第一幕
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第八回アイリス異世界ファンタジー大賞に参加します。
身体が熱い。そして息苦しい。
ぼんやりとした意識の中、見覚えのある景色が頭の中に浮かんでくる。この世界ではない別の世界。
立ち並ぶ高層ビル。そして、アパートの一室に帰る黒髪の女性。玄関の扉を開けて、明かりをつける。そして、アロマポットにオイルを垂らす。しばらくするとフローラルな香りがふわっと漂う。
苦しんでいる今、そんな記憶にある香りのおかげで、少し身体の力が抜けた。黒髪の女性は鼻歌を歌いながら、暖かみのあるカーテンを閉めて食事を摂っている。映像の中に浮かんでいる時計からすると夕食であろう。
突然シーンが変わった。
朝、雨の中を出かけていく黒髪の女性。
そして、その黒髪女性は激しく雨の降る中、車に轢かれた。視界が悪くて車側から見えなかったのであろう。その黒髪女性の無残な姿を見て、私は叫び声をあげた。
「わああああ!」
上体を起こすとベッドの上。黒髪の女性の部屋とは違う。だが、確信が持てる。
『あの黒髪女性は私の前世』だわ!
「これが異世界転生……?」
そこで自分の現在の状況を思い出す。
両親と兄が二人いて、私の名は『メアリー・グリスト』。私は高熱を出して倒れ、ベッドに運ばれた。高熱にうなされていたことを思い出し、額に手をあててみる。熱は下がったようね。
突然、部屋の扉がバンと音を立てて開く。
「メアリー! どうしたの!?」
ランタンを持った母親のケイト。隣には父親のリチャードも心配そうな表情をしている。二人と一緒にメイドも一人ついて来ている。
心配している両親を落ち着かせるために答える。
「いえ、怖い夢を見ただけです。お母様」
「まだ具合が悪いの? いつも無言で感情の無い貴女が怖がるなんて」
母親は驚きながら、手を私の額と自分の額に当てて比べている。なんか失礼なことを言われた気がするのは気のせいか?
「熱は下がったようね。でも、安静にしてなきゃだめよ?」
彼女はそう言うと上体を起こしていた私を再びベッドに寝かせ、シーツをかけた。
両親とメイドが去った後。懐かしく感じる鼻歌を口ずさんでいたら、それが子守唄になったのか眠気に襲われた。
翌朝。
目が覚めると、カーテンの隙間から日が差し込んでいる。
ベッドから起き上がり、カーテンを片方ずつ開く。室内が明るさを増し、その分、カーテンの赤色が目についた。
(前世に比べると、カーテンの赤が目にきついな……色濃すぎ!)
夢のことを思い出し、トコトコとドレッサーの前に座り込む。
(夢の黒髪だった頃の私とは全然違うな。あの頃は確か……二十七歳。今は綺麗な金髪でふんわりとして愛らしい十五歳の少女)
くりくりおめめで、瞳がサファイアのように輝いている。髪は家族とは似つかぬ、プラチナブロンドのふさふさロング。大人になりつつありながら、幼さ残る顔つき。
顔の角度を変えて前世の自分と見比べていると、ドアをノックする音がした。
「は~い」
返事をすると「失礼します」とメイドさんが部屋の中に入ってきた。私の着替えをするためである。今までは前世の記憶がなかったが、自分で着替えるのが当然だった記憶を取り戻すと、人に着替えさせてもらうのがなんとなく恥ずかしいわ。
「アン、今日から自分で着替えるからいいわ」
アンはパチパチと瞬きをして驚いている。
「ど、どうしました、メアリーお嬢様? お話になられているし、明るくなりましたね?」
昨日の体調不良もあったせいだろう。私に何かあったのかと心配そうにしている。私はアンを落ち着けるためにそれらしいことを口にする。
「私ももう十五歳ですから、立派な貴族令嬢になりたいのです」
「は、はあ……そうですか。では、お着替えが終わりましたらダイニングにお越し下さい。朝食の準備をしておりますので」
「わかったわ」
アンの背中が扉の向こうに消えてゆくのを見届け、私は夢のことを思い浮かべながら、寝間着からドレスに着替えをする。
(前世の記憶。セラピーを使えば、心に傷を負ったローレンスお兄様も良くなるだろうか……?)
それにしても家族やメイドの驚きは当然のことだろうね。前世の記憶が戻る前の私は、見た目も相まってまるでお人形のようだったからね。しゃべらず感情も出していなかったからな~。昔のことを思い浮かべる。あれはローレンスお兄様が戦争から帰ってきたときだろうか……ローレンスお兄様は戦争の悲劇を目の当たりにしたのか心を閉ざし、抜け殻のようになってしまった。その時に、私、メアリー・グリストも大事な兄を失った気持ちになり、一緒に心が壊れてしまったのだと。ローレンスお兄様を慕っていたことを思い出すと、前世の記憶故に兄としてではなく異性と見てしまいポッと顔が赤くなりそうだ。
ドレスに着替えた後、ブラシで髪を梳かしてからダイニングに向かった。
テーブルには既に両親と次男のマークお兄様が席についている。だが、ローレンスお兄様の姿はない。
ローレンスお兄様は部屋から出ることがほとんどない。食事を摂ることも少ない。
「おはよう、メアリー。身体の具合はもう大丈夫かい?」
「おはようございます。マークお兄様。ええ、もうすっかり良くなりました」
「え? メアリーがしゃべった!?」
「おはようございます。お父様、お母様」
「お、おはよう……」
「昨日の高熱のせいかしら……でも、以前よりも元気になってくれて嬉しいわ」
お母様の言葉にお父様も頷いている。
まあそれはそうよね。無口な根暗な子よりも元気な子の方が健康的でいいわよね。
自分の席につくと空いているローレンスお兄様の席に視線を向ける。
(セラピーをするとしたら、どれからやるべきか? いや、セラピー以前にお腹が空いていたら思考もネガティブになってしまう。まずはご飯を食べて貰える方法を考えなきゃ!)
料理が運ばれてくるまで、マークお兄様は隣の席から穏やかな目をして、私の頭を優しく撫でてくる。ちょっと照れ臭い。
「メアリーの感情が戻ってくる日が来るなんて嬉しいよ。複雑な心境だけど、メアリーが高熱を出して寝たことには感謝だな」
「マークお兄様。もう子供じゃないのですから、そんなに甘やかさないで下さい」
ぺしっと手を払いのける。言ったことは本音ではない。いや、子供じゃないと言うことは本音だけど、頭を撫でられるのは嫌ではなかったよ? ただ、幼さが残りながらもイケメンであるマークお兄様にべたべたされると、違う意味で感情がおかしくなりそうだからである。現に胸が高鳴ってしまっている。
メイドさんたちがテーブルの上に用意した食事をフォークとナイフを身構え食べる。どれも西洋風である。食べながら考える。
(西洋風だと手軽に食べれるイメージがないな。和食だと丼とかかな? カツ丼……は、揚げ物という概念がこの世界にはなさそうだしな。簡単にできそうなのは鉄火丼とか親子丼かな? いや待てよ? お醤油ってこの世界にあったっけ? 親子丼だと出汁もか?)
ローレンスお兄様が美味しそうに食べる姿を想像して、やる気が湧いてきたわ。
食事を終えると「ちょっと出かけてきますね」とだけ伝えた。
それを聞いたマークお兄様は「一人で大丈夫? 一緒について行こうか?」と言ってくれるのだが、前世の記憶を取り戻した今としては、シスコンぷりがちょっと重い。
丁重にお断りをして、一人で街中を散策がてら出かけた。
朝市に顔を出してみることにした。華やかなドレスを纏った貴族令嬢が訪れるには場違いで視線が痛いが気にしたら負け。記憶を取り戻した私としては緊急を要する。目標ができたのだから、その目標を達成するためにやらねばならないわ!
私が露店を見て歩くと、市民は私を避けていく。貴族令嬢に無礼を働いたら大変なことになるからであろうね。だが、前世の記憶を取り戻した私はもはや庶民と言っても過言ではない。ちょっとごめんなさいね。見せかけ貴族令嬢が通りますよっと。
庶民らしく手当たり次第に露店でどんな物を売っているかを見て回った。
その結果。卵に鶏肉、玉ねぎとお米は見つかった。まあ、両親やシェフに言えば用意して貰えるかもしれないけれども、前世の記憶と自分の持つ知識をリンクさせておきたい。
だが、肝心の醤油と出汁が見当たらない。頭を悩ませていると、花売りの少女が声をかけてきた。
「貴族様、お花を買ってくれませんか?」
その花を見て閃く。食事も大事だがローレンスお兄様の部屋に花瓶を置いて花を飾れば少しは良いような気がする。そうしよう!
「ええ、そのお花、数本売って下さい」
白いマーガレットを買った。屋敷に戻って花瓶があるか分からないので、露店でガラス製の花瓶も買って帰った。
白いマーガレットを花瓶に活けてローレンスお兄様の部屋へと向かう。手にした花瓶に見つめながら考える。
(前世なら病院も白い雰囲気だから、少しは心が落ち着くかもしれない)
期待に胸を膨らませながら、ローレンスお兄様の部屋のドアをノックする。返事はないが「ローレンスお兄様、失礼します」と言い、室内に入らせてもらいます。
室内は日中であるにも暗い。カーテンの隙間から日は差し込んでいるが、私まで気分が重くなりそうである。これはいかん!
ローチェストの上にマーガレットを活けた花瓶を置いて、カーテンを開く。
陽の光はローレンスお兄様の所までは届かないが、明るさとしては丁度よいであろう。いつも暗い部屋にいたのだから、久しぶりの日光は眩しかろう。
ベッドの横に腰を掛け、ローレンスお兄様の顔を覗き込む。
目を閉じているが、まぶたがぴくぴくと動いている。部屋が明るくなったせいであろう。目の下には隈ができていて、ベッドに横になっていても熟睡できていないのが窺い知れる。以前の精悍な顔つきは見る影もなく、頬は痩せ細っている。
幼い頃はローレンスお兄様とマークお兄様は逆であった。マークお兄様がメアリーを甘やかすようになったのは、ローレンスお兄様の心が壊れてしまってから。それ以前は、ローレンスお兄様がメアリーを甘やかしていて、どちらかと言うと私はローレンスお兄様に懐いていた。
そんなことを思い出したら、ローレンスお兄様を少し意識してしまい、胸がドキドキして頬が熱くなってきた。
「ローレンスお兄様。今日、綺麗な白い花を買ってきたんですよ。花瓶に活けたので見て下さい」
言葉に反応したように目を開けた。
「メアリーか……」
「ローレンスお兄様!」
私は花瓶を手に取り、ローレンスお兄様の目の前に差し出す。
「今日、朝市でお花を買ってきましたの。ローレンスお兄様に見せたいと思って!」
「マーガレットか……白くて可愛らしいな……まるでメアリーのようだ……」
ローレンスお兄様と久しぶりに会話ができて胸が高鳴る。今まで二人とも心が壊れていたから話す機会はなかったことだしね。それに「メアリーのように可愛い」とか言われると照れてしまう。
「ローレンスお兄様。私がお兄様を元気にしますからね!」
シーツをかけると、ローレンスお兄様は再び目を閉じた。私はそっと部屋を出た。
ローレンスお兄様の部屋を後にし、廊下を歩きながら考える。
(醤油と出汁……スコットのお父様なら貿易商をしているから手に入るかしら?)
幼馴染であるスコットのお父様、カイゼル子爵様に、いきなりアポなし突撃は社交的にまずいだろうな~。
そう考えた私は部屋に戻り次第、手紙を書いてカイゼル子爵に送った。
返事が返ってくるまでの間、何をしようかな? 窓の外を見ると庭園が視界に入った。
「そうだ! アロマオイルを作ろう!」
部屋を飛び出し、庭園に向かう。途中、仕事中のメイドさんとぶつかりそうになるが、華麗に躱す。
庭園に辿り着くと薔薇の花を優しく手に取り観察する。
「質は悪くなさそうだわ。基本的な水蒸気蒸留法で抽出してみようかしら?」
必要なものを思い浮かべる。花びらを蒸すための蒸し器。その蒸気を冷却部に送るホース。研究とかで使いそうなガラスの管とかあるかな? そして精油の受け皿となるビーカー。
「これなら町で揃いそうね」
私も元気を貰うために、花に顔を近づけて香りを吸い込んだ。ふわりとフローラルな香りが鼻孔をくすぐる。
「よし! 行こう!」
ローレンスお兄様の心を救うという目標を達成するために、気合を入れて高々と右拳を突き上げた。
読んで頂きありがとうございます。
楽しんで頂けたら何よりです。
まだまだ未熟な点が多いですが、応援して頂けると嬉しいです。
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改:2026年2月26日
改:2026年3月1日




