『陽気な羊牧場』クエスト1
入口まで戻ってきてしまった。
「また森を散策しなければならないのか……」
洞窟の脇に北に抜ける小道を見付けた。フェンリルの子供も通れそうにない人サイズの狭い道だ。誰が利用しているのか。
鬱蒼とした細道は奥深い黒い森へと続いていた。
「…… 先は長そうだな」
ふたりは頷いた。
「今日は引き上げよう。森を焼いてしまったから地図も半端だしな」
「なんで全員いるんだ?」
「大師匠がいいって」
フル装備のヴィートが言った。
「ラーラ姉ちゃんもいいって言ったよ」
「言った」
マリーとカテリーナが足元にまとわり付く。
「わたしたちもよかったんでしょうか?」
ジュディッタ、イルマ、ルチャーナも武器を携え、リュックを背中に、戦装束だ。
「いいのよ。クエストってのはあるときにやっておかないと、いつ同じクエストが出るかわかんないんだから」
ラーラが言った。
その隣にはイザベルとモナさんまでいた。
「保護者が子供たちと一緒に動けなくなると困るからな」
大伯母まで一緒だ。
「『陽気な羊牧場』て、どんな所?」
ニコロがトーニオに聞いた。
「ただの眠り羊の牧場だろ?」
「でも牧場だよ! 凄くない?」
「お前の壺が俺にはわかんね」
ジョバンニの言葉にみんな笑った。
「隊列はこれでいいの?」
フィオリーナが後ろを見ながら尋ねる。
「いいのよ。ハイキングだと思って気楽にやんなさいよ」
しんがりはラーラと大伯母だ。子供たちはペアを組んで歩き、進んであぶれたトーニオだけは僕の隣でオリエッタを肩に抱いている。
「ヘモジが先頭でいいの? 道わかってる?」
ニコレッタが懐疑的に僕を見上げた。
フィオリーナはその横で申し訳なさそうな顔をする。
僕は黙って権利書の裏の地図をふたりに見せた。
「合ってる…… の?」
「たぶんね」
他の子供たちもゾロゾロ地図を覗き込みに来た。
「ほら、隊列乱さない!」
しんがりから注意を受けた。
本日は急遽、十二階層の攻略は置いておいて、朝から十一階層の山岳フロアで『陽気な羊牧場』を探すことになった。
僕以外は十一階層の転移資格を持たなかったので、おかげで何度もゲートを往復する羽目になった。
入口を出て早々、雪を頂く白い山脈を子供たちは物珍しそうに見詰めた。
「あれ何?」
「なんで白いの?」
「きれー」
子供たちは雪が山の頂きに積もる理由がわからず、大人たちに聞きまくった。
スタートからジュディッタたちまで巻き込んで青空教室みたいになっていた。
「うわー、緑だ! 木がいっぱいある!」
遠くに小さな森が点在するだけで、子供たちは飛び跳ねて喜んだ。
「一階だって、ゴブリンのフロアだって森はあったろ?」
「でもこんなにすてきな景色じゃなかった!」
道端から視線が途切れる先まで、背の低い高山植物が敷き詰められていた。蝶や蜂が舞うなか、でかくてまん丸なモコモコが暢気に草を食んでいる。
「でかい……」
「眠り羊だ。近くで見るとでかい!」
「正面に立つなよ。あいつら臆病だから近付くと頭突きされるぞ」
「あれでも魔物だからね」
僕たちは緑地にできた蛇行する山道をピクニック気分で進み、目的の未到達エリアにさしかかった。
「一旦休憩しましょう」
子供たちは手が届くくらい近くにある大きな雲を見上げた。砂漠では滅多にお目にかかれないものだ。
あっという間に通り過ぎて、峰の向こう側に消えていく。
空は青く、風は砂漠暮らしのせいか、肌寒く感じた。
遙か彼方に風車が回る山村が見える。
子供たちは見たこともない景色に興奮覚めやらない。砂漠のない世界。灼熱の太陽も、熱波もない世界。何もかもが穏やかだ。
「早くここまで、来られるようになりたいわね」
「毎日ここでランチタイムだ!」
「耐火性の付与装備をまず揃えないとサラマンダーのフロアには行けないんだよな」
「洞窟が熱いんだよね?」
子供たちが大師匠の方を見た。
「自分たちの手でどうにかするって言ったのはお前たちだろ?」
「まさか、あのゴブリン装備か?」
「あれは剣の修行で使うの」
「オリヴィアからアクセサリー買えば済むじゃないの。火耐性に特化した物なら高くないでしょう? あ、オリヴィア連れてくるの忘れた」
「商会の人間を連れてきたら、こっちの商売があがったりになるだろ」
牧場がどういう所かわからないが、エルーダ迷宮にある爺ちゃんたちの秘密の町のように、迷宮の住人と取引ができるような場所なら、冒険者にも中間搾取の機会が生まれる。
「お金、勿体ないよ。頑張ればドロップ品で出てくるかもしれないんだから」
低階層で人数分揃えようと思ったら、どれだけ掛かることか。
「命より高く付く物はないわよ」
ラーラがリュックから水筒を取り出した。
「サラマンダーの吐く粘液はしばらく燃え続けるから、火蟻よりある意味危ないのよね」
モナさんが石を集めてかまどを作る。
「はい、決まり」
イザベルが有無を言わさず決定した。
「しっかり投資するのも仕事の内ということだ」
大伯母がとどめを刺した。
燃やせる枝は幾らでも転がっているので、乾いた手頃な物を選んではかまどに並べていく。
ラーラがモナさんが置いた鍋に水を注いだ。
お湯ぐらい魔法で作れるのになんでという顔で、子供たちは大人たちを見上げる。
「気分よ、気分」
標高が上がれば沸点が下がるって話は迷宮のなかではどうなるのか知らないが、この景色のなかで魔法で湯を注ぐというのは野暮というものだ。
手間を掛けて飲む紅茶の方が何倍もおいしかろう。
「ナーナ」
岩の上で警戒していたヘモジが茂みのなかを指差した。
「野犬」
オリエッタが反応した。
「結界、張ってあるから小物は気にしなくていいぞ」
「ナーナ」
ヘモジが手を上げた。
召喚獣のくせにのどかな景色がよく似合う。
たまに獣の類いが出てくるが、ここには小動物も生息しているので、わざわざ冒険者を襲う必要はない。うちの子供たちは食べ頃かも知れないが。
少なくともこのフロアでは羊の方が上位者だ。
「それにしても……」
見逃すはずもない立派な山道が自分が見付けた正規ルートから外れて、山向こうまで延びていた。ヘモジとオリエッタがあんな道はなかったと、どんなに言い張ったところで今更、証明のしようもない。
全員に見えているようだから、全員、もれなく目的の牧場まで辿り着けそうだった。
少しパサパサな舌触りのフルーツケーキと紅茶がおいしい。
鳶が鳴きながら空を横切っていく。
「のどかだねぇ」
新たにできた山道を峠に向かって進むとやがて広々とした高原に出た。
「ふぅあー」
「ほんとにあった」
「牧場だ」
敷地いっぱいに張られた柵の向こうに、大きなサイロのある木造の建物が見えた。
「眠り羊用の厩舎なら然もありなん」
僕たちの足は自然とそちらに向いた。
「なんだか寂れているな」
肝心な羊たちはどこだ?
「気配もない……」
「いた」
オリエッタがひとりの住人を見付けた。
「ヘモジだ!」
「いや、あれは正真正銘の小人族だ」
大きさはまさにヘモジサイズ。厚手の繋ぎを着た白髪、髭モジャな老人だった。
『おや、旅人とは珍しい』
声が渋い。
僕は黙って権利書をちらつかせた。
『これは、これは! ようやく買い手が付いたと言うことか!』
木箱に腰掛けていた老人は飛び降りた。
拾ったんだが、馬鹿正直に言うこともないだろう。
『高い買い物になってしまったの。見ての通り、ここにはもうわししかおらん。生憎、飼っておった羊はみんな逃げ出してしもうた』
クエストらしくなってきたねぇ。
『フェンリルの奴が突然現れての』
「え? フェンリル?」
嫌な思いが頭をよぎった。
『みんな逃げ出したはええが、帰路をフェンリルに絶たれてな。往生しておるんじゃ。このままではあやつら飼い葉もなく死んでしまう』
その前に食われる心配しないか、普通。
「フェンリルはどこに?」
『麓の森じゃ。じゃがあそこはワイバーンも出る危険地帯じゃ。誰も足を踏み入れん』
「……」
「十二階層だ……」
「ナーナ」
三人渋い顔を見合わせた。
『森の奥まったところにある洞窟の脇に、さらに北に向かう小路がある。やがて渓流が道に寄り添うようになるじゃろう。そのまま上流を目指すのじゃ。さすれば目的の滝壺がある。その滝の裏の洞窟に羊たちは息をひそめておるはずじゃ。滝壺におるフェンリルたちを排除すれば皆、放っておいても戻ってくるじゃろう』
老人の話では滝壺の洞窟の入口がフェンリルには狭いのだそうだ。
「まさかの展開」
オリエッタはおどけた。
どうやら僕たちの探していた出口もそっちにありそうだ。
『昔は行商人たちもわざわざ立ち寄る程賑やかな場所だったんじゃ。あらゆる物がここで取引されておった。もうあの頃には戻れんのかのぉ』
言うだけ言って老人は建物のなかに消えた。
「どこが陽気なんだよ?」
「つまりどういうことだ?」
大伯母が答えを僕たちに求めた。
僕たちは十二階層の様子を語った。
老人の台詞に出てきた『奥まった洞窟』でこの権利書を手にしたことも。
「これはもう行くしかないわね!」
ラーラが当然という顔で言った。




