３ 夕焼け空の下で
その日、優衣は教室で一人だった。亜紀が『おばあちゃんの法事』だとかで、学校を休んだからだ。
教室の真ん中にかたまって、笑い声をあげる女の子たち。一番目立っている髪の長い子は篠田香織。女子のリーダー的な存在だ。最近、亜紀もあの子と仲がいい。
あのグループに声をかけてみようかな……一瞬そう思って、優衣はやめた。きっと香織とは気が合わない。気が合わない子と、無理してまで一緒にいる必要はない。明日になれば亜紀が戻ってくるんだから。
そのとき、優衣の耳に男子の大きな声が聞こえた。ふと窓際の席を見ると、ランドセルを背負った裕也の周りに、数人の男子が集まっている。その中心で笑っているのは、サッカークラブに入っている榎本翔。優衣はほんの少し顔をしかめた。
「裕也ー、お前なんで四時間目になると来るんだよ？」
「給食だけ食いにくるなんてずるいぞ！」
裕也が何も言わずにランドセルをおろした。そういえば最近、裕也が登校してくるのは、いつもこの四時間目の始まる時間だ。
「おい、なんとか言えよ？ お化け屋敷に住んでるくせに」
翔の声に周りの男子がおかしそうに笑う。優衣は席に座ってうつむいたまま、両手をぎゅっと握りしめる。するとその瞬間、ガタンっという大きな音と、女の子たちの「きゃあっ」という悲鳴が聞こえた。
「ゆ、裕也が翔を殴ったぁ！」
「せんせー！ せんせー、来てくださーい！」
教室中がパニックになっていた。翔は机の間に倒れて半べそをかいている。
「どうしたの！？」
廊下から担任教師が駆け込んできた。
「先生！ 三浦くんが榎本くんを殴りました！」
「殴った！？」
優衣は騒ぎを耳に聞きながら、立ち上がって裕也を見た。裕也はそんな優衣に向かって、満足そうに笑いかけた。
校舎から下校時間を告げる放送が流れる。数人の子供たちが校舎から出てきて、優衣の脇を通り過ぎる。
梅雨の晴れ間の空はオレンジ色に染まっていた。校門に寄りかかるようにして、優衣はそんな空を見上げる。巣に帰ろうとしているのか、鳥が一羽、優衣の視界を横切っていった。
そのとき、優衣の隣をすり抜けていく黒いランドセルに気がついた。優衣はあわててその後を追いかける。
「ゆ、裕也っ！」
裕也が振り返って優衣を見る。
「なに？」
「え、あ、あのっ、校長室に呼び出されてたって、ほんと？」
「ほんとだけど？」
優衣はその場に立ち尽くし、どうしたらいいのかわからなくなった。どうしてこんな時間まで、裕也のことを待っていたのか……自分でもわからなかったからだ。すると裕也がそんな優衣を見てふっと笑った。
「校長なんて怖くねーよ。だいたい先生たちは何にもわかってないんだ。理由も聞かないで、暴力はいけません。自分がそんなことをされたらどう思うの？ 悲しいでしょう？ って……バカじゃねーの？」
「で、でもっ」
優衣が口を開く。
「でもやっぱり、暴力はいけない……と思う」
裕也が優衣の顔を見た。優衣は思わず顔を背ける。
「お前さー」
ふたりの脇を通り過ぎる車の音と、裕也のかすれた声が重なる。
「ざまあみろって思っただろ？」
「え……」
「あいつが殴られて、ざまあみろって思っただろ？」
――思った……
優衣は翔のことが嫌いだった。少しサッカーがうまいからって、いつも偉そうにしているし、人の悪口ばかり言ってるし……
立ち止まっている優衣を見て、裕也が笑う。そして優衣に背中を向けて歩き出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ！」
そんな裕也を優衣が追いかける。なぜ追いかけるのか……どうしてこいつのことが気になるのか……何もわからないまま……
優衣の前を、振り向かずに歩く裕也の後ろ姿が、夕焼け色に染まっていた。
