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チートもざまぁも追放も、この世界には全てが無い。

作者: 裏山かぼす

 ミンミンジュワジュワとセミ達のクソデカセックスアピールを耳障りだと思いながら、俺は一人、重たくて大きいリュックの重量と茹で上がりそうな程の蒸し暑さに喘ぎつつ、歩を進める。


 右手に畑、左手に山。歩く道はボロい車道。どこからどう見てもド田舎そのものだ。

 こんな所に来ているのには理由がある。叔母に会いに来たのだ。


 まるでシャワーを浴びた後みたいに汗だくになりながらようやく叔母の家に辿り着いた俺は、二、三度深呼吸してから、疲労と緊張で震える手でチャイムを鳴らす。心臓が破裂しそうな程激しく鼓動し、喉の奥に張り付くような乾きを覚えた。

 数拍置いて、音質の悪いインターホンから男の声が「誰じゃ」と不機嫌そうに問いかけてきた。


「せっ、先日ご連絡しました、(のぞみ)です。あの、叔母さんは……」

「ああ、お前が。ハァ……少し待ってろ」


 ブツリとインターホンが途切れて、見た目からして年季が入っている叔母の一軒家は防音機能が低いらしく、家の中から男が叔母を呼ぶ声がした。俺と話していた時とは違い、甘えるような声色だった。


 少しすると、玄関のドアが開き、初めて会う叔母がぎこちない笑みを浮かべて出迎えてくれた。


「ええと、どうも。川守民子です。遠い所ご苦労様。外、暑いだろうから入って」

「あ、ハイ……」

「あー……その、かなり暑かったし、汗かいて気持ち悪くないかな。先にシャワーでも浴びてくる? それとも、冷房の効いた部屋で冷えた烏龍茶でも飲む?」


 気まずい空気だったが、それでも叔母は俺を気遣ってくれているらしい。ぎこちない笑みは、単に俺との距離感を測りかねているだけのようだった。

 叔母と甥という関係なのに、十八歳の高校三年生になってようやく初対面なのだから、仕方ないと言えばそうなのだが。


「お言葉に甘えて、シャワーを借りてもいいですか?」

「うん。シャンプーは適当に使ってね。そうだ、着替えだけ出してくれたら、残りの荷物は部屋に運んでおくよ」

「そ、そのくらい自分でやります!」

「いいよいいよ、疲れてるだろうから。それにほら、うちには男手があるから」


 申し訳無く思ったけれど、俺は素直にお言葉に甘えて、着替えだけ取り出して脱衣所に入った。


 ささっとシャワーを浴びて着替えて、廊下に出る。

 どっちがリビングなんだろうと少し戸惑っていたら、風呂から上がったことに気付いたらしい叔母さんが「烏の行水だねぇ」なんて言いながらやって来て、案内してくれた。


 リビングのテーブルには個包装の煎餅やチョコが盛られた籠と、二人分のコースターが置かれていた。風呂に入っている間に用意してくれていたのだろうか。


「そういえば、ええと……なんていう名前だったっけ」

「希です。明望希(あきぼうのぞみ)


 そう名乗った瞬間、叔母さんは一瞬、目を見開いた。何かに驚いた様子だったけれど、「今お茶持ってくるね」とすぐに背を向けてしまったので、気のせいだったかもしれない。お茶を持って来た時には変な様子はなかった。


「それで、ええと……ノゾミくん、だったね。家出するのも大胆だけど、よく私の連絡先なんて知ってたね」

「母さんとばあちゃんが……その、話しているのを聞いて」


 現実を見れない社会不適合者だと、母さんとばあちゃんは言っていた。それより酷い言葉も、たくさん。


 何かを察したのか、叔母さんは眉をひそめた。


「まあ、あんな家、出て正解だよ。高校を卒業してないのに、こんな遠くまで家出してくる無謀さはいかんけどね」


 自分でも思っていた事を指摘されて、俯いてしまう。だけど、感情任せに怒ってくるんじゃなくて、淡々と事実だけを述べるように落ち着いて話しているから、思ったより動揺せずに済んだ。


 叔母さんが籠から煎餅を一つ取って、袋越しに叩いて割ってから封を切って食べ始める。俺も小腹が空いていたので、チョコ菓子をまとめて三つ掴んで自分の前に置いて、そのうちの一つをいただいた。


「あの、叔母さんって小説家なんですよね?」

「そうだね。ネット小説からの成り上がりだけど」

「昔すごく流行った、賽之目探偵事務所シリーズの作者さんなんですよね!」

「よく知ってるねぇ……」


 頭をガシガシと掻きながら、叔母さんは照れたように呟く。

 俺は回り出した口の勢いのままに、本題に入ることにした。


「それで俺、叔母さん……ううん、常磐先生に憧れて、小説家になりたいって思ったんです! でも、それを家族に言ったら大反対されて……」

「そりゃそうよ。あの家でなくても普通は反対されるよ。親としては世間一般の、出社して職場で働くような安定した職について欲しいって思うもんだよ」

「それでも俺、諦められないんです!」

「じゃあ、何か書いた作品はある?」

「え? いや、途中のとか、プロットだけのならあるけど……」

「途中って何万字くらい?」

「……三〇〇〇字くらい……」


 正式に言えば、もうちょっと書いているとは思う。

 だけど、描写が全然書けなくて、台詞ばかりの状態だ。描写での溶接が必要な部分を含めれば倍くらいにはなると思うけど、ちゃんと書けている部分となると、そのくらいだ。


 叔母さんは少し考えた後、特に呆れるでもなく続ける。てっきり口だけだと呆れられると思っていた。


「夏休みっていつまで?」

「俺んとこは八月末までです」

「じゃあ一月後、八月二十五日までに三万字以上の小説を完結させなさい」

「ええっ!?」

「それまではこの家に居ていいけど、出来なかったらスッパリ諦めて家に……は、さすがに酷か。独り立ちの支援はするから就職活動しなさい」

「そんな!」

「本来小説家ってのはね、世間一般的な社会人に擬態しきれなかった、絵も描けないセンスも無い、それでも創作に取り憑かれて逃れられない奴が、最後の悪あがきで蜘蛛の糸に縋り付いて、運良く千切れずに雲の上まで登れた結果なれるもんなんだよ」

「でも叔母さんは小説家になれてるじゃないか!」

「私ゃ運良くカンダタになれただけだ。憧れだけで宝くじを当てるより低い確率を狙うもんじゃないよ。本気だって言うんなら、作品で示しなさい」


 厳しい条件と正論に、反論したいのに言葉が出ない。


 分かっている。叔母さんの言葉は正しい。

 俺が抱いている小説家という夢は、高校生の俺にとっては雲を掴むような話で、明確な輪郭を持ったイメージは無い。ただ、人とは違う「特別」に惹かれてしまっているだけと言われても、否定は出来ないだろう。


 何も言わなくなってしまった俺に、先程までベテラン刑事のようにどっしりと構えていた叔母さんは、急に慌てたように視線を彷徨わせる。「やっべ、言い過ぎた……?」と小さくボヤく声が聞こえた。


「え、えーっとね、二階の一番奥の右側の部屋さ、私の書斎なんだ。そこに創作に役立つと思う本がたくさんあるから、自由に使ってね。そうだ、真面目な話はこの辺にしといてさ、一回見て来たら良いんじゃない? 始めて来る家なんだし、色々探検してきたらどうかな」

「なんか、すみません……」

「気にしなくて良いって。あ、君の部屋は二階に上ってすぐの所ね。布団と机と座布団くらいならあるけど、何か必要な物があったら言ってね」


 叔母さんはそう言って、話を切り上げて食べた煎餅の包装をゴミ箱に捨てて、自分の分のコップを片手に、台所へ去って行った。


 一人残された俺は、自分が取ったチョコを食べて、烏龍茶を飲み干して、立ち上がる。叔母さんの言っていたように、書斎を見に行こうと思ったのだ。


 二階に上がり、一番奥の右側の部屋。叔母さんの書斎に足を踏み入れる。古い本の匂いと、古い他人の家の匂いが混ざって、何となく、俺の年代では感じるはずの無いノルスタジーを感じた。

 専門書のような本から、コンビニでたまに売られているようなファンタジーネタをまとめた本、それに図鑑や、様々な小説。色んな種類の本があって、小さな図書館のようだった。


 色々と気になる本を物色していた、その時だった。


 ぱたり、と机から音が聞こえて、振り返る。どうやら机上ラックのブックスタンドがずれて、本が倒れたようだ。机の上にあるからてっきり参考書みたいなものかと思っていたけど、その表紙はライトノベルっぽいデザインだ。

 興味を持った俺は、その本を手に取る。タイトルは「勇者は世界を救うもの」だ。


「これって……前にインタビュー記事で見たことがある。叔母さんが影響を受けたって言ってたやつだ」


 元々はゲームだったらしいけど、小説版もあったらしい。

 俺の家ではゲームは出来なかったし、小説版の存在は今知ったので、内容はわからない。だけど、叔母さんが好きな作品なのだから、きっと面白い作品に違いない。

 そう思った俺は、本の表紙をめくり――。


 本から飛び出した光の奔流に俺は飲み込まれ、俺は意識を失った。




 目が覚めると、深い森の中に居た。


 木々の隙間で小鳥が歌う声が耳に届き、視界には咲き乱れる花がそよ風に揺れている光景が目に入る。周囲は木々が密集しているが、この花畑は木が生えておらず開けていて、綺麗な青空が見えた。

 目の前には見渡す限りの草木と花、時々キノコ。頬をつねってみたが、残念ながらこの状況は変わらなかった。

 何より、鼻腔をくすぐる森の中独特の湿っぽい土と草木の匂いと、露でしっとりと濡れ始めている自身の服や手の感覚は、間違えようもなく現実のものだった。


「うっそだろ……」


 思わず声に出してぼやく。


 よく見てみたら、Tシャツ短パン姿だったはずなのに、何やら学ランをファンタジーアレンジしたような格好をしていた。


 この格好、見た事がある。「勇者は世界を救うもの」の男主人公の格好だ。

 ということは、もしかして……俺は「勇者は世界を救うもの」の世界に、異世界転生したのかもしれない。


 あまりの展開に困惑するしかない。異世界系のネット小説の展開でありがちな状況に、自分の頬をつねってみる。

 普通に痛い。もっと頭が混乱してきた。


 もう一度自分の頬をつねってみる。相変わらず痛い。嫌な汗が出てきた。

 もしかしたらこれは、本当に、現実なのかもしれない。


「嘘だろ……」


 もう一度ぼやいてしまう。

 どう考えてみても、自分が今体験している空気は、温度は、匂いは、本物としか思えない。


 そして、もしこれが現実だとしたら――こんなことになっている原因は、きっとあの「勇者は世界を救うもの」という本だ。

 あの作品を実際読んだり、元のゲームをプレイした事は無いが、剣と魔法の王道ファンタジーだという事はくらいは知っている。


 だとすると、こんな丸腰で、しかもたった一人の状況は危険すぎる。魔物にやられてお陀仏、なんて展開が見え見えだ。

 とにかく、早く近くの町に出て、安全を確保して、それから――


 ――グオオオォォォォォォン……!


 ……何だ、今の咆哮は。

 聞いたこともない獣の声に、ぞわりと総毛立つ。


 恐る恐る雄叫びのした空を見てみると、そこには見たこともない、巨大な生き物がいた。

 それは上空から俺の姿を見つけると、すぐさま花畑へ降り立つ。


 太い四肢の先から伸びる黒く鋭い爪。人間なんて丸呑みできそうな大きさを誇る体躯。その大きな体よりも大きな翼。口の端から覗くいくつもの牙。


 ――ドラゴン。

 そう呼称するに相応しい存在が、自分を食料にしようと見据えていた。


 ドラゴンは今にも襲いかからんと口から涎を垂らし、獣臭い息を荒く吐き、どこから食おうか品定めしているようだった。グルグルと低く唸りながら、ずしり、と地を揺らし花を踏みにじりながら近づいてくる。

 どうやら、いよいよ俺にかぶりつく場所を決めたらしい。ガチガチと歯を鳴らし威嚇を始めた。歯がこすれる度に火花がパチパチと音を立てる。炎でも吐くつもりなのだろうか。


 こんなの、勝てるわけがない。

 例え今の俺にチート能力があったとしても、俺自身の度胸が追い付いていない。

 腹を空かせたヒグマの前に何の装備も無くポンと置かれて、平常心で居られる一般人なんてそうそういない。ドラゴンはヒグマよりよっぽどやばいけど。


 しかし、逃げたら食われる、逃げなくても食われる、そして逃げ出そうとしても絶対に逃げ切れないと確信してしまう。

 重力を感じさせない軽やかな足取りからして、小走りする程度ですくに追いつかれてしまうだろうし、ここは障害物のない花畑のど真ん中。入り組んだ迷路のような森の中へ逃げ込むにはかなり距離がある。


 ――これ、死ぬ。


 死を覚悟した、その時だった。

 不意に、背後から誰かが走ってくる足音が聞こえた。


「――輝け天枢、死を司る七つの星」


 謎の一文を唱え終わると同時に、外套のフードを目深に被った男が俺の前に立った。

 そして――。


「穿て七星剣!」


 術名か何かだろうか、厨二臭さを感じる台詞を言い切った瞬間、七つの白い閃光が虚空に直線を描き、吸い込まれるようにドラゴンの頭部や胸、翼を貫く。

 数秒ほど時が止まったように静寂が訪れる。が、ドラゴンの体がぐらりと揺れ、地に伏したと同時に音が戻ってきた。重い音を立てて倒れたドラゴンが起き上がることは無く、ただ静かに、赤黒い血で花畑を染めていた。


 そんな光景を見ていた俺は、どこか薄ぼんやりとした頭で「ああ、これがファンタジーか。すげー」と他人事のように考えていた。


 ドラゴンが倒れたことをようやくちゃんと認識した俺は、安堵したせいか、腰を抜かしてその場に尻もちをついてしまった。柔らかな草花がクッションになってくれたとはいえ、痛いものは痛い。じんわりと鈍痛が尻に響いた。


「……そこのお前」


 外套の男が振り返り、俺に声をかけてきた。急に話しかけてくるものだから、驚いて大袈裟なくらいビクリと体が跳ねてしまった。


 振り返った男の顔はフードの陰に隠れて口元くらいしか見えなかった。フードから見え隠れする髪は黒髪で、親近感が湧いたが、日本人らしい黒髪というよりは、カラスの羽のような青みがかった黒だった。

 身長は170cmちょいくらいだろうか。俺と同じくらいの背丈だ。背丈だけで判断するなら同い年くらいかもしれないが、ローテンションで淡々と語る声色のせいで、もっと年上のようにも思えた。


「この森を抜けてすぐのところに、バラットという都市がある。もうすぐこの場に男女の二人組が来るはずだから、その二人に頼んで、その町に向かうといい」

「は、い? ええと、それってどういう……」

「いいから言う通りにしろ。それと、町に着いた後は……大方、あいつが世話を焼いてくれるはずだ」


 男はそう言うと、足早に森の奥へと歩を進める。


「あっ……ちょ、ちょっと待って!」


 思わず声をかける。男は振り向かないものの、足を止めてくれた。


 何故呼び止めたのか、自分でもわからない。

 何で予言じみたことを言ったのかとか、どうやってそれを知ったのかとか、どうして俺を助けたのかとか、色々知りたいことがあったからなのかもしれない。

 ただ、その前に、彼には一言言わなければならない言葉があった。


「えっと、その……助けてくれてありがとう」

「……結果的に助けた形になっただけだ。礼なんていらない」


 ぶっきらぼうな返答に言葉が詰まる。これが女の子相手なら「きっとツンデレなんだろうな」と脳内補正をかけられるが、男が相手だと補正がかけられない。そんな考えの俺に追い打ちが来る。


「次はこうなる前に、どんな相手でも戦えるように度胸を鍛えておくんだな」

「うぐっ……!」


 ぐさり、と言葉のナイフが突き刺さる。


 仕方ないじゃないか。俺はただの高校生だぞ。あんなのと戦えるわけないじゃないか!


 結局男は振り返らないまま、森の奥へと姿を消してしまった。

 暗がりに消える男の姿を見送った後、ちらりともう動かないドラゴンを見やる。空いた穴からどくどくと赤黒い血を流している。大量の血に少しだけ背筋が冷える。グロい。

 こういう時、狩りゲーなら素材をはぎ取るものだが、あの男はドラゴンに触れようとすらしなかった。


 思えば、通りすがりに襲われている人を助ける為に倒そうと思えるような相手でもないだろうに、あの男は俺を助けてくれた。一撃で倒されている辺り、もしかしたら見た目の割に弱かったのかもしれないが、今はもう知る術はない。


 俺はあの男の言っていた通り、もうすぐここに来るであろう人物を待つことにした。

 ……ドラゴンの死体と共に。




 しばらくすると、男が言っていた通り、男女二人がやって来た。

 ……男女二人、というより、「子供二人」が正しいが。


 片方は黒髪黒目で、髪を肩より少し長いくらいまで伸ばしていて、俺より少し年下に見えるボーイッシュな格好をした女の子。

 もう一人は茶髪の片目隠れで、青い瞳をしていて、赤いマフラーを巻いている男の子だ。少年の方は、少女よりもう少し年下に見える。

 彼らは俺に気が付くと、手を振って呼びかけてきた。


「すみません、こっちにドラゴンが――って、うわぁ! これ岩山じゃなくて、ドラゴンの死体!?」

「あの、俺、このドラゴンに襲われてたんだけど、通りすがりの人に助けてもらって……」

「そうなんですか? ちなみに、その方はもういってしまったんですか?」

「うん、あっちの方向に行っちゃった」

「確か向こうって、廃墟しかないはずだけど……」


 少年の方は年の割に落ち着いた性格のようだが、少女の方は年相応な感じで、両手を頭の後ろで組み、まるで楽しみだったイベントが中止された時のようなふくれっ面を見せた。


「あーあ! とんだ無駄足になっちゃった。せっかく久々の大物退治の依頼だったのにー。ぶー」

「いいじゃないか。被害らしい被害も出ていない、それだけで充分だよ」

「そりゃそーだけどさー……てかキミ、こんなところで何してたの?」

「ええと、その事なんだけど……」


 信じてもらえないかも知れないけど、と一言前置きをして、俺は事のあらましを二人に伝える。

 本から光が溢れて、気が付いたらここに居たこと。ドラゴンなんて想像上の生物で、俺の世界には実在していないこと。魔法も物語だけの存在だということ。それらを、全て。


 話している途中で、二人揃って「異世界転生したぁ!?」とハモって聞き返してきたのが、何となくこの二人の仲の良さが現れているように思えた。


「どう思う?」

「うーん……事実かどうかはともかく、自衛能力が無いなら都市まで連れてってあげたいって、ぼくは思うけどな」

「はぁ〜……本っ当にお人好しだよねぇ」


 正直に全部話したけれど、二人共あまり信じていないようだ。当然と言えば当然なのだが、何だか少し、悲しかった。


 ともあれ、少女の方は呆れたようにこれ見よがしにため息をついているけれど、少年の意見を拒否する訳ではなさそうだ。街まで連れて行ってもらえることになって一安心だ。


「そういえば、自己紹介がまだでしたね。ぼくはアッサムといいます。こっちはジョーカー。こう見えてぼく達、近くの都市の冒険者ギルドに所属している、冒険者なんですよ!」

「んで、ボクらは名乗ったんだから、キミの名前も教えてくれない?」

「俺は希。明望希だよ」

「ふーん、ノゾミね。変わった名前」

「ジョーカー、失礼だよ!」

「ああ、いいよ別に。日本人の名前って、ここみたいなファンタジー世界だと浮きやすいのは理解出来るし」

「お、いいね。そーゆー心の広い人、ボク好きだよ」

「ぼくは君のそういう所、直して欲しいっていつも思っているんだけどね……」

「にゃはは。諦めろ」


 お互いに自己紹介も済んだ後、ドラゴンが討伐された証拠として鱗を剥ぎ取ってから、俺達は街へと向かった。


 二人に連れられて街に到着した俺は、街の防壁内に入って割とすぐの所にある冒険者ギルドの中に入り、アッサム達の案内で個室に連れて行かれた。


 しばらくすると、金髪で背の高い、緑色の瞳をしている男性がやってきた。耳が長くとがっていて、ゲームによく出てくる「エルフ」という人間に似た種族のキャラクターを彷彿とさせた。

 切れ長の目がきつい印象を出していて、ちょっと尻込みしてしまう。顔立ちが美形だから尚のこと圧がある。


「待たせてしまってすまない。私がここのギルド長、グリンデルだ。部下から事のあらましは聞いているが、念の為、改めて君の口から話を聞きたい」


 そう話すエルフ――グリンデルは、どこかで聞いた事のある声をしていた。多分、有名な声優さんが声を当てているキャラクターなのだろう。

 ということは、だ。彼はこの物語のメインキャラクターなのだろう。そうじゃなかったとしても、そこそこストーリーに関わるポジションだと思う。


 俺はドラゴンのこと、そのドラゴンを倒した男のことをかいつまんで説明した。


「ふむ。特徴は一致している。この付近に生息している種でもないし、持ち帰った鱗も間違いなく該当種のものだ。まず間違いないだろう」


 一息ついた後、グリンデルは続ける。


「ところで、助けに入ったという男の容姿は覚えているか?」

「フードとマントで隠れてて顔はよくわかんなかったですけど、身長は俺と同じくらいで、髪はー……チラッとしか見えなかったけど、黒髪でした。カラスの羽みたいな色の」

「ふむ。他には?」

「確か魔法の詠唱で……穿て七星剣? とか言ってたような……」

「――! それは間違いないのだな?」


 いきなり身を乗り出して話に食いついて来て、ちょっとビビってしまって声が出ず、無言で何度も首を縦に振って肯定の意味を表した。


 何だろう、何か特別な詠唱だったのだろうか。厨二っぽいなぁとしか思っていなかった。


 グリンデルも、驚いたように目を丸くしていたアッサムとジョーカーの視線に気付いたのか、咳払いをして座り直した。


「最後に、もう一つだけ質問させてもらうが、良いか?」

「堪えられる質問なら……」

「君は、異世界の人間だろう?」

「へっ!?」

「ああ、肉体の話では無い。君の意識、魂のことだ」

「「……ええーっ!?」」


 アッサムとジョーカーの大声がハモる。仲良いなお前ら。


 と言うか、俺が答えても無いのに、何でそんなに驚いているんだ? 事実だけどさ。


「異世界から転生してきたって、嘘じゃなかったんだ……」

「君が有するコギトの輝きは、この世界には存在しないものだ。この傾向は、異世界から召喚された召喚獣の特徴と一致する」

「それを機械とか使わないで判別する時点で化け物じみてるんだよなぁ。まー、ぐっさんが言うんだから、ホントの事なんだろうけど。ぐっさん、鑑定眼使えるし」


 どうやらグリンデルは、ネット小説では定番の鑑定スキル持ちらしい。だからアッサムとジョーカーは事実だと分かって、俺が答える前に驚いていたんだろう。


 良いなぁ、鑑定スキル。俺も使い方が分かっていないだけで、実は鑑定スキルが使えたりしないかな? 後で色々と試してみよう。


「行く当てはあるのか?」

「いや、俺の知り合いの記憶も無いし、主要キャラもよく知らないから……頼れる人も、居ない、です……」


 言葉にしていく内に、俺は徐々に、自分の状況がかなり逼迫しているという事に気がつき始めた。


 自分で言っていたように頼れる人なんて居ないし、この世界の通貨を持っているわけでもないし、身を守れる装備も持っていないし、何なら今日の食事にだってありつけそうもない状況だ。

 ネット小説よろしく魔物を狩ってその日暮らしの生活をするにも、俺が使える魔法やスキルは何があるのかなんてわからない。

 そもそも、転生前の体の持ち主の記憶が無い。


 俺はようやく、異世界生活をする前に詰んでいる事に気が付いてしまった。


 お先真っ暗な絶望感に泣きそうになっていたが、俺の返事を聞いてからしばらく沈黙していたグリンデルが、不意に口を開いた。


「……ところで、アッサム。最近、ギルドに所属する職員の数が多くなって、食事の買い出しに行くのも一苦労だと言っていたな」

「え? 確かに、そんなことをぼやいた記憶がありますけど……」

「そうか。ところで、まだ君の名を聞いていなかったな。名は何と言う」

「あっ、俺、ノゾミって言います。明望希です」

「アキボウ、ノゾミ……! ……そうか、君が……」


 グリンデルは何故か俺の名前に驚いた様子を見せて、どこか含みのある独り言を呟く。

 だけど、聞き間違いかと思う程小さな声だったから、最後の方は何と言っているのかは分からなかった。


「おめでとう、ノゾミ。君は晴れて正規雇用冒険者チーム『フリーワールド』のメンバー候補生となった。正式採用されるのを楽しみにしている」


 唐突な雇用宣言に、室内が一瞬、静寂に包まれる。


 ふと、俺を助けてくれた男が言っていた、「あいつが世話を焼いてくれるはずだ」という台詞を思い出す。きっと、この事を言っていたのだろう。

 あの男は、グリンデルと知り合いなのだろうか。


「こ、ここでお世話になってもいいって事ですか……?」

「当然仕事が出来なければ解雇するから、そのつもりで励むことだな。しばらくはアッサムとジョーカーの下でギルドのルール等について学ぶように」

「あ……ありがとうございます! 頑張ります!」


 一時はどうなることかと思ったが、グリンデルのおかげで、何とかこの異世界でも暮らせる場所を手に入れる事が出来たのだった。




「なあ、ジョーカー先輩」

「ふふん。何だね、荷物持ちの後輩くん」


 俺は今、冒険者見習いとして、ジョーカーとアッサムの荷物持ちとして同行している。


 今回の依頼は、廃墟となった教会の調査。何でも、怪しい人影が出入りしているから調査してほしいのだという。

 アッサム曰く、こういう廃墟に盗賊のような犯罪者集団がアジトを構えている事がよくあるらしく、こういった依頼はそこそこあるのだそうだ。


 そして周囲の偵察に出ているアッサムを待っている間、俺は暇つぶしにジョーカーに話しかけたというわけだ。

 どうやら「先輩」と付けたのが相当お気に召したようで、彼女は満更でも無いドヤ顔を浮かべて返事をする。


「ここが異世界……っていうか、剣と魔法のナーロッパならさ、勇者とか聖女っているのかな!?」

「勇者なら居るね」

「マジで!? ッシャ!」

「なーにガッツポーズしてんの。もしかして、『俺は異世界転生したチート勇者!』とか考えてんの?」

「えっ、違うの?」

「なぁーに馬鹿なこと言ってんだか。ノゾミが勇者とか無い無い。勇者ってのはね、青みがかった黒髪と、海のような青い瞳をしている、この世界の人族、それも汎人にしかなれないの」

「そうなのか?」

「そういうモンなの。それがこの世界のルールだから。何故かそういう見た目の人が本人の意志とは関係無く、無駄に重くて辛い使命を抱えるハメになる、言わば呪いみたいなもんだってぐっさんが言ってたよ」

「へぇー……ん? 青みがかった黒髪……?」


 つい最近そんな髪をしている人を見たような気がしたが、思い出す前にアッサムが偵察から帰ってきて、そちらに意識を取られたせいで結局思い出せなかった。


「おっかえりー。偵察終わった?」

「周囲に魔物の気配は現状無し、彼らと合流するまでここで待機で問題無いと思うよ」


 今回は外部の協力者と一緒にこの依頼をこなす。

 二人は顔見知りで仲が良いと言っていたが、どんな人か気になって、俺はアッサムに聞いてみることにした。


「なあ、アッサム先輩。今から合流する人って、どんな人達なんだ?」

「アッサムでいいよ。今から来る人達はね、普段は隣都市に住んでて、冒険者じゃないけどすっごく強いんだ」

「ちなみに一人はビックリするくらいイカれた善性持ちの汎人、もう一人は男運の無い魔族の町医者だよ」

「ジョーカー……間違っては無いけど、もっとこう、言い方ってものが……」

「間違ってないならいーじゃん。なんか二人共、ぐっさんに借りがあるとか何とかで、暇があればこうして協力してくれるんだ」

「へー。隣都市って、こっちに来るまで何日くらいかかるんだ?」

「今の時代は転移装置(ファストトラベル)で一瞬だよ。金はバカかかるけど」

「ファストトラベル!? そんなのあるんだ!」

「おっ。噂をすれば……」


 ジョーカーの言葉に、俺も誰かがやって来た事に気が付いた。どうやら、件の二人が到着したようだ。


 やって来たのは、男女のペアだった。

 二人共似たようなプラチナカラーの髪で、顔つきもどことなく似ていたが、青年の方は透き通るような白い肌で、女性の方は健康的な褐色の肌だ。また、青年の方は瞳が青紫で、女性の方は光彩が角度によって朱色にも見える金という不思議な色をしていた。それに女性の方はこめかみ辺りから生えた角と、赤黒い翼があって、いかにもファンタジーな種族なんだろう事が伺えた。


「やあ! 久し振りだね、アッサム、ジョーカー!」

「お久しぶりです、ミハイルさん」

「相変わらず無駄に通る声だねー」

「そう言うアンタは相変わらずの生意気口ね」

「やぁやぁルキにゃん、助手の彼との進展はどーよ?」

「アイツはそんなんじゃ無いって言ってんでしょ、ったく……」


 二人は先に知人であるアッサムとジョーカーに挨拶をしてから、整った美しい顔立ちに人懐っこそうな笑顔を浮かべて、俺にも挨拶をしてくれた。


「君が噂の新入り君だね! 私はミハイル、普段は呪術都市マギアで孤児院の経営をしているよ!」

「初めまして。あたしはルキフェル。ルキフェル・セラフィールよ。家名持ちだけど、かしこまらずにフランクに接してくれると嬉しいわ」


 そうだ、思い出した。

 このルキフェルという女性は、「勇者は世界を救うもの」について検索した時に見たキャラクターだ。覚えている。

 やっと知っているキャラクターに会えて、何となく安心感を覚えた。


「ノゾミです、今日はよろしくお願いします」

「あら、どっかの誰かさんと違って、礼儀正しくて良い子じゃない」

「うっさーい。ボクはTPOと相手を鑑みてふざけてるからいーの」


 そんな風に和気藹々と話ながら、俺達は廃墟の中に入った。

 中は所々日が差しているが、薄暗く、奥の方は見渡せない。廃墟特有の退廃的な雰囲気に、俺は内心ワクワクした。


「ルキ、灯りを頼めるかい?」

「わかったわ。――est lumen luciora」


 ルキフェルがそう唱えると、周囲に光の玉が現れる。光の玉は薄暗い廃墟内を照らし、空中にふわふわと微妙に上下しながら浮いていた。

 現実ではあり得ないこの光景は、正に魔法そのものだった。


「すっげー……!」

「あら、初歩的なスペルなのに、まるで始めてスペルを見たような反応ね」


 クスクスと笑われて、ハッとする。

 そうだ。この世界ではスペルという魔法が存在するのが普通なのだ。


 俺は慌てて言い訳を探し、しどろもどろになりながらも取り繕う。


「お、俺の住んでた所だと、あんまり馴染みが無くって……。なあルキフェル……さん!」

「ルキで良いわよ。知り合いは皆そう呼んでいるし。敬語も気が向いたらで構わないわ」

「じゃあ、ルキ! 俺もルキみたいに魔法が使えるかな!?」


 ゲームの世界に異世界転生なんて、そんなのチート能力が無ければ始まらないと言っても過言では無い。

 俺がまだ気付いていないだけで、とんでもない魔法の才能が――。


「う~ん……んん……ええと、気を悪くしないで欲しいんだけど、ノゾミから感じる魔力は薄くて……」

「え」

「残念だけど、あんまり才能が無いと思うわ」

「そ、そんなぁ……!」


 悲しい事実を突きつけられてしまった俺は、理想からひどく乖離している現実のショックに耐えきれず、その場に崩れ落ちてしまった。


「畜生、畜生っ! チート魔法で俺TUEEEとかやりたかったのに……! またオレ何かやっちゃいました? とか言ってみたかったのに……! 無能力系の異世界転生も読むけど、自分がその立場になるのは違うんだよぉ!」

「アッハハ! 努力もせずにそんな都合の良い能力を手に入れられる訳ないじゃーん、バァーカ」

「ちょっと先輩、メスガキみたいな煽りしないでもらえます!? ガチ凹みしてる時にされると結構メンタルにクるんですけど!」

「ざぁーこざぁーこ♡ 初歩スペルも使えない魔力無しのザコこぉはぁーい♡」

「くっそおおおおおおお!! 絶対いつか分からせてやるからな!!」

「出来るモンならやってみなー」


 ジョーカーはべぇ、と舌を出して俺をおちょくってから、ケラケラを笑う。


 こっ……こんのメスガキ系キャラめぇ……! 俺より二歳年下の癖に……!


 絶対にいつか見返してやると決意して、俺は立ち上がった。




 アッサムに探索の基礎なんかを教わりつつ、何か怪しい点がないかを探す。アッサムが言うには、新しい足跡があるから誰かが出入りしている事は確からしいけど、俺にはサッパリわからなかった。


 だけど、現代日本人だからこそわかるものもある。


 元々は礼拝堂だったらしい部屋は植物や苔に浸食されていて、壁にも蔦が這っている。だけど一部だけ、たまたまなのか蔦が無い壁があった。

 それに俺は、ビビッときた。直感だが、怪しいと思ったのだ。


「ゲーム実況とかで見た事があるけど、謎解きって大抵こういう所に隠し扉があって、特定のアイテムを置くと起動して開いたりするけど……おっ、この剣なんてそれっぽいじゃん」


 反対側の壁に付いているタイプの刀掛けのようなフックに引っかかっていた錆びた剣を手に取り、蔦の無い壁に近い所にあった、何も置かれていない刀掛けに置いてみる。


 三秒、五秒、と時間が過ぎる。反応は無い。


 まあ元はゲームだったとはいえ、そう簡単にいくわけないか、と思ったその時だった。

 地響きと、石と石がずれるような音。目の前の壁が小さな砂煙を上げて動き、隠された階段が姿を現したのだ。


 突然の音と地響きに警戒したのか、いつの間にか、全員が俺の周りに集まっていた。


「ちょっとちょっと、一体何したの!?」

「おおーでかした! さっすがボクの後輩。少しは役に立つじゃん!」


 ルキフェルが慌てたように声を上げ、ジョーカーはニコニコ笑顔でバシバシと俺の背中を叩く。ドヤ顔をしてやりたい所だったが、俺はニヤける口元に力を入れて何とかそれを抑えた。


 アッサムが先頭で、俺を守るようにミハイルとルキフェルが位置取り、殿にジョーカーという隊列で、隠し階段を下っていく。

 その途中で、まるで水中に入った時のような耳鳴りを感じ、つい足を止めてしまった。


 それだけじゃない。ほんの数秒前とは、何かが違う。

 直感的に、俺はそう感じた。


「今なんか……」


 空気が変わった? と聞こうとした瞬間、振り向いたミハイルから口を塞がれる。

 俺の顔を覗き込んだ彼はウインクをすると、空いている手の方で唇の前に人差し指を立て、しーっ、と静かに沈黙するように伝えてくる。


 どうしよう、男なのに顔立ちが中性的で整ってて、髪も睫毛も長いし二重だしで、ちょっとドキッとしてしまった。


 俺ホモじゃないのに! ヘテロなのに! 異世界に来て始めてときめくのが男とか、こんなのあり得ないだろ!


 だが、俺のときめきは、アッサムの緊迫した声によって、一瞬で霧散した。


「居る」


 何が、なんて無粋な質問をしなくてもわかる。

 こんな人から隠れるような場所で何かをやっている、あからさまに怪しい「誰か」が、この奥に潜んでいるのだろう。


 不意に、ジョーカーが俺に近づいてきたと思ったら、いきなり俺の襟ぐりを掴み、少し乱暴に俺の頭の位置を下げる。そして「誰か」に聞こえないようにか、ほぼ吐息のような声で耳元で囁いた。


「ノゾミ。ハッキリ言って、素人レベルの実力しかないキミは、足手まといに他ならない。でも、敵の懐に入ってしまった今、キミを一人にするのはリスクが高すぎる。余計な死体を増やすだけだからね」


 死体、というワードにぞっとする。

 そんな単語が出てくる程、ここはヤバいのだろうか。俺にはイマイチ、実感が湧かなかった。


 だけど少し遅れて、俺は緊張から、ごくりと生唾を飲み込んだ。


「だから絶対に、ボクらから離れないで。ボクらの近くに居てくれるなら、出来る限りキミを守る努力はするから。死にたくないならボクの言う事を聞くこと。いいね?」


 この時自分は、彼女の表情を見て、鳥肌を立てていた。


 出会ってわずかだが、どこまでもマイペースで我が道を行くタイプだと思っていた彼女が、このように真面目な表情で指示を出す姿を見て、気づいたのだ。


 ――ここに居る相手は、彼女から余裕を失わせる程の強敵であるということを。

 ――俺とそう年の変わらない、十五歳の子供である彼女が、幾度もこのような強敵と戦ったことのあるベテランなのだろうということを。


「……わかった、善処する」

「聞き分けの良い後輩は嫌いじゃないぞ~」

 最後にいつもの生意気そうな顔付きでニヤリと笑って、ジョーカーは俺を解放した。


 隠し階段を降りた先。薄暗く、土とカビの臭いがする広い地下室に、ぼんやりと魔法らしい光が天井から差している。

 その光だまりの中に、淡く光る陣がある。

 床に描かれたそれは明滅し、中央に立つ人物を青く照らしていた。


「……来たか」


 そして、そこに立っていた人物は、俺の知っている人だった。


「あ、アンタは……!?」

「知ってんの?」

「アイツだよ! ドラゴンに襲われてた俺を助けてくれた奴!」


 今はフードを被っていなくて、濁った青い瞳と、俺と大して変わらない年頃だと感じる素朴な顔が露わになっているが、ローブそのものと、その下に見える服装からして、間違いない。声も確かにあの時の男のものだと思う。


 男は生気の無い目で俺達を見据えると、小さな声で、しかし俺達全員がしっかり聞き取れる程度の声量で話し始める。


「お前の動向を星詠みで知り、ここで待っていた。俺の悲願を果たすために。全てを終わらせるために」

「何が目的で彼を待っていたんだい? 君の言う『悲願』とは、一体何なんだ?」

「答える必要は無い」


 ミハイルの質問を一蹴し、男は空中に手をかざす。その瞬間、俺を除いた全員が瞬時に身構えた。

 アッサムは短剣、ジョーカーはリボルバー銃、ミハイルはレイピア、ルキフェルはタクトを、いつの間にかそれぞれ手にしている。


 男の手に、眩い象牙色の光が集まる。


「……ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺は、勇者アレンが創った、魔剣アイヴォリアだったもの。その内に棲まう、破滅の極光」


 光は集い、剣の形を象り――そして、象牙色に輝く一本の剣へと変化した。


「我が名は砂漠竜ニアラ。異界からの来訪者、アキボウノゾミ。お前が――殺すべき相手だ」

「なっ……!? 何で、俺のこと」

「来るよ、下がって!」


 ジョーカーの声に、俺は反射的に後ろに飛び退いた。


 その瞬間、ミハイルのレイピアと、男――ニアラの剣が交差し、火花と衝撃波が散る。

 ミハイルが剣撃を防いだ所に、ジョーカーが二丁拳銃で何発も撃つ。弾切れやオーバーヒートなんて概念が無いみたいに連射するが、その全ては謎の障壁のようなものに弾かれてしまい、ジョーカーは小さく舌打ちした。


 だが、他の攻撃が効いている訳ではなかった。障壁に弾かれなかったアッサムの投げナイフや、ミハイルの鋭い突きをくらっても、表情を変えるどころか、怯みすらせず即座に反撃を繰り出す。


「怯みすらしない……!? 痛みを感じていないのか!?」

「兄さんどいて! ――est ignis vetitus ac clade tempestas!」


 ルキフェルが呪文を唱え終えると、天井を埋め尽くす程の火の玉が瞬時に現れる。煌々と輝くそれらは地下室を赤く染め、一気に気温を急上昇させた。

 それらはルキフェルのタクトの動きに合わせて渦巻き、そして。


「とっておきよ、食らいなさい!」


 その一声で、全ての火の玉がニアラに襲いかかる。

 轟音と爆煙に俺は思わずきつく目を閉じ、頭部を守るように腕でガードするが、火傷しそうな程に熱い熱波が体中を駆け抜けていった。

 時間にしてみればたったの数秒だっただろうが、あまりの爆発の衝撃に、一分以上その熱に晒されたような気がした。


 気が付いたら熱波も轟音も無くなっていて、キーンと甲高い耳鳴りがしていた。恐る恐る目を開けてみると、周囲は土煙がもうもうと立ち上っていて、俺の近くに居たジョーカーとルキフェルの姿くらいしか確認できなかった。


 あれだけの爆発があったというのに、地下室が一切崩れてない事に気が付く。「頑丈な結界だなぁ」とジョーカーが呟いているのが聞こえたから、地下室が崩れていないのは、きっとその結界の効果なのだろう。


 土煙の向こうで、何かの影が動く。ミハイルかアッサムだろうか、と一瞬思ったが、次の瞬間に見えた象牙色の輝きに、一気に絶望感が押し寄せた。


「嘘でしょ!? 直撃したと思ったのに……! まさか、あの魔剣から溢れ出る膨大な魔力で防いでいるの!?」


 俺の思っていた事を全部ルキフェルが声に出し、やっぱりそうなんだ、とどこか達観した思考が納得する。


 あんな風に光り輝く剣なんて、ファンタジー作品で言ったら聖剣か魔剣くらいしかない。

 そして、そういうものは大概強力な力を持っているものだ。

 ……常人では、太刀打ち出来ないくらいの。


 土煙の向こうで、ニアラが魔剣を振るう。衝撃波のような何かが走り、もうもうと立ち上っていた土煙が一瞬で払われる。


 ようやく姿が見えたアッサムとミハイルは無事らしかった。ミハイルは不敵に笑っていたけれど、アッサムはあれだけの攻撃を食らって尚立っているニアラに、絶望したような表情をしていた。


 ふと、ニアラは俺の方を――正確には、ジョーカーに守られている俺の姿を見て、落胆したように深いため息をつく。


 まるで、一縷の望みが絶たれたような。

 まるで、唯一の支えを失ったような。

 そんな深い絶望の色を、濁った青い瞳の中に浮かべていた。


「……期待した俺が馬鹿だった、か」


 ぽつりとそう呟いて、ゆっくりと、ニアラは魔剣を天に掲げる。


「悪いな。せめて、一瞬で終わらせてやる」


 彼がそう言った瞬間――。

 視界を焦がす眩い光の奔流が周囲を包む。そして一瞬遅れて、内側から焼き尽くされるかのような激痛に襲われる。


 絶叫を上げたかもわからない。いつの間にか、俺達は地に伏していた。


 最後の力を振り絞って顔を上げる。アッサムも、ジョーカーも、ミハイルも、ルキフェルも、皆、倒れていた。

 視界がぼやける。あの極光のせいで目がチカチカして、よく見えない。

 それでも、目の前の敵を見据えて、せめてもの抵抗で睨みつける。

 感情の抜けた顔をしたニアラは、しばし俺の視線を真正面から受け止めて、何を思ったのか俺に近づいて来て……。


 そこで俺は、気を失った。




 意識が浮上する。

 俺は何故か、ギルド宿舎の、自室のベッドで寝ていた。あんなに体のあちこちが痛かったのに、今はもう何ともない。


 不意に「目が覚めたか」と、誰かから声をかけられる。声の方向を見てみると、そこにはグリンデルが居た。真顔かしかめっ面の二パターンしか彼の表情を知らないが、今の彼の雰囲気は、少し柔らかかった気がした。


「まずは、無事で何よりだ。旅人が廃墟の近くで倒れていたお前達を見つけたんだ。暇があったら、その旅人に礼を言っておけ」

「……廃墟の外? 中じゃなくて?」

「ああ、廃墟の外で、だ。間違いない。他の四人も無事だ。多少疲弊しているが、少し休めば問題ない程度だ」


 グリンデルは俺のベットに腰掛け、俺に話しかけてくる。


「……さて。危険な目に合わせたばかりだが、お前に頼みが出来た。依頼ではなく、個人的な頼みだ」

「俺に? 出来ることなら、やりますけど……」

「そうか。頼みづらいことだが、頼む」


 彼は一拍置いて、低い声で俺に告げる。


「ある人物を、殺してほしい」

「……………………え?」

「すまない、言葉が足りなかったな。殺してほしい相手は、砂漠竜ニアラと名乗った男だ」

「ちょっ、ちょちょちょ、ちょっと待って! そういう事じゃない! そうじゃない!」


 気が動転しすぎて、思わずグリンデルの腕を掴んで叫ぶ。


「待ってくれよ! 俺、中身はただの高校生だぞ!? 一般人だよ! その俺に、よりにもよって、人殺しの頼み事なんて……!」

「あいつはお前にしか殺せない。異世界人である、お前にしか」

「だからって!」

「『災厄の竜が放たれし時、異界より訪れし救世主が人の身を得て、勇者と共に竜を討つ』。古くから伝えられ、繰り返されたこの世界の歴史だ」


 この世界の、歴史。ファンタジーでありがちな、勇者伝説のような一節。

 まさか、と。俺はこの先、彼が言うだろう言葉を、大体察してしまった。


「……それって……俺の、こと……?」

「そうだ。救世主はすべからく異世界の――『チキュウ』と呼ばれる世界に住む人の魂を持つ。そして救世主として世界に呼ばれたのなら、災厄の竜を討ち倒さなければならない。そういう法則が、この世界にはある」

「いや、でも、だって……あいつは! 俺を助けてくれたんだぞ!? そんな、災厄だなんてあり得ねえよ!」

「だが、事実だ」

「だったら俺を助けてくれた事だって事実だ! 俺は、あいつを殺すなんて絶対に嫌だ! あいつが災厄の竜だってことも、冤罪かもしれないだろ!」


 確かにあいつは、俺達に襲いかかってきた。

 だけど、ニアラが俺の名を呼んだ時。

 あの瞬間、ほんの一瞬だったけど、きっと天から垂らされた蜘蛛の糸を見つけたカンダタが浮かべていただろう表情を見せていた。


 ようやく救われる、と。そう思っていただろう、泣き出しそうな、それでいて嬉しそうな表情を。


 きっと、救世主だという俺が起こす、何かしらの奇跡に期待していたんだと思う。

 何を期待していたのかはわからないけれど、それでも、俺が何か出来ていれば、あいつが抱えている深い絶望から救えていたことは確かだろう。


 月並みだけど、あんな顔を見せられて放っておくなんて、ましてや殺すなんて、俺にはできっこなかった。


「……以前現れた砂漠竜ニアラだったが、まだ災厄と呼べるほど成長していない、幼体だった」

「は? いきなり何言って――」

「だから、救世主が居なくとも倒せてしまった。……倒せたと、勘違いしてしまった。実際の所はトカゲの尻尾切りだ。トカゲと違うのは、切った尻尾の方も本体だったということか」


 淡々と語るグリンデルの口調につられて冷静になった俺は、喉から出かかった言葉を飲み込んで、彼の話に耳を傾けることにした。


「その尻尾が人間に取り憑き、繭代わりにし、長い年月をかけて成長した」

「……もしかして」

「そうだ。それが、お前を助け、同時に砂漠竜ニアラとして立ちはだかった男だ」

「どうしてそう断言できるんだよ」

「この目で見たからだ。少なくとも、アルレイン・クロノスが竜と成った瞬間は」


 アルレイン・クロノス。

 その名前を聞いた瞬間、記憶の片隅にあった情報を思い出した。


 叔母さんがインタビューの質問で影響された作品を聞かれた時に「勇者は世界を救うもの」を挙げたのだが、その時にお気に入りだと語っていたキャラクターだ。


 一週目は絶対に「災厄の竜」として、主人公の手で殺さなければならない。彼を助けられるのは、二週目以降に発生するいくつものイベントをクリアし、それらのイベントと最終戦の途中で出てくる選択肢で一つも取り残すこと無くフラグとなる選択肢を選んで初めて、災厄の竜だけを倒し、「勇者アルレイン・クロノス」を救えるのだという。


 この物語は、救世主である主人公が、災厄の竜となってしまった勇者アルレインを救い、二人で世界を救う話なのだ。


 俺はようやく、ニアラが――いや、アルレインが見ていた「希望」の一端を、垣間見ることが出来た気がした。


「だったら……やるしか、ないじゃんか」

「案外素直だな。もっと喚き散らすと思っていたが」

「俺にしか出来ないって言うんなら、やるしかないし、それに……こんな話を聞いた後だけどさ、ワクワクするんだ。だって、俺がこの物語の世界における主人公で、救世主ならさ」


 これが「勇者は世界を救うもの」の世界だから、事実そうだ。

 主人公の体を借りて、英雄気取りの高揚感に酔っているだけかもしれない。


 だけど、それでも。


「竜の部分だけを倒して、アルレインのことを助けられるストーリーだって、あるかもしれないだろ?」


 そんなことは関係無く、俺は物語を知らないなりに、あいつを助けたいって思っている。

 これだけは、心の底から事実だと胸を張って言える、俺の本音だ。


「……そう、か」

「やっぱり、あり得ないかな。俺、別に剣に長けている訳じゃないし、だからといって魔法が使えたりもしない。ネット小説でよくあるチート能力なんて一切無い……何の力も無い、ただの……普通の、高校生だから」


 大きな口を叩いたが、俺はネット小説の主人公とは違い、何の能力も持っていない。

 一撃でどんな敵でも屠れる魔法なんて使えない。

 どんなものでも一刀両断出来る剣の技術だって無い。

 個性的なスキルなんて持ち合わせてない。

 全てを見抜く鑑定スキルすら持っていない。


 でも。


「そうではない。少し、昔を思い出しただけだ」

「昔?」

「……お前みたいに、ありもしない希望に目を輝かせる、馬鹿が付くほど素直で夢見がちで――そう出来る程の力を持っていないのに、それを成せると思わせてくれる男のことをな」


 少なくともグリンデルは、俺の事を信じてくれるみたいだ。


「ともあれ、現状ではそうするだけの力も無ければ情報も足りないだろう。よって、お前にはギルドマスターとして命令を下す」


 グリンデルは立ち上がり、いつもの凛とした顔で俺に任務を下す。


「山岳都市ウィーヴェンに向かい、これまでの災厄の竜と、三百年程前に現れた擬竜キロ=ネグラについて調べてこい。そこに手がかりがあるはずだ」

「――はい!」

「詳細は追って伝える。今は休息を取り、次の任務に備えておけ」

「了解、ギルドマスター!」


 彼はそう言い残し、俺の部屋を出て行った。

 ――その時にグリンデルが呟いた独り言は、ドアの音にかき消されて、俺には届かなかった。


「……頼んだぞ、予言の子。アルを殺してやれるのは、お前だけなんだ」

他サイトのコンテスト用に執筆した短編です。


そのうちタイトルを変えて長編として書こうと思っているのですが、続きが読みたいという意見が多かったら近いうちに長編として書き直します。

もっと読みたい! という方は評価やブックマーク、感想をよろしくお願いします!


現在連載中の「同人女の異世界召喚」もよろしくお願いします!

読んでいるとニヤッとする部分があります。

ちなみに書籍化しました!

https://sutekibooks.com/items/book018-2/

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