第50話 ジャンル分けに関する考察 その6
「Science Fiction. つまり、科学の虚構ということです。一般的には空想科学小説とかSF映画とか色々な形をとるものです。SFが好きな方、手を挙げて」
ですます調でなく、”挙げて”という言葉につられ、数名が反応してくれた。
「ありがとうございます。わたしもSFは好きなんですが、科学のSF化は嫌いです」
エンターキーで次のスライドを示す。
「科学はあくまでも”事実”を追求していくもののはずです。なぜならもともと無いものを作り出す力は人間には無いからです」
ややざわざわした声がする。つまり、今わたしが言ったことへの反論だろう。構わずもう一度エンターキーを叩く。そして、レーザーポインタでびしっと図を説明する。地獄・極楽の絵解きをしているときの感覚とダブった。
「分子の最小単位とかってどんどん小さなものを発見してて、宇宙から降ってくる粒子を観測したとか色々言ってますよね。人間ってその最小単位のものを作り出せますかね?」
ざわざわが増した。無視する。
「人間は色んなものを作ってきて、医療の分野では細胞も作ってますけど、それって結局既に自然界に存在してたものを組み合わせたり、加工したり、既に現象として存在してる化学反応を使ったりして作り上げたものです。”発明”とか言ってもゼロからのオリジナルは一つも無いわけです」
どうも父兄の中にはイライラして途中で発言したそうな人が何人もいるようだ。まあ、後で質問してもらおう。
「わたしがいちばん怖いのは、宇宙の起源を突き止めようという研究です。様々な、自分の目で見た訳でもないものに仮説を立て、巨大な実験装置を使って、何か崇高なものに近付くような雰囲気で世間からもてはやされています。因みにいきなり仏教の話になって申し訳ないのですが、弘法大師は宇宙を司る存在が大日如来であると悟って大いなる仏智を得られ、数えきれない衆生を救いました。悪人を救うにしても、その悪人がまた別の人を救うような大いなる好循環をもって。科学者がするような、闇雲に人を救ったら救われた人が今度は人殺しをするような、そんな無責任な救い方ではないのです。アインシュタインの研究結果が原爆につながるような、そんな救い方とはレベルが違うのです」
ふうっと自然に深呼吸する。
「大日如来こそが、あるいは神仏こそが宇宙の起源そのものであり宇宙を司っている。これが”事実だ”、とわたしは言いたいのです。そういう神仏の世界は非科学的なものではなくって、あまりにも精緻で合理的で膨大な計算・・・空間だけではなく時間も含めた・・・がなされており、科学者がそのレベルには到底及ばないので、気付くことすらできない、ってことです」




