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もよりがシュジョーを救う法  作者: @naka-motoo
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月影の至らぬ里の無きが如く・・・その3

地獄。


今わたしたちが生きる現代において地獄というと形容詞のように使われる場合が多い。

受験地獄、就活地獄、貧困地獄・・・


そして、この世に地獄を顕現したようなものも存在する。


災害、戦争、テロ、いじめ、虐殺、凶悪犯罪・・・


そして今わたしたちが悪鬼神に見させられているのは本物の地獄。

目をつむり耳を塞げば発狂は免れるかと思い、そうしようかと考えたけれども無駄だとすぐに悟った。


映像よりも音声よりも、『匂い』が一番にわたしたちへ到達した。


「何、この匂い?」


ジローくんがつぶやく。

空くんがそれに冷静に答えをかぶせる。


「鉄の匂いは、分かる。血、だよね」


炎の匂いはしなかった。これはわたしは理解できる。

地獄の業火の火種と燃料は物質ではないので煤も煙も出ない。


怨念・妄念・嫉妬。

そういう人間のネガティブなもの一切合切が火種であり燃料なので匂いのない、逆説的な意味で純度の高い火炎なのだ。


じゃあ、ジローくんが訊いた匂いは?


「人間の内臓の匂い。脂の匂い。それから多分骨とその中の髄液の匂いも」


学人くんが答えると同時に、えろっ、とちづちゃんが吐いた。

わたしは汚いとも思わない。ちづちゃんの背を撫で、口の周りをハンカチで拭ってあげる。


地獄に腐敗の匂いはしない。なぜなら亡者たちは高級魚のようにぶつ切りにされてもすぐまた再生され、そしてまた責め苦の繰り返しだからだ。腐敗という概念がない。それは実は恐ろしいことだ。


匂いの次には音声が届いた。


『あーーーっ!』

『殺してくれーーーっ!』

『もうしませんもうしませんもうしません、ぎゃーーーっつ!』

『うおーっ!キモいって言ってごめなさいぃーーーっ!』


聞きたくなかった。

けれども、彼女・彼らの断末魔の叫びは、近本の重厚な音声とは似ても似つかない軽くて高音域でしかないけれども、大きさという意味では死に物狂いの大音量だった。


そして、前へ進む以外ないわたしたちは、とうとう映像が届く至近距離に来た。


「・・・・・!」


全員、目をつむる。


けれども一旦目にしてしまったその光景は、残像として脳に残り、音声・嗅覚情報しか入って来ない状態になった途端、スクリーンショットの情報からよりおぞましい映像を想像してしまいわたしたちの精神を苦しみ始めた。


目を開けた現実の方がまだマシな光景かもしれない。


そう感じて5人ともまた目を開ける。


開けなければよかった。


ただただ、『本物の地獄』の現実がそこにあった。


身長3m超はあるだろう青ざめた皮膚の鬼にオリンピックやプロスポーツのどの競技でも見たことのないスゥイングのスピードで金棒によって後頭部を打ち殴られ、肉片と血と脳の一部を飛び散らせながらばったりと倒れる性別不明の傷だらけの人間。


逃げようとして走り出したけれどもすぐに2匹の鬼が車のようなスピードで追いすがり、2匹同時に金棒で人間のアキレス腱を打ち砕いた。その人間はぐしゃぐしゃになった足首を手で抑えることもできず意味不明の音声を漏らして苦悶する。


そして向こうではまな板のような石台の上で亡者が3人うつ伏せに寝かされ、日本刀のような長い刃物を左右の手に一本ずつ持った赤らんだ皮膚の鬼が魚を下ろすように延髄のあたりから刃を入れ、背骨に手を当てながら肉と皮下脂肪と皮膚を切り離していく。

鬼は人間たちの叫び声には委細かまわず作業のように淡々と事を進めている。


ちづちゃんはしゃがみこんで激しく吐いている。わたしはちづちゃんの隣に立膝をついた。その頭をそっと抱きかかえ、もはや地獄の空気に当てられてベトベトになったちづちゃんの髪を撫でてあげる。

見ると、男子3人もしゃがみ込んで目に手を当てて嗚咽していた。


無理だ。

こんなの、進めるわけない。


ご本尊。

わたしはお寺の娘です。

あらゆる困苦はご本尊と共に乗り切れるものと子供の頃から心に刻み込んできました。


大難を小難に、小難を無難に。


けれども、これは大難でも小難でもありません。

今、わたしが見て聞いて嗅いでいるものは、本物の地獄です。


こんな想定、わたしはしてませんし教わってもいません。


すみません、ご本尊。

今すぐこの地獄からわたしたちを救ってください。

それが、わたしたちが消える、という意味なのならば死んでもかまいません。ちづちゃんを、男の子たちをできるだけ苦しまずにそちらへ連れて行ってください。


『もより!』


・・・近本? ううん。こんなクリアな声じゃない。

誰?


『もより、口を開くんだ!』


一志お兄ちゃん!


『たった、六字でいい。口を開くんだ。さあ!』


ああ。

そうだ、六字。

たった、六字。


「な・・・む・あ・み・だ・ぶ・つ」


少し、迷いが消えた。


地獄の中にあって、わたしの意識はまだ混濁してない。

精神的にカオスに支配されつつあるけれども、それでも白濁した膜のかかったような脳の皮脂に、六字でもってクリアな部位ができた。


もう一度つぶやいてみる。


「南無阿弥陀仏」


わたしは行動した。

まず、ちづちゃんのおでこに、キスした。


驚いて途端に顔を上げ、びっくりまなこでわたしを見つめるちづちゃん。


それから今度は男子3人にも1人ずつおでこにキスをした。


全員、凍りついていた頰に血の巡りが戻る。


「みんな、ありがとう。こんな辛い目に遭わせて、ごめんね」


みんな、泣いている。

わたしも涙が滲んだ。

けれども、なぜだかわたしの目尻に笑みがこぼれる。


「みんな、まだ生きてるよ? んで、生きて帰れるから。帰る時、必ずみんなにたくさんのお土産、上げるから!」


さあ、とわたしは一人一人の手をとって、そっと立ち上がらせてあげた。


「見て。あの光」


それは、地獄の業火の闇の中で、一志お兄ちゃんが用意してくれた、最上階に灯された小さなお灯明。

燦然と輝くものではなく弱く柔らかだけれどもわたしたちの歩むべき方角を死守する光。


「みんな、手をつないで」


縦に並んで、リレーのバトンを受け取るように各々の腰の後ろあたりに出した右手を左手で受け止める。


そしてそのままお灯明に向かって歩き始めた。

先頭のわたしは左手を立てて六字を唱えながら。


どんなに恐ろしい光景や音声や匂いが周囲に漂おうとも、わたしがつぶやくお六字で音を消し香りを断ち、ただただ一志お兄ちゃんが命を賭して灯してくれた光を見つめて・・・


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