プロローグ
ヨロシクお願いいたします
森の中にポツンと建っている塔にうららなかな日差しが燦々と降り注ぐ。
その塔の最上階に一人の男性がいた。
簡素だがけして安物ではない椅子に腰掛ける小太りの男性は、背もたれに体を預け左手に本を持ち、空いている手でカップを手に取り口元へと運ぶ。
窓から入り込むそよ風とカップの中の茶の香りが混ざり合い、かすかに匂う甘い香りが小太りの男性の鼻孔をくすぐる。
優雅な一時を邪魔するかのように、無粋な足音と振動が近づいてきた。
小太りの男性は小さなため息を零して脇にあるテーブルに本を置くと、リラックスしていた態勢から身を正し、あおるように茶を飲み干すと部屋の入り口に視線を向ける。
「宝玉を持って行かれました」
「生半可な魔法じゃ歯が立ちません」
「しかし傷つけるわけにも行きません」
部屋のドアが乱暴に開けられたかと思えば、勢いよく三人の男が入ってくるなり小太りの男性に詰め寄る。
三人とも背丈や服装、はたまた顔までが同じで見分けが付かない。そんな彼らが捲し立てるように言葉を発してくるので、小太りの男性はため息を零し、
「じゃじゃ馬が」
と、吐き捨てるように言うとカップをテーブルに置き、重い腰を持ち上げる。
壁に掛けられた金色の刺繍が施されている黒いロングコートを羽織り、小太りの男性は窓枠に足を掛けて立ち登ると、後ろに振り返って言う。
「直ぐに掴まえて来るから、熱い茶を準備しておけ」
そう言うなり小太りの男性は窓から飛び降りた。
地上から何十メートルもある塔から飛び降りたのだ。
小太りの男性は重力の手に捕まり、すさまじい速度で落下する。空気の層を押しのけ、黒いロングコートをはためかせる。
建物の半ばを過ぎた辺りで彼の眼前には高い木々が映り込む。
あわやぶつかる寸前で、小太りの男はビデオの一時停止ボタンを押したように止まった――かと思えば、次の瞬間には身を翻し重力という言葉など無視するかのように空へと昇っていく。
塔よりも高く空へと昇った彼は辺りを見下ろす。
真下には先ほどまで寛いでいた塔があり、その隣には大きな建物と運動場の様に開けた場所がある。
遥か遠方にも開けた場所があるが、隕石でも落ちたのか大きなクレーターが見えた。
それら以外で目に付くのは木だ。鬱蒼と木が生い茂り、この中から人を探せといわれても無理だろう。
どうしたものかと悩んでいるのか、小太りの男性は宙に浮いたまま瞑目する。
すると段々と彼の体から赤い光がにじみ出てきた。
大きく息を吸い込み目を見開くと、彼を中心に赤い光が球体を描くように広がる。
「見つけた」
そう呟くや否や、小太りの男性は先ほどの落下速度を優にしのぐ、物凄いスピードを出してクレータの方角へと飛んでいった。
★☆★
腰まで伸びたブロンドの髪を靡かせて一人の少女が森の中を走っている。
こんな森の中では似合わないパーティードレスの裾を両手で持ち、懸命に走っていると背後から押し寄せてくる赤い光に飲み込まれた。
光に包まれても特に害はないのだが、少女は足を止め顔を顰める。
「っち、見つかった」
どこぞのお姫様のような外見の少女の口から、余りにも不釣り合いな言葉を発し、宙へと浮いていく。
森から飛び出した少女は更に、更にと上昇を続けて目的へと目指す。
少女は自身が持てる全力の力を使い、木々とぶつかるギリギリの高度で飛んでいると、森が開けた場所が見えた。
眼下に映るクレータを目にした少女は安堵のため息を漏らす。
「ここに来る奴に、碌な者はいない……な」
頭上から声が降ってきた。
少女は直ぐさま身構えて空を仰ぐと、小太りの男性が右手をかざしおり、その五本の指から光の鎖が伸びて来る。
突然の出来事に少女は為す術もなく拘束され、小太りの男性は光の鎖をたぐり寄せた。
「盗った物を返して貰おうか、じゃじゃ馬姫」
項垂れている少女にそう言うと、彼女は面を上げいう。
「「甘く見すぎでしょ!」」
二重の声が聞こえた。
一つは目の前の少女。もう一つは小太りの男性よりもはるか頭上から。
男は顔を顰めて空を見上げると、姿形がそっくりなもう一人の少女がいたのだ。
鎖で縛っている少女は何時のまにか姿を消し、目に映る彼女が本物だと悟ると、もう一度、右手を少女へと向ける。
「また同じ手を!」
そう言いながら少女は光を纏う札をクレーターへと放ち、自身もまた、クレーターへと落下していく。
伸びてくる五本の光の鎖を躱していると、先ほど放った札がクレータへと辿り着いた。
すると、クレーターの表面は黒い闇に覆われ、キラキラと輝く光が見える。
「綺麗……」
切羽詰まった状況にも関わらず、暢気な言葉が漏れる。
少女が口にする通り、そこだけ満面の星空が浮かんであるようだった。
光の鎖と小太りの男を振り切った少女は、その星の海の中へと身を落としていく。
底は見えないが、灯台の明りの如く少女を導くように幾つもの星が光り輝いている。もしかしたらその光は、誘蛾灯なのなのかも知れない。
深い闇に包まれていると心の中に恐怖が沸いて出るが、戻るという選択肢は持ち合わせていないようだ。
しかし名残惜しそうな、表情を少し歪めた少女は沈みゆく最中に振り返ると、小太りの男が光の鎖を伸ばしてくるが、こちらまでは届かない。
「馬鹿が……」
顔を歪めて悪態をつく男を見ながら、少女は意識を手放した。