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1 お化け屋敷

「あ、七瀬さん」

 昨日母親に買ってもらったばかりの、水色のパーカーをはおった優衣に、担任の教師が声をかけた。

「このお手紙、また三浦くんのおうちに届けてくれる?」

 そう言って、教職二年目の若い女性教師が、学校からのプリントを優衣に見せる。優衣は少し顔をしかめて、後ろを振り向く。すると思ったとおり、黒いランドセルを背負ったクラスの男子たちが、優衣のことをニヤニヤと笑いながら見ていた。

「お願いね、七瀬さん」

 一枚のプリントが優衣の手に渡される。担任教師は背中を向けて、忙しそうにバタバタと教室を出て行く。

「七瀬ー、お前、またあのお化け屋敷に行くのかよー」

「お化け屋敷ー、お化け屋敷ー」

 優衣は何も言わずにランドセルを背負う。ワインレッドのランドセルの中で、筆箱の音がカタンと鳴る。

 ――べつにあたしだって、行きたくて行くんじゃないもん。

 教室を飛び出した優衣の耳に、男子たちの冷やかし声が聞こえてくる。

 靴を履き替え校舎の外へ出た。六月の少しべたつく風が、優衣の肩にかかる髪を揺らす。

 優衣はプリントを手のひらでぐしゃっと握りしめると、思いっきり走りだした。


 学校の前の道路を住宅街へ向かって真っ直ぐ進み、コンビニを通り過ぎて橋を渡る。優衣の家はそのまま直進だったが、三浦裕也の家へ行くには、右に曲がって坂道を登らなければならない。

 裕也は小学四年生の二学期に転校してきたらしいが、優衣はそのことを知らなかった。だけど五年生になって同じクラスになると、一番家の近い優衣が、裕也の家に学校からの手紙を届けることが多くなった。

 ――もう、なんで学校来ないのよ……

 そう、裕也は学校を休んでばかりなのだ。だから優衣はいつも届け物を頼まれてしまう。

 坂道を駆け上がると、裕也の家が見えてきた。古い洋風の建物には、緑のつたが複雑に絡まりあっている。花でも植えれば綺麗なはずの広い庭は、草がぼうぼうに生えていて、小学生の間でこの家は『お化け屋敷』と呼ばれていた。


 優衣はいつものように門を開き庭へ入る。ギイイっという錆びた音が響き、茶色い柴犬風の雑種犬が、優衣に向かってワンワンと吠える。だけどこれもいつものこと。そして、家のチャイムを鳴らそうと玄関の前に立ったとき、優衣の頭上から声がした。

「うるせーぞ、シロ!」

 ドキッとして顔を上げる。するとベランダから身を乗り出して覗いている、裕也と目が合った。


「これ。お手紙」

 ぶっきらぼうにそう言って、右手でプリントを差し出す。『授業参観のお知らせ』と書かれてあるそのプリントは、優衣の手の中でしわくしゃになっていた。

「こんなの持ってこなくてもいいのに」

 優衣の耳に裕也の声が聞こえる。ちょっとかすれた特徴のある声。優衣は手を伸ばしたまま、目の前に立つ裕也を見る。裕也は黒くて長い前髪で隠れた目で、ちらっと優衣の顔を見た。

「そんなこと言ったって……先生に頼まれたんだもんっ」

 優衣はそう言うと、無理やりプリントを裕也の胸に押し付けた。裕也は面倒くさそうにプリントを受け取る。

 ――わざわざ遠回りして届けてやったのに! 「ありがとう」の一言ぐらい言ったらどうなのよ!

「なんで学校来ないの!?」

 優衣が怒った声で裕也に言った。どう見ても具合が悪いようには見えない。これからもずっとこの家に、いや、こいつにプリントを届けるなんて……勘弁してほしい。

「弟が病気だから」

 意味がわからなかった。どうして弟が病気だと、学校を休まなければならないのか?

「お母さんうちにいないの?」

「いない」

「弟が病気なのに?」

「そうだよ」

「あたしが病気になったら、お母さんお仕事休んでずっと一緒にいてくれるよ?」

 優衣の言葉に裕也がふっと笑った。

「な、なんで笑うの!?」

「べつに」

 その時部屋の奥から小さい男の子が顔を出した。

「ゆうちゃーん、お腹すいたー」

 優衣は思わず部屋の中をのぞきこむ。靴が散らかっている玄関と同じように、部屋の中もごちゃごちゃと物が散乱していた。

「あれ、俺の弟。まだ三歳なんだ」

「あんたが面倒みてるの?」

「そう。病気が治ったら保育園行けるけど、病気が治るまでは俺が面倒みてるんだ」

「じゃあ学校来れないの?」

「学校なんて行かなくてもいいじゃん」

 裕也はそう言うと優衣に背中を向けて歩き出す。

 ――そんなのへん。学校は行かなきゃいけないんだよ?

「あ、お前」

 突然裕也が振り返って優衣を見た。

「お前、なんて名前だっけ?」

「七瀬……優衣」

「ありがとな、七瀬」

 裕也はプリントをひらひらと振ると、優衣にほんの少し笑いかけ、部屋の奥へ入っていった。

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