月影の至らぬ里の無きが如く・・・その1
夏はまだ終わらない。
だから、わたしもまだ終われない。
近本が指定した『観音像のない場所』を冷静にまず思い出した。
もう本堂には5人組が集まってくれている。
みんなと確認した。
「大都のイベントスペースだね」
そう。県内唯一のデパート・大都に隣接した全天候型のイベントスペースだ。行き交う人の多さと、せり上がるステージや楽器倉庫の構造上、物体を静置するほんの小さなスペースすらなかった。常に何かが流動している場所だ。
「行くしかないか・・・観音像をこっそり忍ばせていったら?」
学人くんのアイディアにわたしは静かに首を振る。
「3人の命を1秒でも長らえさせる責任がわたしにはあるの。そこまでのリスクは取れない・・・」
近本の置き手紙を見つけてから既に3時間が経過している。わたしは次第に嫌な態度を取り始める自分が分かっていても自制できない。
「・・・っ、ああ、やっぱりダメだ! なんであの尋常じゃなく身も心も強い3人が! あの3人で無理ならもうダメだっ!」
本堂の座布団に思わず拳を打ち下ろした。
それでもみんな、どこまでも優しくわたしに接してくれた。
「もよちゃん。確かにわたしは弱っちいよ。里先生の圧力にも耐えられなかったし、未だにもよちゃんに頼りっぱなし。でもね、もよちゃん」
ちづちゃんが潤む目でわたしを見つめている。
「どうなっても、構わないの」
ああ。
まだ10代の静かで可憐な女の子が、まるで愛する人に身を捧げるようなその言葉に、わたしは胸が締め付けられる。
きゅーっ、と心臓が収縮するのがわかる。
男の子たちも、ちづちゃんに続く。
「そう。どうなっても、構わないよ」
・・・・・・・・・・・・
時間が、なかった。
わたしたちは丸腰で大都の隣のイベントスペースに自転車で向かった。
ただ、わたしはなぜか正装したかった。
だから、夏用の黒い法衣を着付けて、巾着を袖に下げ、自転車を走らせた。
4人のラフなスタイルの高校生と、女の坊さんが並んで走る姿は衆目を引いた。でも、そんなのどうでもいい。
そしてわたしは巾着に、仏説阿弥陀経の経本と、以前近本がご本尊に刃物のように放った彼の体・すなわち悪鬼神の御神体の一部を滑り込ませていた。
イベントスペースはお盆を過ぎたダレた夏の空気の中、カフェで買った甘くて冷たくて華やかな飲み物を飲むひとたちで溢れかえっていた。
自転車ですーっ、とスペースの端に滑り込み、わたしは自転車を降りる。
そして、人払いを始めた。
「皆さん、お聞きください! 今からここで殺し合いが始まります! 小さなお子さん連れの方からまず最初に避難してください!」
横目でちらちら見る人がほとんどで、イベントの一部かと反応しない。そのまま人々は座り続けている。
わたしの苛立ちが最高潮に達し、ついには怒鳴った。
「邪魔だから、どいて!」
怒鳴った瞬間、人々の姿がネガのように黒色に転じた。
そして既に近本が広場の真ん中に立っていた。動いているのは近本とわたしたちだけだ。
わたしたち5人は寄り添い、10の鋭い瞳を近本に向けた。
「よかったのか、もより。友達全員死ぬぞ」
近本の言葉にわたしは反応できなかった。代わりに応対したのはジローくんだった。
「僕らは死ぬつもりなんかありません。なぜなら正しいことをしに来たからです」
「相変わらず敬語の坊やか。正しいとは?」
「あなたと反対のことをすることです」
くくく、と近本が笑った。
「ふふ。そうだな・・・合ってるよ。確かにわたしは間違ってる。存在そのものがね。だが、そもそもわたしの社を取り壊したのは誰だ?」
近本の表情が険しくなる。
「わたしが人間の世の長久を願っていた時、神の宿る木を切り倒したのは誰だ? そして『知らなかったのだから仕方ない』と開き直ったのは誰だ? 教えてくれ、人間の社会では知らなければ罪にならないのか? 目に入らないから何の責任もないのか?」
出会った時から常に含んでいた嫌悪のする笑みすら消えた。
それは、ただただ、鬼の顔だった。
「見えないうぬらが愚かなだけだろうがっ!」
その声の轟音に、鼓膜がピシッと音を立てた。




