屋根の上で、賢者は語る
ずいぶん長い間お待たせしました。およそ五か月弱ぶりの更新となります、暇 隣人です。
いただいたお題はあとがきに記載してます。推理してみるのも面白いかもしれんです。
ただ、予想が外れて「理不尽だ!」と言われましても「ごめんなさい、僕もまさかこうなるなんて……」としか言えないので(爆)、まあほどほどにどうぞ。
それではお楽しみください。↓
なあ。
君はこんなこと、知ってるかい。
あの月は、ぼくらを見下ろしてるのだぜ。
あんなに高い高い空の上から、優雅に清閑に、淡々とぼくらを見下ろしているのだぜ。
誰も届きやしない雲の上から、熱情と高揚と、狂気をぼくらに与え続けているのだぜ。
人間って、ちっぽけだよなあ。
ほんの少しだけでいい。月がちょっと動けば、きっと人間は滅んじゃうのだぜ。
さびしいよなぁ。
君もそうは思わんかい。
どうなんだい。
部屋の窓から見る月は、綺麗かい。
コンパスで描いたみたいに、真ん丸で滲んではいないのかい。
そりゃ結構。
ぼくもそっから見てりゃあよかったな。
ぼくの小さい眼ん玉じゃあ、こんなに滲んで、荒んで、全然見えやしねえや。
こいつぁ誤算。
そりゃ結構。
なあ。
君はそこから出ないのかい。
いつもいつも、そんな清潔で整った部屋の中にいて、退屈はしないのかい。
文明ってもんはさ、退屈をどれぐらい潤してくれるんだい。
きっと、驚くほど鮮明に、現実のような幻想を見せてくれるのだろうな。
淋しくはないかい。
それとも、寂しいのかい。
ぼくには、たぶん一生、わかんねえな。
暗いところは苦手なのだぜ。
いつかきっと、闇はぼくらを襲ってくるのだぜ。
月が操っているんだ。
あの月はきっと、世界中の闇をみんなみんな操っているのさ。
そしていつか、じゅくじゅく煮込まれた闇のスープで、ぼくらを一気に溶かす気なのだぜ。
難儀だなぁ。
気づかずに死ぬなんてのは、綺麗かい。
月だって、きっとそう思ってるのだろうな。
だからぼくらを、狂気で染めようとするのだぜ。
狂気ってのは、無恥で無知なのだからな。
気づかないうちに、ぼくらは終わっているのだぜ。
淋しいかい。
それとも、寂しいかい。
ぼくは悲しいね。
月だって、涙を流しているんだ。
あの黒いシミから、ぽろぽろと涙を流しているんだ。
優しいねぇ。
寂しいねぇ。
どっちだって構わんの、だがね。
なあ。
君は死にたいなんて思ったこと、あるかい。
それはきっと、月のせいだぜ。
あの月は、謀らずして手に入れた闇たちを使って、君の喉元をしっかりと狙っているのだぜ。
君の手がいつの日か、喉をぐっと、握りつぶしてしまうことを期待しているのだぜ。
全部、月のせいだ。
黄色くて静かな、あの真ん丸の月のせいさ。
窓越しに見ても、わかるかい。
あいつはぼくらを見下ろしてるのだぜ。
ルナティックス、なんて歪んで笑うのだぜ。
かっこよくねぇなぁ。
正々堂々も、何もあったもんじゃない。
あいつは狡猾なのだぜ。
誰も、あいつを止められやしないのだぜ。
だから、君のせいじゃない。
君のせいじゃないのさ。
なあ。
気づかずに死にたいかい。
それとも、気づかれずに死にたいのかい。
どっちだっていいけれどもね。
君は月に殺されたいと思うかい。
思わないだろうね。
抗いたくもなろうね。
でもきっと、そんなのは無駄なのだぜ。
月は昨日のぼくらを貪っているのだ。
屠って詰って弄って喰って罵っているのだ。
実験台だぜ。
過去のぼくらはもう、どこにもいないのだぜ。
君はどうして、月が大きくなるのか知ってるかい。
それはね、過去のぼくらを食べているからなのだぜ。
ほんの少しだけ、太陽のカーテンから顔を出したが最後、昔のぼくらは止まったまま食べられてしまうのさ。
そして満腹になって、あんなにも真ん丸になるのさ。
そしてまた、闇にその影を埋めていくのさ。
怖いかい。
ぼくだって、恐いね。
破り捨ててしまいたいさ。
でもやっぱり、無駄なのだぜ。
過去の無力なぼくらが、今までずっとそうだったように。
ぼくらもまた、あの月のシミの中に、抗うすべもなく吸いとられていっちまうのだぜ。
淋しいかい。
ぼくは寂しいね。
そんなもんなのさ。
綺麗だろう、月。
窓、開けたらどうだい。
ここはそこより、涼しいぜ。
なあ。
いいかげん、その部屋を出ないかい。
怖いものは、もうどこにもないぜ。
ぜんぶぜんぶ、月が吸いとっていっちまったのだぜ。
だからもう、どこにもないぜ。
それはそれで、淋しいかい。
それはそれで、淋しいよなぁ。
でもきっと、月はまだぼくらを殺さずに居てくれるぜ。
仮初の光だろうと、きっとぼくらを照らし続けてくれるのだぜ。
あの光は、昔のぼくらなのさ。
どうだい、そこから見えるかい。
ここからなら、そんな場所よりも、ずっとずっと、滲んで見えるのだぜ。
窓ごしじゃあ、あまりにも悲しくないかい。
鮮明でさ。
滑稽でさ。
見なきゃいいものだって、やっぱりあるんだぜ。
見なきゃいけないものは、ぜんぶぜんぶ月が吸いとってくれたのだぜ。
だから、そこから出ないかい。
赤いカーテンを開けて、
固く錆びた鍵を解いて、
張りついた桟を掴んで、
窓を開けてみないかい。
そこからはきっと、いい眺めなのだろうな。
うらやましいぜ。
月はまだ、君を見下ろしてくれているのだ。
寂しいかい。
寂しいよなあ。
だったら早く、そこから出ようぜ。
君を縛っているものは、闇でも月でもないのさ。
それはまぎれもなく、光そのものなのだぜ。
ぜんぶぜんぶ、月が吸いとってくれるさ。
あの黒いシミの中で、涙と一緒に洗ってくれるさ。
そうしてまた、ぼくらのもとへ、帰るのさ。
ルナティックス。
狂気なんて、所詮は記号なのさ。
扉の開け方、忘れたかい。
押すんじゃなくて、引くのだぜ。
卒業、おめでとう。
君はもう、昨日の君には、戻れないのだぜ。
ぜんぶぜんぶ、暖かくもない光と一緒に、月が吸いとってくれるのだろうさ。
淋しいかい。
おや、寂しいのかい。
こいつぁ誤算。
そりゃ結構。
お題は「卒業」。
ありがとうございました。