出会い
十年前。
両親を失い、一人荒野をさまよっていた少年は、野党の真似事をして暮らしていた。
子供だと油断している相手の不意を突き、殴り倒した後、荷物を奪って逃げる。
高い身体能力を持つ少年にとっては、大人が相手でも容易いことだった。
ある日、少年は戦場から戻る途中の、政府軍の部隊に目を付ける。
兵隊を狙うのはリスクが高いが、これが初めてではない。
覚悟を決めると、物乞いの振りをして近付いていった。
「何だ坊主、腹減ってんのか?」
少年に気付くと、部隊の先頭を歩いていた男が足を止めた。
金髪に赤いバンダナを巻いた、無精髭の男だ。
男は少年の前にしゃがみ込むと、ポケットを探る。
その無防備な横っ面に、少年の拳がめり込んだ。
「……っ!?」
驚愕に顔をしかめる少年。
殴られた男はピクリとも動かない。
それどころか、少年の拳の方が、痛みに悲鳴を上げていた。
「殴ってきたってことは……」
言いながら、男がポケットから手を抜く。
その手には何も握られていない。
強いて言えば、拳が握られていた。
「殴られても文句ねえよな?」
その拳が顔面にめり込み、少年は意識を失った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ドアをノックする音に、赤い髪の青年――キバはゆっくりと目を覚ました。
キバが体を起こすと、慣れ親しんだ粗末なベッドが悲鳴を上げる。
眠い目を擦りながら入り口へ歩み寄り、ドアを開けると、
一人の女が笑みを浮かべて立っていた。
キバの住む安アパートの管理人、ソフィアだ。
腰まで伸びた銀髪が印象的な女性で、
抜群のプロポーションとは対照的に無邪気な表情が、
実際の年齢よりも彼女を若く見せている。
「家賃ちょーだい♪」
にこやかに言う彼女に対し、キバは無言でドアを閉めた。
だが、静寂は一秒と続かない。
「何で閉めるのよ!」
抗議の声と共に再びドアが叩かれる。
今度はノックなんで生易しいものではない。
ドアをぶち破らんばかりの勢いだ。
咄嗟に背中で支えるキバだが、それでも衝撃で蝶番が揺れる。
「もう三ヶ月目よ! 払える分だけでも払いなさい!」
「これっぽっちも払えないんだから仕方ないだろ!」
そう必死に訴えると、ドアの震えが止まる。
諦めたと思って安心するが、それは甘かった。
ドア越しに、大きく息を吸う音が聞こえてくる。
「ちょ、待――」
制止の声を上げようとするが、間に合わない。
強く床を踏む音と同時に、ドアが吹き飛ばされる。
その衝撃に、ドアを支えていたキバの体も弾かれて、反対側の壁に激突した。
「修理代は家賃に上乗せしておくから」
ドアを粉砕した張本人が、横暴極まりない台詞と共に入ってくる。
「壊したの俺じゃないんだけど……」
「あなたが抵抗するからよ。
仕事を引き受けてくれるなら、わたしが払ってもいいけどね」
そう言って、彼女は人差し指を立てる。
「それどころか、家賃もひと月分サービス! 報酬も付けちゃう♪」
「仕事?」
キバが尋ねると、ソフィアは立てた親指を左右に振った。
「肉が欲しければ肉屋に頼む、靴が欲しければ靴屋に頼むわ。
だったら、拳屋に頼む仕事は一つだけでしょ?」
「なるほど……」
ソフィアの言葉に納得するキバ。
彼は床に転がったまま、念のためもう一度尋ねた。
「今回は猫探しとかじゃないんだな?」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「報酬って……」
石畳の通りを歩きながら、キバはぼやいた。
その手には、ソフィアから「報酬」として渡されたチョコレートが握られている。
「子供のお使いじゃねえんだぞ」
うんざりしながらチョコを懐にしまうと、体の具合を確認した。
ソフィアから受けたダメージは、もう残っていない。
それにしても、ドアごと吹き飛ばされるとは思っていなかった。
流石は政府軍最強と言われた、餓狼隊の一員といったところか。
内戦の終結から十年近く経った今でも、その実力は健在だ。
これなら今回の件も、自分で解決できる気もするが……
(まあ、そのおかげで家賃が浮くわけだし)
彼女なりの好意として、ありがたく受け取っておくことにする。
とはいえ、依頼の仕方はもう少し考えて欲しかった。
「マナーの悪い客はどこにでもいるか」
キバがこれから会おうとしているのも、そういった手合いだ。
ソフィアはキバの住むアパートの他、女性と一緒に酒が飲める店を経営している。
先日、女性にしつこく迫る客を追い出したところ、
よりによってマフィアのボスだったらしく、
組織ぐるみで嫌がらせをしてくるようになったそうだ。
(何やってんだよ、いろいろと……)
同じ男として泣けてくる話だが、嫌がらせがエスカレートしてきたとなると、
泣いてばかりもいられない。
従業員や他の客に危険が及ぶ前に解決して欲しい、
というのがソフィアの依頼だった。
そんな事情で相手のアジト付近まで来たが、
そういった連中が幅を利かせている地域だけあって、
辺りはずいぶんと寂れていた。
まだ日も高いというのに、表通りに人の姿が見当たらない。
だが完全に無人というわけではなかったようだ。
どこからか声が聞こえてきて、キバは立ち止まる。
声の方を向くと、裏路地の暗がりに人の姿が見えた。
ガラの悪い男が二人、小さな人影に詰め寄っている。
「ガキでも少しくらい持ってんだろ?」
「お兄さん達に恵んでくれよぉ」
男の一人が、相手の顔を覗き込む。
「へえ、よく見るとキレイな顔してるじゃねえか」
「こりゃ高く売れるんじゃねえの?」
「とりあえず味見でも――」
言いながらベルトに手をかける男。
その股間に、キバのつま先が勢いよくめり込んだ。
「はぉっ!」
男は奇声を上げて硬直し、そのままの姿勢で倒れた。
「次は潰すぞ」
吐き捨てるようにキバが言うと、もう一人の男が声を荒げようと口を開く。
だが声を発するより早く、キバが二本の指を突き付けた。
眼球まであと数ミリで止められた指を見て、男の顔中に冷や汗が浮かぶ。
「お前もだ。次は潰す。
それが嫌なら、そいつを連れて今すぐ失せろ」
男は大慌てで連れを抱えると、一目散に去って行った。
「大丈夫か?」
キバが声を掛けると、残された相手は警戒するように体をすくめた。
小柄な体に不釣合いな、男物のコートとハット。
着ている物だけ見ると少年のようにも見えたが、よく見れば少女だった。
手にはギターケースを提げており、小さな体に比べてずいぶんと大きく見える。
(ギター弾きの少女……ってところかな)
自分で食い扶持を稼ごうというのは感心するが、
こんな寂れた場所で商売ができるとは思えない。
少し悩んだ後、キバは少女に手を差し伸べた。
「来いよ。ここで会ったのも何かの縁だ。酒場くらい紹介してやるよ」
だが少女は応えない。
体を硬直させたまま、大きな目でキバを見上げている。
どうやら戸惑っているようだ。
「どうした?」
そう言って一歩近付くと、少女は逃れるように後ろに下がる。
段差に足を取られ、しりもちをつく形で地面に座り込んでしまった。
その様子を見て、あらためて少女の姿を観察するキバ。
コートとハットは比較的まともだが、それ以外はボロボロに傷んだ服を着ている。
孤児と見て間違いないだろう。
これまでに出会った人間が、先程のような連中ばかりだとしたら、
差し伸べられた手に戸惑うのも当然かもしれない。
(無理強いは良くないか)
とはいえ、このまま見過ごすのも後味が悪い。
キバはため息をつくと、少し離れて少女の隣に腰を下ろした。
少女が警戒のまなざしを向けているが、気にせず無言で座り続ける。
「……何で」
しばらくして、少女が口を開いた。
「何で助けてくれたの?」
少女の問いに、キバの胸がちくりと痛む。
この程度のことに理由を求められることが、街の現状を物語っていた。
「……ただのおせっかいだよ」
キバの応えに、少女は分からないといった様子で沈黙する。
「世の中には、そういう物好きもいるってことだ」
そう言って視線を向けると、少女は慌てて顔を背ける。
少しでも警戒が解けただろうか。
そう思っていると、少女の腹の虫が鳴き声を上げた。
キバが目を丸くすると、少女はばつが悪そうに腹を押さえる。
その姿に少しほっとして、キバはチョコレートを取り出すと彼女に差し出した。
「ほれ」
だが少女は受け取らない。
「いらないなら俺が食うぞ」
キバはそう言うと、包みを開けて一口かじる。
何度か噛んでから呑み込むと、残りを再度差し出した。
少女はゆっくりと手を伸ばすと、チョコを取ったとたんに素早く手を引っ込める。
その動作はまるで野良猫のようだ。
恐る恐るといった様子でチョコにかじりつくと、少女はその大きな目を輝かせた。
「……!」
何も言わないものの、えらく感動したらしい。慌てて次を口にする。
それを見て、キバも満足そうに笑みを浮かべた。
「そろそろ行くか。さっきも言ったけど、知り合いの酒場を紹介してやるよ」
立ち上がりながら、キバが言う。
だが少女は続いて立ち上がりつつも、首を横に振った。
「……そうか」
少し寂しさを感じつつ、キバは納得する。
こちらが敵でないと理解した上で、助けが必要ないと言うのなら、
それ以上キバに言えることはなかった。
「じゃ、俺はこっちだから」
二人で表通りに出ると、キバは目的地の方を指して別れを告げる。
少女が無言で頷くと、二人は互いに背を向けて歩き出した。