再会
目的の建物に到着すると、キバは両開きのドアを開いて足を踏み入れた。
事務所と思われる場所に、見覚えのある男が二人。
先程少女に絡んでいた二人組だ。
どうやらここの組織の下っ端だったらしい。
「ひっ……」
自分達を追って来たと思ったのだろう、
キバを見るなり引きつった声を上げ、顔を青くする。
「ボスはどこにいる?」
キバが尋ねると、男達は震える指先で、奥の階段を指差した。
「ありがとよ」
短く告げると階段を上り、その先のドアを蹴破る。
ドアの先はバルコニーになっていた。
三十人ほどの男達が、真昼の太陽の下、豪勢な食事を肴にグラスを傾けている。
(いいご身分だな)
その様子を見て、予定の三倍は痛めつけることを決めた。
「ドアは静かに開けるものだ。それでは修理代がいくらあっても足りん」
周囲の黒服達が浮き足立つ中、一人椅子に座った中年の男が言う。
無駄に肥え太った、小柄な男だ。
どうやら彼が、ここをアジトにしているマフィアのボスらしい。
「プライベートに乱入してくる輩に、
マナーをわきまえろというのも難しい話かもしれんがな」
大物ぶった口調だが、無理しているのが見え見えだ。
「マナー違反はお互い様だろ?」
言って、キバは肩をすくめる。
「もっとも、袖にされた腹いせと比べれば、こんなの可愛いもんさ」
それを聞いて、男は眉をしかめた。
「貴様、あの店の用心棒か?」
「冗談キツいぜ。あんな店長の下で働くなんてごめんだね」
拳を握り、目の前に掲げるキバ。
「俺は、ただの『拳屋』さ」
鋭い眼光と共にキバが言い放つと、男は脂肪の詰まった頬を歪ませて笑う。
「ほう、貴様がどんな荒事も、拳で解決するという便利屋か……面白い」
男は座ったまま、懐から銃を取り出した。
それを見て、周りの男達も一斉に笑みを浮かべる。
「銃弾を受け止めるという話だが、本当かどうか見せてもらおう」
自信たっぷりに男が言うが、その姿は一目見て素人だと分かった。
銃自体も小口径の護身用拳銃で、何か仕掛けがあるようには見えない。
正直、動かない的にも当たるか怪しかった。
(この馬鹿、信じてないな)
呆れるキバをよそに、男が引き金を引く。
脇を抜ける軌道で放たれた銃弾を、キバは容易く掴み取った。
防弾性のグローブが甲高いとを立てるのと同時に、
着弾の衝撃に逆らうことなく、体を回転させる。
その勢いを前進する力に変えると、キバは男に向かって床を蹴った。
周囲の手下達には目もくれず、男を狙って疾走する。
男は再び銃口を向けるが、キバの動きを捉えることがでない。
その顔面に拳を叩き込むべく、キバは拳を握る。
(――!?)
次の瞬間、戦慄がキバの全身を貫いた。
サトリ――東洋武術における、先読みの技術。
時に、理屈では説明できない力を発揮するその技術の習得には、
長期間の訓練を必要とする。
それによって培われたキバの勘が、全力で警鐘を鳴らしていた。
自分の感覚を信じ、咄嗟に体をひねる。
同時に、何かが左肩を貫いた。
衝撃に体勢を崩し、受身も取れずに床を転がる。
撃たれた――そう自覚した途端襲ってきた痛みに、思わず声をもらす。
「ぐぅ……!」
そんなキバの姿を、男は嬉しそうに見下ろした。
「どうかね、わたしの腕前は?」
「ふざ、けんな……何が『わたしの腕前』だ……!」
痛みに耐えながら、キバがうめく。
男の銃は、二発目を撃っていなかった。
キバの肩を貫いたのは、遥か遠方から放たれた銃弾だ。
「随分と、腕のいい狙撃主を雇ってるじゃねえか……」
「気付いたか。流石だな」
サトリを習得しているキバは、相手の放つ殺気には特に敏感だ。
相手が遠く離れていても、それは例外ではない。
そんなキバが動いているところを狙い撃つなど、並みの腕ではなかった。
「『狙撃屋』と言えば分かるだろう?」
「!!」
その名を聞いて、キバは驚愕に目を見開く。
新参の便利屋だが、狙った獲物は絶対に外さないと噂の狙撃手だ。
咄嗟に回避していなかったら、キバも心臓を撃ち抜かれていたことだろう。
様々な組織が仲間に引き入れるため探しているが、
その正体すら掴めないことから、
実在するかも怪しいと言われていたが――
(まさかこんな所で出くわすとは……)
「わたしも何かと敵が多くてね。これくらいの備えはしてあるのだよ」
言いながら、男は構えていた銃を下ろした。
「しかし、貴様も評判どおりの腕前だな。
『狙撃屋』の弾丸を食らって生き延びるとは。
わたしの下に付く気はないか?
先程の比例は許すし、報酬も弾ませてもらおう」
男の言葉を聞いて、思わず笑みを浮かべるキバ。
痛みをこらえて立ち上がり、まっすぐ男を見据える。
「俺の評判を聞いてるなら、
そういう誘いにどう答えるかも知ってるんだろ?」
「まあな。だがつまらんプライドのために死ぬか?」
その問いに、キバは鼻で笑ってみせる。
「そういう台詞は、俺の拳を潰してから言うんだな」
「……いいだろう」
キバの態度に、男の額に青筋が浮かぶ。
大物を気取るのも、そろそろ限界に近いようだ。
「ではその拳を抱いて、死ねい!!」
男が叫びながら、勢いよくキバに指を向ける。
それが狙撃屋への合図なのだろう。
(どこから狙ってやがる……?)
次の一発を避けるべく、必死に気配を探るキバ。
だが殺気の欠片も感じることはできない。
せめて急所だけでも守ろうとガードを固めるが――
「………………」
「………………」
「……?」
長い、長過ぎる沈黙に、思わず疑問を感じる。
「何故撃たない!?」
相手にとっても予想外の事態らしく、男もまた狼狽の声を上げる。
だがキバにとってはまたとないチャンスだった。
腑に落ちない部分はあるものの、この機を逃すわけにはいかない。
呆然と立ち尽くす手下達の脇を駆け抜けると、
大きく床を蹴ってバルコニーから飛び降りる。
表通りに着地すると、その衝撃を転がって相殺し、目の前の建物の陰に飛び込んだ。
そのまま、近くに立っていた青年の横を走り抜ける。
「南に五百メートル。一番高いビルの屋上だ」
すれ違い様に、青年の言葉が耳に入った。
姿を確認している暇はないが、キバにとって聞き覚えのある声だ。
「追え! 追えーっ!」
バルコニーの上で男が怒鳴っているが、もう遅い。
キバは薄暗い路地裏へと消えていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
内戦前の開発計画で建造されたまま、使われていない廃ビル。
その屋上へと続くドアのノブに手を掛けると、キバは勢いよく押し開けた。
次の瞬間、目に入った人影が素早くそちらに振り返る。
だが狙撃屋は、手にしたライフルを向ける途中で、
キバを見て硬直したように動きを止めた。
その隙を突いて駆け出すと、左右に体を振りながら狙撃屋へと迫るキバ。
我に返った狙撃屋がライフルを構えるのと、
キバが銃口を掌で塞いだのは同時だった。
二人の間を、風が吹き抜ける。
その風になびくコートを見て、キバは自分の目を疑った。
男物のコートとは不釣合いな、小柄な体。
傍らには空のギターケースが口を開けているが、辺りにギターは見当たらない。
狙撃屋の手にしたライフルの銃口だけが、ハットの下から覗く大きな目と共に、
相対するキバへと向けられている。
「いかしたギターじゃねえか……」
動揺とは裏腹に、キバの口からは皮肉がこぼれ落ちる。
彼の目の前にいる狙撃屋は、間違いなく先程出会った少女だった。
チョコレートに夢中になっていた少女が、
自分の肩を撃ち抜いた狙撃屋という事実に愕然とする。
一方の少女もまた、幻でも見るようにキバを見上げていた。
視線の先では、キバの肩口から血が滴り落ちている。
「何で……怪我してるの?」
小さな唇からもれた疑問の言葉に、キバは頭がかっと熱くなるのを感じた。
一触即発の状態であることも忘れて、力の限り怒鳴りつける。
「お前が撃ったからに決まってんだろ!!」
それを聞いて、感情の乏しかった少女の顔に、強い驚愕と困惑が浮かび上がった。
大きな目をさらに大きく見開き、ライフルの銃口を床に落とす。
「嘘……だってボク、撃っただけで……怪我させる気なんて……」
途切れ途切れの少女の言葉を聞いて、怒りの行き先を失ったキバは、
固く奥歯を噛み締める。
(そういうことかよ……)
銃を向けて引き金を引けば、誰かが傷つく。
目の前の少女は、そんな当たり前のことも知らなかった。
「…………」
キバは意を決して拳を握ると、混乱し涙を浮かべる少女を殴りつけた。
その拳には、撃たれたことによる怒りや恨みは微塵もない。
無防備な状態で顔面を殴打され、気を失った少女はその場に倒れ込む。
「……痛え」
拳を抑え、キバがうめく。
他人を殴った拳がこんなにも痛むのは「あの日」以来だ。
その痛みに比べれば、撃たれた肩の痛みなどたかが知れていた。




