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シシンデラ  作者: 直弥
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パート6

 どこまでが偽善か。何を以っての独善か。正義と善は等号で結べるか。価値観を超越した絶対の倫理観は存在するのか。結局。何が、誰が悪魔だったのか。


 ――――某年十月某日。

 少年院で誕生日を迎えた真打真人は十四歳となっていた。自分も含めて、祝う者など誰もいない誕生日は、無味乾燥に過ぎ去ったものの、先頃になってようやく心に潤いを取り戻し始めた彼に、実に図ったようなタイミングで釈放の通達がなされた。十三、四歳という年齢を考慮したとしても、十数人の人間に重軽傷を負わせたとしてはあまりにも短い拘置期間には勿論理由がある。そもそも真人に明確な保護処分は下されていなかったのだ。ラバムたちは誰一人として真人による暴行を認めなかった、いや、真人とは会ったこともないと言い張った。証拠は山ほどあったが、この国においては例え刑事事件であっても確かな被害者が存在しない限り逮捕出来ないという法律があった。だから当然、少年〝犯罪〟にもならない。だから真人は、捜査期間中の有力容疑者として拘置されていたに過ぎなかったのである。

「短い間でしたが、お世話になりました」

「楽な世話だったよ、他のキカンボウたちに比べるとね」

 真人はただ二ヶ月間世話になった看守と、英語での軽い挨拶を交わし、四人の警察官に四方を囲まれたまま、娑婆へと続く長い廊下を歩く。途中、彼はこの二ヶ月間のことを回想していた。地元警察の調べに対してラバムの誰もが『マサトなどという少年のことは知らない』と証言しただけではなく、『セセリなどという少女は知らない』とも答えたこと。当のセセリは、真人があの日警察署へ行く直前に行っていた事前の根回しが成功して、『国際児童保護機関』が紹介した〝信頼に足る家族〟に預けられることになったこと。

 そしてアメリカで自分の帰りを待つ母との電話の数々。父との面会。

 ――母さんには本当に迷惑かけちゃったな。今までもかけっぱなしだったけど。今回は度が過ぎてたかもしれない。殴られるのはいいけど、泣かれるのは嫌だな……。

 陰鬱な気分を抱えたまま教官たちに一礼し、真人は外への扉を開いた。

 一人の少女が彼を迎えた。

「お、お前」真人の思考が一時停止する。彼を出迎えた少女は、小奇麗な洋服を着て、男の子くらいに髪を短くしていたが、紛れもなくあの少女であった。あの少女とはつまり、セセリの救出を真人に懇願した少女。「なんで」真人がそれ以上を言葉にする前に、少女は無言で、手に持った物を彼に突き出した。「手紙?」封筒に入ったエアメール。宛先は『MASATO』。差出人は。「SESERI……」

 黙して語らず俯く少女を一瞥し、真人は封筒を破った。中に入った便箋には、すべて大文字ブロック体のアルファベットで、英語で書かれた文章が書かれていた。文法は拙く、綴りにも間違いが散見されるが、内容を把握することは可能な程度。意訳、日本語訳するとこうなる。

『マサトくん、お久しぶりです。セセリです。まずはごめんなさい。わたしが弱かったせいで、マサトくんにはとんでもない迷惑をおかけしてしまいました。いえ、迷惑なんていう言葉では済まされませんよね。本当にごめんなさい。実は、マサトくんが警察のお世話さんになっていることを知ったのも、つい先日なのです。わたしはそんなことも知らず、気にも留めず、ただ死んだような気分で過ごしていました。最初の内は後悔すらしていました。だけど、今は違います。わたしを引き取ってくれた家の人たちはみんな温かくて、優しくて、口一つ聞こうとしないわたしなんかのことを辛抱強く、諦めず、構い続けてくれました。特にニコル――その家族の一人息子さんで、わたしよりも二つ年下の男の子――は、いつもわたしの傍にいてくれました。今わたし、彼から〝お姉ちゃん〟なんて呼ばれています。正直言って、複雑な気持ちです。……とても、複雑な気持ちです。だけど、ニコルのお蔭でわたしも少しずつ生きる気力を取り戻してきて、ようやく学校にも通えるようになりました。未だにお兄さんやお母さん、それにお祖母さんや他の皆のことを思い出して不意に泣き出しそうになることもありますけれど、そしてきっとそれはいつまでも続くだろうけれど、あのまま〝女王〟になっていたことを考えれば……。自分では何も出来なかった、何もしなかった、遂には弟までも見捨ててしまったわたしが、何もかもを手に入れられるわけがないのだから、胸に突き刺さったまま残るこの痛みをこの先もずっと耐えていくぐらいのことは……。

 マサトくん、本当にありがとうございました。わたしが〝女王〟ではなく、〝お姉ちゃん〟になれたのは、あなたのお蔭です。そしてごめんなさい。わたしのせいで、あなたに不幸が降りかかりました。お詫びと恩返しを両方したいから、いつかきっとわたしが今暮らしている家を訪れてくださいね。ニコルも、新しいお母さんも、そしてお父さんも、みんな、マサトくんに会いたがっていますから』

 最後に住所と電話番号が書かれ、手紙は締め括られていた。

「聞きたいことは色々あるけど……なんだよ、これ」

「手紙だよ。セセリお姉ちゃんからの」

「見りゃ分かる」ようやっと口開いた少女に、真人はほとんど反射的に反抗的な返事をしてしまう。「あ、いや、ごめん。そういうことじゃなくて。なんでセセリちゃんから俺への手紙をお前が持ってたんだ? って話」

「なんで? って、あたしが預かってきたからだけど」

「だからそれがなんでだよ」

「あて先、よく見てよ」

「あ?」言われるがまま、真人は封筒に書かれた宛先を再度よく読み直す。住所は少年院ではなく。「これ、俺ん家じゃないか」真人の本来的な現住所――メイン州のものであった。「じゃあ、ますます意味が分からん。なんで俺の家に届いたもんをお前が持ってたんだよ」

「だってあたし今、マサトくんの家に住んでるから」

「ああ、そういうことか。じゃあ納得。いや出来ない出来ない! びっくりした! 何がどうなってそういうことになってんだよ!? 一から説明してくれ!」

「……実は、マサトがセセリお姉ちゃんを連れ出してくれた後、あたしもこっそり里を抜け出してたの。もうあそこにはいられないと思って」

「こっそりって……」唖然。「なんでそんな無茶するんだよ! 幾ら悪魔がもういなくなったからって、他にも獣やら毒虫だらけでただでさえ危ない森を、一人で抜けたってのか!?」

「うん」

「うん。じゃないだろ。あっさりか」

 呆れ返る真人をよそに、少女は微笑したまま説明を止めない。

「とにかく里を抜け出して、お巡りさんに保護してもらって、マサトくんのことを聞いたの。それで、ホントのことをお巡りさんたちに教えようとしたら、止められたの」

「止められた? 誰に?」

「マサトくんのお父さん」その名は真打真虎。国際武道警察官。「『今は止めておいてくれ。どの道、君一人の証言では今すぐ釈放なんて出来ない。捜査が確かに終わるまではな』って」

「親父の言いそうなことだな……。魂胆もだいたい分かる。で? お前の方はどうなった?」

「そのままマサトくんのお父さんに連れられて、今の家に」

「なるほど。経緯は分かった。凄まじくびっくりはしたけど、まあ分かった。じゃあちょっと話を戻すけど、なんでお前がこの手紙を持ってわざわざ来たんだ? こんなところまで」アメリカからこの国までは遠い。飛行機に乗っても半日かかる距離。「まさか一人で来たんじゃないだろうな?」

「まっさかあ」少女はけらけらと笑う。「ここまではマサトくんのお父さんに送ってもらったんだよ。それで、帰りはマサトくんに送ってもらいなさいって言われたの。飛行機のチケットは預かってるよ」

「なんつう人任せな親だ。じゃあ、手紙を届けてくれってお前に頼んだのも親父か?」

「ううん、それは違う。最初はマサトくんのお父さんが届けようとしてたんだけど、あたしが頼み込んで代わってもらったの。だって、セセリお姉ちゃんとのことを直接知ってるのってあたしだけだから」

「……気を遣ってくれたのか」

「そんな大したことじゃないよ」

 むず痒く、しかし暖かい感情がわき上がり、真人は目頭を熱くする。だが意地で涙を抑え込んで、次なる質問を投げかける。本当は、最初の聞きたかったこと。

「お前、この手紙、読んだのか?」

「ううん。だって開けなかったもん」

「じゃあ、セセリちゃんが今どうなってるか知ってるか?」

「うん。それは知ってる。今どうなってるか、というか、今までどうなってたか、も」

「そっか。まあ、そりゃそうか」真人は大きく溜息を吐き、空を見上げ、地を見下ろし、少女に向き直る。「なあ、俺とこのニコルって男の子、どっちがセセリを救ったことになるんだろうな? 俺は二ヶ月前、心がぼろぼろになったセセリを余所へ預けて、自分は少年院に籠ることにしたんだ。セセリを見捨てて、自分の心の整理を優先させたんだ。そういう意味では諦めたんだよ。あいつの心を治すことを」

「マサトくん……」

「俺は結局、力ずくでどうこう出来るようなことしか解決出来ないんだ。でもって、力ずくで根本から解決出来ることなんて、世の中にはほとんどないんだ」

 うっ血するほどに強く唇を噛みしめて。握り拳を振るわせて。真人は泣き言を言う。そこには悪魔を打倒した英雄としての姿はない。悲嘆と絶望に暮れる少年。憐みすら誘う。

「セセリお姉ちゃんが手紙でそんなこと書いてたの?」

「いんや。『ごめんなさい』とか、『ありがとう』とかばっかりだった」言いつつ、真人は手紙を少女に突き返す。「でも救ったのは俺じゃない! あの子を救ったのは俺じゃないんだ。俺は救えなかった。中途半端に手を出して、途中で放り投げただけだ」

 うな垂れ、悔恨する真人を置いて、少女は手紙を読み進める。やがて読み終わり、すっと手紙から目を上げて、真人を見つめ、口を開く。

「救ったとか救えなかったとかって、マサトくんが決めることじゃないんじゃないの?」

「え?」

 それはつまりどういうことなのかと。真人は顔を上げる。少女は続ける。

「だって、セセリお姉ちゃんはマサトくんに感謝してるんでしょ? 救ってくれってありがとうって言ってくれてるんでしょ? だったら、マサトくんはセセリお姉ちゃんを救えたんだよ。人助けはゲームじゃないんだから、自分の判断で勝手に目標を設定したりしないで。ミッション達成率が八十パーセントを切ったらアウト、とかさ」

「言いたいことは分かるけど……」

「あーっ、もう! うじうじと男らしくないなあ! バカな上になよなよしいんじゃあ救いようがないじゃない! そうだ、こうしよう!」

「どうしよう?」

「あたしを助けて、救ってよ。力ずくじゃなく、他の方法で」

「何だよ、急に」本当に唐突な展開に面食らい、真人は思わず目を見開く。と、何故か少女はもじもじとし始めた。「おい、何なんだよ? 何かまだ問題抱えてんのか? 言えよ」

「じゃあ、言うけど。あたしね、今はマサトくんのお家に居候させてもらってるの」

「それはさっき聞いた」

「うん、言ったよね。でもね、本当は、居候とかじゃなくて、本当の家族になりたいの。マサトくんのお母さんを、あたしもお母さんって呼びたい。マサトくんのお父さんを、あたしもお父さんって呼びたい。マサトくんを、兄ちゃんって呼びたい」それは、少女の切なる願い。強い想い。慕っていた少女を因習から救い出すために自らも行き場を失い、自分から両親兄弟と別離せざるを得なくなった少女の、淡い望み。「ねえ、だから、マサトくんから頼んでみてよ。お母さんとお父さんに。これって、力ずくじゃ出来ないことでしょ?」

「まあ、な」真人は戸惑いつつも頷く。

 ――まさか母さんを脅迫するわけにはいかないし、親父にはそもそも勝てそうにないし。

「じゃあ、お願い! ね? マサトくんが落ち込んだままだと、あたしだって辛いんだよ。だって、セセリお姉ちゃんを助けて欲しいってマサトくんに頼んだのはあたしなんだもん」

 少女の涙目。真人はそれで、

「分かった」陥落した。「これからお前は俺の家族だ。母さんと親父にも、意地でも『うん』って言わせる!」

「ほ、ホントに!? やったあ!」

 満面の笑みを浮かべ、少女は真人に抱きついた。彼女の年相応な姿を初めて見て、真人はあることに気付く。何故今まで気付かなかったのか不思議なこと。

「そう言えばお前、名前は何て言うんだ?」

「あたしの名前? ナミだよ! これからよろしくね、兄ちゃん! バカで脳みそビンボーな兄ちゃんでも我慢するからね!」

「お、おう。これからよろしくな、ナミ。……って、なんかお前、どさくさに紛れてとんでもない暴言吐かなかったか?」

「気のせい、気のせい!」

「なんだ気のせいか」

 そうして二人は歩き始めた。家路――帰路を。今の真人にはまだ、セセリを訪れる勇気はないだろう。ナミの言葉も慰め程度にしか感じ取れていない。『自分には、力ずくで救えるものしか救えない』という考え方が、覆ったわけでもない。だが、いつかはきっと、セセリに会いに行くだろう。その時が来るのも、そう遠くないのかもしれない。今や彼は、父や母や友人たちの他に、ナミという、人生における新たなる道標(シシンデラ)を得たのだから。

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