第4話 区立病院
その日は、坂本に呼び出され、特区内の病院に向かうことになった。そこでは、彼と女性型アンドロイドが待っていた。
「イズミと申します。よろしくお願いします」
「紹介してなかったかな。俺の支援AIだ」
「どうも。北浜です。こいつはヴァージル。病室には入れませんがね」
ヴァージルは挨拶するように俺の周りを旋回してから肩にとまる。衛生上は問題ないだろうが、患者たちには嫌がられそうだ。
「ははっ。そうだな。お前もここに適応することを考えろよ」
そう言って坂本はイズミの肩を抱く。つまり、そういう設定なのだろう。彼の手の動きが煽情的だったので、俺は目を逸らした。
「まあいい。今回は政治的に重要な案件だ。青幡電力、畑中常務のVRのメンテナンス。俺たちは、恩を売りたい」
そう言われ、老人の横たわる病室に案内された。
「北浜、こういう問題にも詳しいって聞いてるぜ」
坂本が見せてくれたデータは、女性のプロフィールだ。この老人の抱えている問題の理由なのだろう。
「幼馴染ね……」
「そ。彼はここの生まれじゃない。入院後は初恋の思い出の中で過ごしてる」
確かに、HHICのパートナーを作らずにこの街にいる奴は、過去の妄想に浸るしか欲望を満たす術はないのかもしれない。もちろん、一時的な欲望を満たすための方法はいくらでもあるが、それだけでは満たされないものもある。
なお、同性愛者の男はこの街には来ない。俺たちやこの常務のように管理の仕事でくる奴以外は、異性愛者で性犯罪歴があり、「先進的な」街にはいられない労働者ばかりだ。
しかし、見たところ真面目そうな老人だ。思い出を覗くのは忍びない。ロマンティック・ラブ・イデオロギーなんてものは、この特区には残っていないと思っていた。
「介入は気恥ずかしいな。自分の親父の端末をメンテしてたら、半世紀以上前の女学生のデータを見つけちまったみたいな気分だ」
「ははっ。正直、俺は別の印象だ。ガキの頃に無修正VRサイトが摘発されて、顧客名簿に載ってたのは老人ばかりだった。時代に追いつけないってのは哀れだ」
坂本にとってはそうかもしれない。俺はその言葉には応じず、老人の頭部のヘッドギアにコードを繋いだ。
「で、何が問題なんだ?」
「思い出を自己操作して遊んでたんだが、ふとしたきっかけで悪夢のスパイラルに陥っちまったらしい。バイタルサインも乱れっぱなし。ここに来る前、俺も似た経験をしたことがある」
俺が接続をセットアップしている間、坂本は例え話を続けた。
「ポルノ素材に好きな子の生体情報を入れて遊んでたら、間違ったパラメータの過学習で化け物になっちまった。フランシス・ベーコンの描いた頭部みたいにグニャグニャで、血生臭いんだ。それ以来、その子は好きじゃなくなった」
「このご老人はそうじゃないってわけだ。グロ画像の世界でも、幼馴染の思い出を捨てられない。深みにハマるのはシステムのエラーだろうが、強制停止すると恨まれそうだ」
「そうだな。そこまで一途な奴は味方にした方がいい。どうする?」
「AIカウンセラーを介入させて、悪夢と向き合わせてみよう。彼とその幼馴染は、精神分析を経てフランシス・ベーコンの頭部と対話する。彼はハッピーエンドで目を覚まし、俺たちに感謝する」
「よし、やってくれ」
俺の処置は成功し、常務は目を覚ました。
彼は俺たちとの契約や特区の立場を変更する気持ちはないと言い、社内のコネクションを用いて、独立派の情報を提供することを約束してくれた。
久々に、成果として納得できる報酬を受け取った。こういう仕事は珍しい。
帰りに坂本がイズミと三人で遊ばないかと誘ってきたが、断った。俺は少し回り道をして帰ることにした。