8 頼みごと
裕也がこの学校にいた。でもそれはありえないことではなかった。
あの二学期の初めの日、担任教師が言ったように、裕也は『お化け屋敷』と呼ばれていた家を引っ越してしまったけれど、きっとまだこの街に住んでいたんだ。そしてこの街の違う小学校に通っていた。だから三つの小学校が集まってくるこの中学に、裕也がいてもべつに不思議ではなかった。
優衣の前では、昨日のテレビの話をしながら、恵美が弁当を食べている。恵美に聞いてみようか……もしかしたら裕也と同じ小学校だったかもしれない。
――いきなりそんなこと聞いたら、おかしいよね?
「どうしたの? 優衣」
「あ、べつに……」
優衣がそう言って苦笑いしたとき、クラスの女の子がふたり、優衣たちの机に寄ってきた。
「ねえ、七瀬さん」
優衣が箸を持ったまま顔を上げる。恵美と同じ小学校だった千夏と美咲だ。
「確か七瀬さん、北小だったよね?」
「うん。そうだけど」
千夏と美咲が『やっぱり』というように顔を見合わせる。
「七瀬さん、六組の『三浦裕也』、知ってるでしょ?」
「え……」
突然千夏の口から出たその名前に、優衣の心臓がトクンと動いた。
「五年の一学期まで北小にいた、三浦だよ」
「あ、うん。知ってるよ」
千夏がもう一度美咲を見てから言う。
「七瀬さん、三浦と仲良かったってほんと?」
「え……べつに仲良くなんて……」
「でも話せる?」
「は、話せるけど……」
すると千夏がにこっと笑って、そして優衣の耳元にこっそり話しかけた。
「好きな人いるかどうか、聞いて?」
優衣がぼんやりと千夏の顔を見る。
「好きな人いるか、三浦に聞いて?」
教室のドアが開いて、男子がふざけながら入ってきた。いつも騒がしいサッカー部の連中だ。教室の中がいきなりざわめきだす。
「な、なんで?」
優衣がつぶやく。千夏はまた美咲を見てから、優衣の耳元でささやいた。
「美咲が三浦のこと好きなんだって。だから聞いて? お願い」
優衣は美咲に視線をうつす。美咲は少し顔を赤くして千夏の袖をひっぱった。
「じゃあ、お願いね! 七瀬さん!」
千夏がそう言って、美咲と一緒に背中を向ける。
――どうしてあたしが聞くの? 自分で聞けばいいのに……
「三浦のこと調べろって?」
黙って弁当を食べていた恵美が、優衣の顔を見ないまま言った。
「え、あ、うん」
「美咲も好きなんだぁ、三浦のこと」
「美咲も……って?」
恵美が顔を上げて、箸で優衣のことをさす。
「知らないの? 六組の三浦っていえば、有名じゃん。ちょっと不良っぽくて、かっこいいってさ」
「知らない……」
「ほら、あんたと同じ北小だった、二組の『篠田香織』。あの子も三浦狙いだし」
――篠田香織……あの子が? だってあの子は、裕也のこと嫌っていたはず。
「でもさ、三浦ってやっぱコワそうじゃん? 今朝も顔に傷つくってて、西中のやつらとケンカしたとかいう噂だし……だからみんなビビって、声かけられないんだよ」
優衣はさりげなく恵美から視線をはずし、教室の窓を見た。四角い窓の向こうには青い空が広がっていて、あの夏に裕也と見た、夏の空を思い出した。