好きにさせて頂いた。
あっという間に入れてきた水筒が空っぽになった。
眠気を蹴飛ばして先に進んだ。
「眠い……」
「身体が重い……」
「師匠、万能薬……」
「効果ないから」
「今朝の感動はどこ行っちゃったのよ!」
「フェンリルに食べられた」
「カテリーナ、寝てんじゃないでしょうね?」
「眠り羊の背中に乗っけて欲しい」
子供たちの世話で大人たちのまぶたが重くなることはなかったが、小さいのを何人か背負う羽目になった。
何倍も苦労して再び高台の牧場に到着したとき、僕たちは言葉を失った。
「『陽気な牧場』て本当だったんだ」
まず目に入るのが石積み、藁葺き屋根の大きな羊小屋だ。
本来羊の身の丈に合ったこじんまりとしたものだが、眠り羊が収まるとなるとそれは見事な建屋になっていた。
一方、腰折屋根の母屋は小人たちには大き過ぎるようで、二階から上だけが居住スペースになっていた。一階部分はすべてガレージスペースとして解放されていた。
広過ぎるガレージは裏口まで貫通していて、前庭に面した壁側も吹き抜けになっていた。
老人が黄昏れていた場所には、木箱の代わりに行商の店先が軒を連ねていた。
「これはまた…… すっかり変わってしまって……」
ペンキが剥げ、寂れていた場所が、すっかり真新しくなって僕たちを出迎えた。
カラフルだ。
柵のなかには眠り羊。若草をおいしそうに食む。錆止め色のサイロの屋根は日の光に輝き、家の戸、窓には色鮮やかな花々が飾られている。曇りガラスは青空の雲を映して、住人たちは負けずに笑顔だ。
満面の笑みを浮かべた老人がエール片手にうれしそうに手を振る。その脇には赤毛の女将さん。
小人族の住人以外に、サイズの異なる行商人たちの姿もあった。どこから現れたのか、商売目的で集まったお客たちも店先を賑やかす。
見るからに慣れが必要な者もいたが、迷宮なら然もありなん。どん引きしている子供たちの姿が面白い。
ガレージスペースには荷馬車と異形の荷馬が並び、大量の木箱が移し替えられていた。
「交易所の中継地みたいね」
「あー、やっと来た! 待っとったぞい」
「ああ、あんたたち! 来てくれたんだね。歓迎するよ」
庭に置かれた長テーブルに真っ白なクロスが掛けられ、食事がわんさか並び始めた。
「あんたたちがここを買い取ったのかい?」
「そういうことになるのかな?」
ただ『権利書』を拾っただけなのだが。
「じゃあ、うちらは引っ越さなきゃいけないね」
「いいえ、問題がないならこのままで。僕たちは毎日ここには来られないので」
「じゃあ、うちらはこのままここにいてもいいのかい?」
「是非そうしていただければ。でも、売ることになった理由は知っておきたいかな」
「はあぁ。その件は片付いたんだ。あんたたちが片付けてくれた。少し前からここをフェンリルたちが狙っていてね。うちらはここを引き払って麓に引っ越そうと思ってたんだよ。でもそのフェンリルたちはもういなくなった。奴らがやってきた峠道も塞いでやった。だからもうここは安全なんだ」
女将さんがしょぼくれた。
「でももううちらの物じゃなくなっちまうんだね」
「お返ししましょうか?」
「はぁ?」
「『権利書』はまだここにありますから」
「そこまで甘えられないよ! 命まで救って貰ったんだ。そんな都合のいい話……」
「僕たちはここに好きなときに来られればそれでいいんです」
「だったら!」
老人と女将さんは大きく頷いた。
「交換しよう!」
「はあ?」
「わしらには何に使う物かよくわからんが、先代が高価な物だと言っていたからな。たぶんあんたたちのサイズのもんが使う物だと思うんじゃが……」
数人掛かりでガレージの奥から引き摺り出してきた物は……
「簡易ゲート!」
大伯母は目を丸くした。
勿論、存在を知るラーラも僕もだ。
それは正真正銘、移動式の簡易型転移ゲートだったのだ。王国では今でも軍事機密扱いの代物である。
「おつりが来るな」
『権利書』を失うことでクエストクリアの権利がなくなるかと心配したが、不安は払拭された。善行を選択したことで山歩きを周回する必要がなくなったと考えた方がいいだろう。でなければこんな物が小人族のガラクタのなかから出てくるはずがない。
ここに来られるということは、つまり成功報酬は健在だということだ。
とは言え、不安を拭うために改めて確認を取った。
「また寄らせて頂いてもいいんですよね?」
「当たり前さ! あんたたちはもうわたしたちの家族も同然だよ! ここでの取引も自由にして構わないよ。ほんとは鑑札がないと卸はできないんだけどさ」
僕たちはほっとした。
大伯母は最寄りの大岩をくり抜いて祠を造り、簡易ゲートを設置した。
「ちょっと行ってこい」ということで、僕が試すことになった。
「あった、あった」
階層のナンバーがずらりと並んだ通常のゲート網一覧に『陽気な羊牧場』の名が記されていた。
僕は一旦、地上の白亜のゲートに出てから、十一階層と十二階層の間にある『陽気な羊牧場』の名前を選択した。
「戻ってきた!」
問題ない。
さて、ここまでは十一階層に来る権利を持つ僕だから可能だったとも言える。では十一階層に来る権利がない連中はここに来ることができるのか?
そういうことで今度は大伯母が試すことになった。帰還できなかったときのことを想定して僕も後を追い掛けることに。
魔法陣がまぶしく輝いている。大伯母が行き先を設定している。
権利がなくても脱出ゲートと言う以上、地上に戻ることはできるはずだ。問題は戻ってこれるかということだ。
結論から言うと可能であった。戻ってくることはできた。
ただし! 十一階層にやって来れても正規の出入り口は利用できないままであった。十二階層に進んでも十二階層のゲート開放の権利は得られなかった。
考察のためひたすら転移しまくった僕と大伯母は、ごちそうを横目に『万能薬』の小瓶を飲み干した。
これでクエストのオプションもクリアってことかな。
では改めて。
「乾杯ッ!」
昼を食べたばかりだというのに子供たちの胃袋は無限だった。
「おいしい!」
「おいしいわ!」
「そうかい? こっちもどうだい? 自家製のウィンナーだよ」
褒められて女将さんもうれしそうだ。
「がははははっ」
老人も鼻を真っ赤にして上機嫌だ。
ほんと、いい所だ。
空に雲が流れる。心地よいそよ風。
「師匠……」
ニコロが小声で話し掛けてきた。そしてそっと指差す。
目下、ヘモジとオリエッタが『万能薬』を老人のジョッキに垂らして、酔いを覚ましてやるいたずらを敢行中であった。
この先、老人の身に起こる奇跡を想像して僕は笑いをこらえた。




