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シシンデラ  作者: 直弥
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パート2

 ラバムの集落に唯一在る広場、闘技場にて。刃や石の代わりに粘土を先端に付けた鍛練用の槍――全体の長さは二メートルを超し、柄の太さは人間の脚ほどもある――を、片手で軽々と振り回す、筋骨隆々とした青年。褐色の上半身を晒し、腰蓑だけを身につけた彼の名は『リッキー』。背丈は一八〇センチ余り。歳は二十歳そこそこ。そんな彼と対峙しているのは、同じく腰蓑姿の真人。二人とも裸足で、身体のそこここに傷痕がある。

 悪魔に挑む前に実力を見せて欲しい。という長老の申し出に快く答えた真人は、六傑と謳われるラバムの戦士たちと。一対一の勝ち抜き戦を行うことになった。五人目までをなんなく勝ち抜いた彼は今、六傑最後の一人、ラバム最強の戦士と向かい合っていた。

「行けえ、リッキー! ラバムの意地を見せてやれ!」

「頑張れマサト! ここまで来たら全勝しちまえ!」

 歓声は半々といったところ。集落中のラバムたちが見守る中、

「GO!」

 長老の掛け声で、闘いは始まった。

 手にした槍を振りかざしたリッキーが跳びはねる。砂利を払って砂地となっている闘技場の地面は突っかかりがまるでなく、裸足ではむしろ高く跳躍するのが難しいはずなのだが、彼は助走もなくたっぷり垂直三にメートルは飛び跳ねた。そこから落下の勢いを付けつつ、さながら槌を振るうが如くして、槍の先を真人目掛けて振り下ろす。

 しかし。真人も黙って突っ立ったままではない。リッキーから少し遅れて、やや前傾に跳んだ真人は、自分目掛けて振り下ろされた得物の柄の部分を右手で掴み、ぐいと自分の方に引き寄せた。

「るあっ!」

「Wow!」尋常ならざる腕力をもって引っ張られたリッキーは、それでも決して槍から手を離さない。結果。身体ごと、真人の方へ引き込まれる。「ッ!」眼前に真人の肘。避ける暇などなく、リッキーの顔面に真人の肘鉄が入る。「グォ」

 目の前が真っ暗になると同時に、腕に入れていた力を一瞬失ったリッキー。当然。その一瞬のせいで、槍は彼の手を離れた。小さく呻いたリッキーは、鼻を押さえながら、背中から地へ落ちていく。どすりと。

 リッキーの落下からコンマ六秒後に着地した真人の手には、奪った得物が掴まれていたが、彼はそれを惜しむこともなく、仰向けに倒れるリッキーの傍らへ放り投げた。

「グヌッ!」

 左手を鼻に添えたまま右手で槍を掴み、戦士が立ち上がる。立ち上がると同時に槍を投げつける。無論、先と同じ結果を生まぬための行動。決して投げ槍ではない。

 だが。理屈云々を抜きにしてもあまりにも分かり易いそのパターンは、当然のように真人に先読みされていた。上半身と地面が平行になるほどの前傾姿勢となった真人は、爬虫類じみた格好で地を蹴り、駆け出していた――リッキーが槍を投げるよりも前に。見る間にリッキーと真人の距離は縮まる。途中、己の頭上擦れ擦れを通過していく槍を気にも留めず走り続けた真人は、そのままリッキーの懐に入り込んだ。

「ちぇあっ!」

「ドウッ!」

 振り上げられた真人の拳を鳩尾に受けたリッキーは、刹那の嘔吐感を覚える。が。現実として吐瀉物を撒き散らすことはなく、ただ口をぽかんと開いたまま、横向きに倒れた。

 一瞬間、しんと静まり返る闘技場。誰もが言葉を失う中、長老が宣言した。

「勝者、マサト!」

 大歓声が沸き上がった。

 真人の勝利を称えるというよりは、ただただ彼の強さに驚愕した人々による、特に意味のない大声。普段は釣りにも魚にもまったく興味を示さない人間が、釣り上げられたカジキマグロを見て、その大きさに「スゲー!」と叫ぶ時のあの感情に等しい声ではあったが、それでも悪い気はしない真人が照れ臭そうに頭を掻いていると、

「兄さん!」群衆から一人の少女が飛び出した。背丈は一四〇センチほどか。顔つきから、十歳か十一歳程度と思われる彼女は、倒れ伏すリッキーに駆け寄る。膝をつき、彼の肩を二、三と揺すった後、真人を見上げる。「ひどいです、やりすぎじゃないんですか!?」

 毅然としているのは言葉だけ。声は震え、目は怯えている。

「いや、その、えっと……ごめん」

 少女に咎められ。大いに罰の悪さを感じ取った真人が力なく頭を下げると、

「よすんだ、セセリ。オレは試合をして負けただけだ」いつの間にか意識を取り戻していたリッキーが、少女を窘めた。上体を起こしながら、彼は言葉を紡ぐ。「お前も謝るな、マサト。これではオレがあまりにも惨めではないか」言って。リッキーは立ち上がる。立ち上がった瞬間に軽くよろめいた足腰をセセリに支えられた彼は、彼女の頭を左手で優しく撫でながら微笑んでから、右手を前に差し出した。「さあ、握手しよう」

「ああ」

 同じく右手を差し出した真人が、リッキーと固く握手を交わす。

 握手を交わしながら、会話も交わされる。

「完敗だ。ここまで完全にやられてしまってはいっそ清々しい。お前、本当に人間か?」

「人間ですよ。一応。最近、ちょっと怪しくなってきたけど」


『悪魔が現れるのは夕方以降だ。今から行っても早過ぎる。とにかく、昼食だけでも食べてからにしなさい』

 というわけで。試合後。真人は、あるテントに招待されていた。赤と薄茶色のストライプというそのテントに住むのは、リッキー、セセリ、彼ら兄妹の母タテハ、その更に母――つまりはリッキーとセセリにとって祖母に当たる――アゲハ、という四人。

 但し。今現在ここにいるのは、真人と、一人の女性のみであった。

「マサトだっけ? あなたの名前」訊ねたのは、リッキーたちの母だという女性タテハ。見目三十代半ばにしか見えない彼女は、流暢な日本語を話す。「日本人なのよね。マシオの悪魔を退治するために、遥々ここまでやって来たというの?」

「悪魔退治に来たのは確かですけど、俺は日本から来たってわけじゃないですよ。今住んでいるのは合衆国アメリカのメイン州っていうところですから。生まれと育ちは日本ですけどね」

「どういうこと?」

「話せば長いようでそんなに長くもないんですけれど、真打家の男児には過儀礼みたいなものがあるんです。とんでもない場所に一人置き去りにされて、そこから家まで自力で帰る、っていう。俺の場合、自力で家に帰れるようになった後もそのまま旅を続けていたんですけど、今から二年前、ちょうどアメリカにいた時、日本から連絡が来たんです。『小学校に関してはこの際免除するが、せめて中等教育だけは修了しろ』って」

「なるほど。それでそのまま、アメリカの学校に入学か転入かしたというわけね。で、今もまだ通い続けている、と」

「そういうことです」

「でも、どうしてアメリカで? 日本に帰って日本の学校に通ってもよかったのに」

「それは……あっちの学校の方が、夏休み長かったし」

「なんて子どもらしい発想」真人の素直な言い分に、タテハは呆れつつも、どこか感心してしまう。「じゃあ、学校を卒業したらどうするの? そのままアメリカに住み続けるの? 日本に帰るの? それとも、また旅に出るの?」

「ううん、まだちゃんと考えてません。そもそも、いつまで学校へ通うかってことも」

「行き当たりばったりな人生ねえ。親御さんからは何も言われないの?」

「親父……父さんは『真打家の男児は満六歳で成人。そこからの人生はお前だけのもの』とかなんとか無茶苦茶言うぐらいですから、特になんとも思っていないみたいです。今や父さんも世界中飛び回ってますしね。もっとも。あっちは仕事で、ですけど」

「父さん、お父さんねえ……」不意に。タテハの表情が陰る。だが。鈍感なる真人はそのことにまるで気付かない。気付かないままに、タテハの表情は元に戻った。「……お母さんは?」

「今はメイン州でベビー・シッターをしてます」

「え? ということはもしかして?」

「はい。今は、俺と一緒に暮らしてるんです。と言っても、二人暮らしってわけじゃなくて、父さんの同僚の家族の家に、親子で居候をさせてもらう形で」

「なんだか複雑なのね。私には、とても外の生活についていけそうにないわ」

 言って。タテハはくらくらと目眩を覚えたような仕草をする。

 一生を一ヶ所で過ごし、〝外〟へ出るのは売り出しと買い出し時のみ。来客をもてなしはするが、交易レベルの外交はしないラバム。彼氏彼女らにとってみれば、森の外にある文明世界は、異星人の社会のようなものであった。タテハとて、『学校』や『会社』というものについて知ってはいる。実物を目の当たりにしたことも一度や二度ではない。それでも。自分たちとは直接かかわりのないものとして考えているから、理解をしているわけではないのである。

 知ってはいるが、理解はしていない。

「とにかく、色々大変ってことね。それにしても。世界中を飛び回って仕事をしているというぐらいのお父さんがいるんだから、お家にお金の余裕はあるのね。アメリカからこんなところまで来られるぐらいだから」

「? いや、ここへ来るまでにかかった旅費と言えば、通訳を一日雇った分ぐらいですよ?」

「え? だって、飛行機とか船とかに乗ると、すっごくたくさんのお金がかかるんじゃ……」

「いや、だって、飛行機も船も一切使ってませんから」

「いやいや、だってだって、少なくとも海は渡らないと行けないじゃない? アメリカ化からここへ来るには。船も飛行機もなしにどうやって渡ったって言うのよ」

「クロールと平泳ぎで」


 タテハと入れ替わりにアゲハ、リッキー、セセリがやって来くると、真人は、タテハに話したことと同じ内容を繰り返し彼らに語った。六十キロの荷物を背負ったまま太平洋を泳いだことも。チュクチ海やベーリング海を渡った方が距離は遥かに少なく済んだはずだったのに、諸々の許可が下りなかったために断念せざるを得なかったことも。

「もっとも。もし許可が下りていても、凍死していたかもしれませんけどね。さすがに」

 冗談めかして語られる事実を、リッキーたちはただただ唖然としたまま聞いていた。語り手が真人でなければ、飛んだホラ話だと、誰もが一笑に付していたに違いないトンデモ話。だが彼ら、特にリッキーは、身を以って真人の常識外れな強さを味わっているために、そのトンデモ話を信じざるを得なかった。

「冗談じゃないぜ。武道家ってのは、どいつもこいつもお前みたいにぶっ飛んでるのか?」

「まさか。俺なんてまだまだ未熟もいいところですよ。武道家であることを職業にしてる、いわばプロフェッショナルと闘えば、一瞬でボロカスにされる程度です」

「そんなお前に一瞬でボロボロカスカスにされた俺の立場はどうなる?」

「っ、すんません、そういうつもりじゃあ……」

 過ぎた謙遜が他人を傷付ける。今までにもう何度もしてきた失敗をまた繰り返してしまったことに気付いた真人がしどろもどろになっていると、

「Be cool, Lichyi. 子ども相手に大人げないよ」アゲハからの助け船が入った。見目五十歳、或いは四十代後半といったところか。リッキーやセセリの祖母という割にはやたら若々しい容姿の彼女は、ラバムで唯一、脚を完全に覆い隠せるほどに長いフレアスカートを穿いている。そんな彼女が、どこかたどたどしい発音の日本語で語る。「それに。彼の話を聞く限り、アンタとMsasatoは、似ているようで実はまるっきり違う分野の人間みたいじゃないか。武器を作り扱うことに関してはアンタの方がよっぽど上手だろうさ。専門の違いだよ。さて。話しも一区切 りついたことだし、ワタシはTatehaを手伝いに行ってくるからね」

 そう言って。アゲハはゆっくりと腰を上げようとするが、左足の膝を伸ばすと同時にふらついた。すかさず立ち上がったリッキーは彼女の傍に駆け寄り、腰に手を回して支えた。半ばリッキーに身体を預ける状態で、アゲハはようやくしっかりと立ち上がった。

「お祖母ちゃん、大丈夫?」

 不安げな面持ちで訊ねるセセリに、

「ああ、大丈夫だよ。ありがとうね」アゲハは微笑んで答える。「Lichyiも、悪いね。まったくもってざまあないよ、ワタシゃ。お荷物ってヤツだね」

「馬鹿なこと言うなよ、ばっちゃん。さあ、行こう。真人、悪いんだけど、飯が出来るまでの間、セセリのこと頼む」

「ふへっ? お、おう、任せてくれ」

 上擦った声で答えた真人を置いて、リッキーとアゲハはテントを後にした。

「……………………」「……………………」

「んん………………」「……………………」

「あのさ」

「はいさ!」

「(はいさ! って)セセリちゃんはいつも何してるんだ?」

 沈黙に耐えかねた余り、親戚の子にするような質問をぶつける真人。

「わっ、わたしはっ、いつもは、遠出する大人たちの道案内をしています」

「へえ、まだ小さいのにそんな大役を……ん? え? もしかして。セセリちゃん、シシンデラってやつなのか?」

「はい。ついこの前、『見習い』から『真打ち』になったところですけど。そうそう! マサトくんをマシオ川に案内する役目も仰せつかりました」

「ふう、ん!? ちょい待ってくれ! 君が俺をマシオ川に案内するだって? そりゃちょっと危ないんじゃないか? だって、その、女の子なのに……」

 女の子なのに。という言葉に、セセリはやや立腹した様子でむっとする。だがすぐに柔和な表情を取り戻した彼女は、どこか得意げな調子で真人に告げる。

「そんなこと言ったって、三人しかないシシンデラは皆女性ですよ」

「そうなのか?」

「そうなのです。勿論、三人の中ではわたしが一番の若輩ですけれど。でも、マシオ川までの案内ぐらいなら任せてください。道のりはすっかり頭の中に入っちゃってますから」

 そう言って。膨らみかけの胸を叩くセセリ。エッヘン、とでも言いたげな態度。

「威張るほど胸はないな」

「そこで威張ったわけじゃないですよ!」

「ジョークだよ、ジョーク。アメリカンジョーク。それはともかくとして。俺が聞きたかった『いつも何してるんだ』っていうのは、『いつもは何して遊んでるんだ』ってことだよ」

「遊び、ですか。今も昔も、遊んだ記憶なんてないです」

「遊んだ記憶がないって? どうして。そりゃ、ファミコンとかカラオケとか映画みたいな娯楽はないかもしれないけど、これだけ自然が豊かなら、何かは」

 そこまで口に出してから、真人ははっとする。自然が豊かなら遊びも豊かだと言うのは、十分に人工物の恩恵を受けているからこそ言える戯言なのではないか、と。ましてやラバムにはセセリと同年代の子どもが殆どいない。

 ――それに。

 セセリはシシンデラ。十二、三歳でシシンデラ――つまり道案内役として正式に認められるほどなのだから、今よりもっと幼い頃からずっと、シシンデラとしての教育を受けていたことは想像に難くない。だだっ広い森の地理を把握して人を案内出来るようになるまでに成ることは、容易じゃない。

「悪魔退治が終わったら」真人が切り出す。ぽつりと。「皆で外へ遊びに行こうか」

「え、ええ?」団栗眼を更にまん丸くさせて。幼きシシンデラの少女は真人を見つめ直す。「皆でって、ど、どの『皆で』ですか?」

「皆って言ったら皆だ。『この里の皆で』だよ。遊ぶ時は歳も性別も国籍も関係なく、とにかく大勢で遊んだ方が面白い。らしい」

「らしい、って。こ、この里だけでもラバムは七十人ぐらいいるんですけど……。そんなにいっぱい引き連れて〝外〟で遊ぼうとなんかしたら、一体どれだけのお金かかることか。マサトくん、ホントはやっぱりお金持ちなんですか? 百人千人連れて豪遊出来るほどのお金は持ってるとか?」

「……この里の子どもだけに限定しようか」

 計画性皆無故に電光石火で前言撤回する真人。そんな様であるから。彼は、森へ入る前にガイドからされた忠告など、とっくに忘れてしまっていた。


 火を通してなお生臭さの多分に残る、しかしそれ故にまさしく命を食しているという感慨を与える獣肉をメインとした昼食をご馳走になった後。テントの外へ出て、腹ごなしに軽い運動をしていた真人の元にリッキーが現れた。彼の背方にはセセリ。

「そろそろ腹も落ち着いて来た頃か? 悪かったなあ、もう少しお前に配慮した飯にするべきだったかもしれない。外の人間にあの脂身はきつかっただろう?」

「確かに。美味しかったんですけど、昼からあれはちょっと……。でも、もう大丈夫。そんなにやわな胃袋はしてませんから」

「だろうな。じゃ、来いよ。いよいよ出発の時間だ」

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