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シシンデラ  作者: 直弥
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パート5

 ――――後の明治維新へと繋がる倒幕運動。その中心にいたのは二十代から三十代の若者たちであった。大化の改新が起きた時、その首謀者である中大兄皇子は満年齢で二十歳にすらなっていなかった。フランス革命襲撃を直接的に促す切っ掛けとなった演説を行ったのは二十九歳の青年であった。なれば。十代前半の少年少女が一つの旧習、因習を壊そうとすることも、それほど驚くには値しないことなのかもしれない。


 森に再び夜の帳が下りていた。真人は緊張した面持ちでラバムの里へと歩を進めていた。ゆっくりと。慎重に。額には汗。生意気少女から聞かされた話を思い出しながら、彼は唇を噛みしめていた。


   ◇


「あたしたちラバムには、大昔から続いてる一つの決まりがあるの。『女王(マザー)』と呼ばれる一族がいて、その一族の女の子は、その……」口籠る少女。沈黙はそのまま十秒近くも続いた。しかしやがて、意を決した彼女は口を開く。「初潮を迎えた後すぐにあのテントに閉じ込められて、野菜と果物だけの食事で三日間過ごして身を清めてから、里中の男の人に……………」

「おい、まさか……」絶句。己の想像にまず驚愕し、そんな想像をすぐに思い描いてしまう自分自身に失望し、小さく頷く少女を見て愕然として。言葉を失いかける真人であったが、彼は必死の思いで言葉を紡いだ。「なんで、そんなことを」

「子孫を絶やさないため、だそうだよ。元々は。ラバムはだいたい百人で一コロニーを形成していて、コロニーごとに女王が一人いるっていう仕組みになってるの。女王になった子は、子どもを十二人産むまで解放されない」

「じゅ、十二人って」

 それがセセリの一族に課せられた役目。女王アリ。

「十二人の内、最初に生まれた女の子が王女になるの。この意味、分かるよね?」少女の問いに、真人は息を呑みながら頷いた。王女はいずれ、女王になる。「最初に生まれた女の子は王女として女王の娘となって、最初に生まれた男の子はその護衛を兼ねた兄弟として、同じように女王の息子になる。他の子どもたちの内九人は適当な家へ割り当てられて、……最後に生まれた子どもは、それまでの〝穢れ〟をすべて負わされて、マシオの川に流される」

「なんだよ、それ……。おかしいだろ!! 誰一人、何一ついいことなんてない、無茶苦茶な風習じゃんか! 許されない! 間違ってる! どうかしてんじゃないのか!?」

 強い憤りを覚え、気付けば真人は叫んでいた。感情に任せながらも、しかしラバムたちには聞こえない程度の声で。彼に呼応して、少女も力強く頷く。

「あたしだってそう思ってるよ。でも、結局あたしだけの力じゃどうしようもないから、こうして頼んでるの。本当は、みんなで外へ遊びに行った時にこっそり伝えて、そのままあなたにセセリお姉ちゃんを連れ去ってもらおうとも思ってたけれど、そうもいかなくなっちゃって……」

「そう、だったのか。それにしたって。お前以外の誰も、そんな風習に疑問を持ってないのかよ? 特にタテハさんとかアゲハさんとか、リッキーとか!」

「まったく持っていない、ってわけじゃないと思うよ。さすがに。兄さ……リッキーさんだって、いつもセセリお姉ちゃんのこと気にかけて、大切にしてたし。でも、結局は……」

「和とか空気を優先してるってことかよっ」ぎりぎりと。真人は強く歯と歯を噛み合わせている。「セセリは。あの子は、近い将来には自分がそうなる運命だって知った上で、あんな風に振舞ってたのか。ほんの昨日まで笑ってすらいたのにっ。……説得は無理なのかな? 長老さんたちとも話して」

「無理だよ」即答。「幾らマサトくんが悪魔を倒してくれた英雄でも、こればっかりは無理に決まってる。何百年、もしかしたら千年以上も続いている風習なんだよ? 今までだって何度も外の人たちが壊そうとして壊せなかったそうだから」

「っう。そうか」「じゃあ、もう強引にでもどうにかするしかないのか。でもそれにしたってどうすれば。まさか、正面切ってセセリを奪い去ろうってのか?」

「そこに関してはあたしに考えがあるよ。えっとね――」


   ◇


 ――本当に寝てる。

 再び里へ辿り着いた真人の目に映ったのは、セセリを隔離したテントの前で眠っている二人の番人であった。禍々しい武器を我が子のように抱いたまま眠る二人の青年。これが少女の考えだった。夜には必ず眠るというラバムの慣習は、斯様な時ですら例外とならない。

 ――そりゃあ、『女王』なんて風習を頑なに続けてるぐらいだもんな。

 ならばこれぐらいのことは当然かと。真人はどこか呆れ返りながら、眠る番二人を起こさないようにテントへと入っていった。月明かりも星明りもまともに届かないテントの中は、当然至極の真っ暗闇。かといって火を灯すわけにもいかない真人は自分の目が慣れるのを待った。常人離れした彼の目は、果たして二秒後にはもうそんな暗闇にも慣れ切っていた。そして映し出される光景。眠らず目も閉じず。真人を見つめるセセリ。

「セセリちゃん」

 小声でそう呼びかける真人に、

「マサトくん……?」同じく――しかし彼女の場合は恐らく意識的にではなく――小声で答えるセセリ。「どうして? とっくに帰ったんじゃ……?」

「全部聞いた。俺と逃げよう」

「……ダメですよ、そんなの。無理です」その声にはまったく覇気がない。あらゆるものを諦めた者の声。希望を廃棄した人間の声。「それに、これはわたしの役目なんです。生まれた時から決まっていたことであって、仕方が」

「ふざけんなよ」大声で叫びたいところをぐっと抑えて絞り出した真人の声は裏返っていて。だがそれ故にこそ真に迫っていた。「仕方ないとか、どうにもならないとか。そういうのは全部抜きにして考えてみろ。今ここで行動しなきゃ、これから先一体何年お前に地獄が待ってると思ってんだよ。お前が一人でどうにも出来ないことなら、俺がどうにかする!」

 そう言って。真人は手を差し伸べた。

「あ」短くはないが太い指。分厚くてがさがさな皮膚。爪の間には垢が挟まっていて。その上こびり付いた土が乾いて全体的に灰色となった真人の手に、小さくもしなやかな手を伸ばすセセリ。伸ばすだけで、触れはしない。「やっぱり、駄目ですよ……。女王の最後の子どもがどうなるか、知ってますか? 生きたままマシオの川に流されるんです。たった二週間前のことでした。わたしの弟が流されたのは。それなのに、わたしもう、今日には笑えるようになってたんですよ? 悪魔みたいでしょう……?」だから駄目だ、駄目だと言いながらも、彼女は手を伸ばしている。その事実が、真人の心を焚きつける。「きゃっ」

 不意に手を、というよりは指先を握られたセセリは、恐怖すら感じさせる表情で真人を見返した。

「お前のトラウマは分かったよ。でもな、そのために俺にまでトラウマ植えつける気か。それに」力ずくでセセリを立ち上がらせた真人は続ける。「お前を助けたいと思ってるのは、俺だけじゃない」

 真人の脳裏に、セセリの救出を懇願した女の子の涙が浮かぶ。今、真人がセセリを連れ出そうとしている一番の理由は、セセリのためか、自分のためか、女の子のためか。彼自身にも分からなくなっている。

 ……真人が表情を強張らせ、後ろ――テントの入口の方を振り向いた。

 二十人近いラバムの男たちが、全員各々の武器を持って立っていた。眠っていたはずの見張り二人や、悪魔討伐に参加したメンバーが先頭に立っており、その中心にいたのは――。

「リッキー、さん……っ」呻くような声で。真人はその名を呼んだ。この期に及んで敬称まで付けて。「それだけの人数で、よく気配を消してられましたね。全然気付かなった。油断してたわけでもないのに」

「獣狩りの基本だからな。気配を消すことに関しては、或いはお前よりも俺たちの方が上手(うわて)なのかもしれない。で。お前はセセ……『女王』をどうする気だ?」

「ここから連れて行きます」

「やっぱりな。万一を考えて浅く眠っていたのが、どうやら正解だったみたいだ。『女王』を連れて行く? ダメだ。それはならない。俺たち一族の沽券にかかわる。置いていけ」

「どうして」やり切れない思い。「こんなの、どう考えたっておかしいですよ! リッキーさんだけじゃない! 皆々狂ってる! 頭おかしいんじゃないか!?」

 声帯がすり切れんばかりの勢いで吐き出された声。激しい怒声でありながら、今にも泣き出しそうな語調。それはひどく子どもじみていた。五つや六つの子どもが癇癪を起しているのと何も変わらない。

「マ、マサトくん、もう、もう、いいから……わたしが悪かっ」

「お前は悪くない! 黙ってろ!」

「ひっ」

 真人の八つ当たりに、セセリはそれきり言葉を失う。対照的に、彼女の兄は口を開いた。

「残念だ。悪魔との闘いを通じて少しは分かり合えたと思っていたの」心底残念そうに。寂しそうに。嘆息を洩らしながら、リッキーは呟いた。「やはりお前も外の人間なんだな」

「……っ! 外とか中とか! そんなの関係ない!! 現に〝内側〟のセセリが嫌がってる。こんなのは間違ってるに決まってる!」

「〝間違ってる〟に〝決まってる〟か」リッキーは鼻で笑う。「そういう考え方こそが傲慢だと言っているんだ! 嫌なことでもしなくてはならないことなんて、今の文明社会にも溢れているじゃないか。しかも将来の役や他人の役になど到底なりそうもないことが!」たとえば学校の勉強。数学英語国語はともかくとして、理科や社会科など、人によっては卒業した後で一生使うことのない科目もある。と言うのは、勉強嫌いの子どもがよく使う、如何にも子どもじみたいいわけではあるが、しかしある意味真理でもある。一般教養という答えはあまりにも空虚。「しかし。考えてみれば、善と悪の概念もこうして生まれたのかもな」

「へ?」「え?」

 突然、話題が大きく転換したことに驚き、声を洩らしたのは、真人だけではなかった。自分を助けようとしてくれている他人が、その為に自分の兄と激しく喧嘩をしている。という状況に委縮して、言葉一つ発せず立ち尽くしていたセセリが、ここにきてようやく声を出した。それに気付いても、リッキーはただ自嘲気味に肩を竦めるのみ。

「もう止めよう。お前は『女王』を連れ出したい。俺たちは『女王』を残したい。それだけだろう? これ以上の言葉は意味がない。意味をなすのは力だけだ」

「そんな単純な問題じゃ……」

「これ以上は問答無用」

 リッキーが、槍を振るった。ラバムが、武器を振りかざした。


 果たして。満身創痍の男たちが累々と倒れていた。ある者の肘は捻じ曲がり、またある者の脚は折れ曲がり、更にある者は吐血し、そうでない者たちは裂傷し、或いは歯が抜け、骨が砕けていた。だが、彼ら全員に共通していたこともある。それは――殺意を体現したような憎悪に満ちた眼差しを、真人に向けていることであった。誰かが口にする「悪魔め」と。そう、倒れている男たちは皆ラバム。真人はただ返り血を浴びただけ。自身は一滴の血も流していなかった。最初から勝負にはならなかった。圧倒的な暴力の行使。本来、たった一人でも十二分にマシオの悪魔を抹殺することが出来た、これが真人の力であった。ただ彼には、十人以上の人間を相手に、誰も傷付けずに倒すというほどの技量が、まだ備わっていなかった。それ故の現状。

 真人は振り向いた。セセリの方へ。死人よりも生気を失い、口を覆い、

「わたしの、どうして、わたしが、こんな、わたしのせいで、なんで、こんなつもりじゃ」

 呟く、彼女の方へ。

「ちくしょう…………っ」心底の声をそのまま出して。真人はセセリの小さな身体を抱き上げた。お姫様抱っこ。抵抗の素振りも見せない彼女を抱えたまま走り出す。夜の森を。「ちくしょう、なんで、なんでこうなるんだよおっ!!」彼の脳裏には、昨日一日の記憶。ラバムと出会い、試合を以て認め合い、共に悪魔と戦い分かり合い、宴で笑い合った記憶。二十四時間にも満たない僅かな時であり、名前も知らない相手が殆どであっても、確かな絆が芽生え始めていたはずの。「だって、でも、どうすりゃよかったんだよ! 俺が馬鹿だったせいかよ、他に何か方法があったのかよ!!」

 それは誰に向けた、何の叫びなのか。恐らくは、自分自身への言い訳。

 ――――――――――――。


 薄明の中。電流が流れているわけでもない有刺鉄線。炯々と光る眼をぎょろつかせる大型犬たち。やたらと高いが材質は脆い塀。二十一世紀にあっては凡そ近代的とは言えない島の警察署前に、血まみれた少年が立っていた。更に彼の腕の中には死んだように眠る少女。当直の男と少年が英語でしたやり取りを日本語に訳すると、以下の通りになる。

『誰だ、君は?』

『アメリカ合衆国から来た、真打真人です。パスポートもありますし、武道家特殊入国許可状も持っています。後でお見せします。この子のことも、その、後で……。今はそんなことよりも、急いで医者を呼んでください。森の中で、大勢のラバムが負傷しています』

 真人の言に大いなる疑問を抱いた当直の男は、怪訝な顔で訊ねる。

『何故それを病院ではなく警察に? それに、君も怪我をしているんじゃないのか? 森の中で一体、何が起きたと言うんだ? 君は全部知っているのか?』

『はい、知っています』当然の答え。『俺がラバムを襲いました』

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