14 カッコウ
裕也に手を引かれるまま、階段を上る。二階のあの部屋に着くと、裕也がベランダの窓を開けた。
「わあっ」
優衣が思わず声をあげる。窓から雨上がりの風が吹き込んで、優衣の前髪がふわっと揺れる。ベランダに出ると、あの日と同じ景色が広がっていた。
「変わってないね」
「変わるわけないよ」
眼下に見える家並みも、向こうにある学校も駅も、この狭くて小さな街も……何も変わらない、変わっていない。そしてその変わらない世界で、自分たちは今日も生きている。
「七瀬さー」
優衣の耳に裕也の声が、風と一緒に流れてきた。
「お前、女子にハブかれてんじゃね?」
「え……」
心臓がとくんと音を立てる。裕也はなんでも知ってるような顔をして、優衣に笑いかける。
「な、なによ。あんたのせいなんだからねっ」
「俺のせいー?」
裕也がそう言いながら、空を見て笑いだす。
「なんで俺のせいなんだよ? 女ってわっかんねー!」
優衣はぼんやりと、そんな裕也の声を聞く。その横顔にある、新しくできたあざを見つめながら。
「……裕也は、強いよね?」
いつかの、ランドセルを背負った裕也の言葉が浮かんでくる。
――『殴られたんだ、お母さんに』
「強い? 俺が?」
「うん。裕也は泣かないもん。いつも」
優衣はそうつぶやいて前を見つめる。庭の茂みから一羽の鳥が飛び立って、晴れ間ののぞきはじめた空へ、翼を羽ばたかせて飛んでゆく。
――鳥になれたら……
優衣の胸にその想いがよみがえる。
――自由に飛んでいけるのに……
空を見上げる優衣の耳に、裕也の声が聞こえてきた。
「七瀬。カッコウって鳥、知ってる?」
「カッコウ?」
優衣が視線を裕也にうつす。裕也はいつものように少し笑って優衣を見る。
「カッコウってさ、他の鳥の巣に卵産んで、どっか行っちまうんだ。自分は子育てしないでさ」
優衣の胸がきゅっと痛む。
「しかも産まれたヒナは、巣の持ち主の本当の卵を、下に落として割っちまうんだぜ?」
裕也がそう言って冷めたように笑う。
「ま、俺はそんなことはしないけど。慎吾のやつ、けっこうかわいいし」
優衣はそんな裕也に向かってつぶやく。
「裕也は……本当のお母さんに会いたいって思わない?」
「思わないね」
裕也の黒い髪が風に揺れる。
「向こうだって会いたくないだろ? せっかく邪魔な子供を捨てて、のびのびと飛び回っているってのに」
「そうかな……」
「そうだよ」
優衣から顔をそむけた裕也の声が、いつも以上にかすれていた。
――あたしは……会いたいな……お母さんに。
だけどそれは叶わない願い。
――あたしも、お母さんに捨てられたんだ。
優衣は唇をかみ締め、その言葉を胸に押し込む。裕也は黙って空を見つめている。
「でも俺……いつか絶対、この街出るから」
裕也が独り言のようにつぶやいた。
「そしたら、どこまでも飛んでいく。親も、家も、学校も、全部俺が捨ててやる」
優衣はぼんやりと裕也の横顔を見る。裕也はそれ以上なにも言わずに、ただ空を飛ぶ一羽の鳥を目で追っていた。